どうも、ひのきですm(*_ _)m
やってまいりました、諏訪大社上社 前宮
寄り道を含め徒歩40分、結構歩いているのですが苦なく気持ちよく歩けたのはとにかく太陽の力、山の涼しさ、木々による美味しい空気、そして至る所に流れる水の気、本当に最高です
そして前宮
この時点では(結果的にただの都市伝説だった)巡る順番と山を御神体として建御名方神を祀る神社ということだけでしたが、今思ってもここは何か別格な感じがしました
想像していたよりしっかりと山だな、、、登るんだな、、,
実は本宮に対する前宮なので小さめだと勝手に思い込んでいたんですよね
弊拝殿の姿すら見えないんですけど
ただ、この時点から感じておりました
ここ、もの凄い場所な気がする
下から見えるところまで登ると、、、うわ、太陽が凄いんじゃなくてまだ先が見えない( ̄▽ ̄;)
というか、なんでしょう
下社の二宮では山に囲まれた神聖な感じだったのですがここでは山が見えるわけではないのに山が迫ってくる感じがするのです
下社春宮と同じ玉垣発見、こちらは立て札がありまして諏訪大社の御神紋である穀の木が中心に生えています、、、が小さな枯れ枝に見えたので春宮と同じで何も無いのかと思い込んでしまいましたm(_ _)m
階段途中の左手に十間堂があります
そして階段を上がると、、、坂道が続くw
というか、山が凄い!!
社殿周りだけ雪がしっかり残っています
拝殿が並んでいるので右手へ、こちらが一之御柱
その後方に四之御柱
なんと美しや、雪解け水を集め流れる清らかな川
これは堪らない(>_<)
参拝客皆が御柱に向かいその方々の連れる小さな子供達ですら見向きもしないのに、ひとり小川と氷柱に夢中なおじさんです(*'-')ノ
そしてこちらが拝殿
背後の山から全てがここに集中しているかのような凄い感覚です
ちょっと別格な感じ
他の人を見る限りは拝殿の裏をぐるっと回れたようなのが見えていたし私は社殿背後マニアなのですが、それなのにちょっと恐れ多すぎて行けませんでした
もうここに居るだけで十分に御神威を頂いていました
いやー、、、凄かった
降りてきて物凄く引っ張られたこちらの石祠
立て札にサラッと目を通すと御室社、古代祭祀の跡地ということでしょうか
木の間の参道、そして石祠
ここもなんか凄すぎるんですけどなんでしょう、、、ここは何かが放たれているとかそういうことではなく、グルグルと力が渦巻いているような
この木と石祠の周りだけがぽっかりと重力が違っている、そんな感じがしました
あとがき にて
階段途中のお社は諏訪明神の祖霊を祀る内御玉殿
祖霊舎ですかね、特に何がというわけではないのですがどこか存在感が強く、それでもやはり特に何があるということでも無く
それもそのはず、この時見逃していましたが立て札には祖霊が宿られていた御神宝が安置されていたと過去形になっていますので今は跡地といった形でしょうか
諏訪大社公式の説明を見ると内御玉殿は本社の幸魂奇魂を祀るとありまして、そうなると御祭神である建御名方神の幸魂奇魂ということになりますが、はて?
立て札通り諏訪明神の祖霊とするならば建御名方神の祖神である大国主大神が祀られていると考えてしまいますがその場合は祖霊ではなく祖神とするはず
大祝が御神体とされていた事と祖神ではなく祖霊とされている事を考えると大祝の祖霊が祀られていたと考える事も出来ます
この続きも あとがき にて
内御玉殿の前に鎮座するのが若神子社
諏訪さんはどちらを参拝しても必ず若神子社が祀られており一族をとても大切にされている感じがします
参道を手前まで戻るとやはり山の気、そして御神木ではないようですがこちらの木、所々にスポット的な場所がありますが境内全体が素晴らしい気に満ちています
さて、本宮へ向かうぞ、と思ったのですが最後にこちらから物凄い存在感を感じる
立て札はあるけどその周り何があるというでもなく、その周りではないどこかから、、、と見回すとクロスした木を背にした石祠を発見
探さなければ祠の存在がわからなかったにも関わらず足を止めさせるほどの存在感
気軽に立ち入ることの出来ない神聖さで結界が張られているかのような、それでいて素通りする事は出来ずご挨拶しなければならない、そういう威厳がありました
改めて立て札を読むとこちらへご挨拶してから御射山へ向かっていたのだとか、御射山?
御祭神は高志沼河比売命、建御名方神の母神で下社二宮では子安神社に祀られていました
調べてみると、過去に行われていた御射山神事というのがあり、過去には皇室や将軍を招待して狩り神事や流鏑馬等が行われていたそうで諏訪大社が勧請された京都にまで御射山という地名が残るほどの神事だそうです
御射山社こそ離れた場所に鎮座されているので電車移動の私には厳しい( ̄▽ ̄;)
背後から見ても石祠の周りだけがぽっかりと空間が違うように感じるのは私だけかもしれません
というわけで、前宮、とても凄かったです
あとがき
どうも調べてみると前宮だけが本殿を有する構造になっているらしいのですがそれは御神体であった 大祝 が住まわれていた場所だと言われています
御神体が鎮座(住まわれて)いる場所ですから本殿ですね
さて、謎のお時間です
ですが、前宮からも本宮からも守屋山が見えないのです
さすがに学の浅い私でもピンと来ました
守矢氏
果たして、調べてみると守矢氏は諏訪郡を縁として大祝を祖として代々の諏訪大社に仕えた氏族でした
そしてここで繋がりました、守矢氏は建御名方神の末裔だったのです
内御玉殿の謎がすっかり解けたーーー!
そして御室社
参拝時は気付かなかった事ですが、こちらこそが古代祭祀の跡地でした、しかもキーワードはまた 蛇
御神体で現神人である大祝と神官達が蛇形の御体 ミシャグジ神と共に半地下の御室に冬ごもりをしたといいます
調べてみるとこれがまた謎だらけで未だ解明されていない信仰でした
ただ、諸説ある中ではミシャグジは諏訪地方を中心に関東一円へ広まった信仰で蛇信仰石神信仰でもあり、今に伝わる道祖神の元になったとも
ミシャグジ、、、ミシャ、、、ミサ、、、御射山!?
学者識者が研究しても謎の塊なので諸説が乱立している状態のようですがミシャグジは木に降りて石に宿るとされる神霊だとされるという説に ピン と来ました
御室社と共に私が強く感じた溝上社もまた木の根元に祀られた祠で、しかも御射山へ向かう前にご挨拶すべきとされていた場所でした
ミシャグジ信仰は古木の根元に石棒を祀るのがはじまりだったとされるのがもしかしたら御柱にも繋がっていたりもするのでしょうか
もうとにかくA説があればB説はA説を否定し、今度はC説がB説を否定し、といった具合にとにかくもうひっちゃかめっちゃかですw
それほどに深い信仰だということでしょう
建御名方神が諏訪に来てからの祭祀についても今ひとつハッキリしない部分も多く、ミシャグジ信仰がさらにそれ以前から行われて来た祭祀であり融合していったと考えると分かるような気もします