初音といえば?
どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、初音森神社です
さて、神社巡りスタート! と、とある神社を目指し最寄り駅から歩き始めた時である
おや? 初音森神社 というのがあるぞ?
初音といえば、、、ミク?(私は特に興味は無いが)
まぁ秋葉原とかならまだしも土地柄そんなわけはないかぁ、とりあえず先へ行こ、、、うーん、だめだ、一度気になったなら素通りは出来ぬ
というわけで参拝です
実は勝手なイメージで個人宅のお稲荷さんとかって感じかと思ったのですが意外と規模がしっかりしていて社名の入った大きな石碑もありビックリ
門があるので時間によっては閉まっているようです
こちらが御社殿
こ、、、これは、、、凄く温かみがある
勿論、陽が射してはいるのですが午前とはいえこの日は7月の下旬、寧ろ暑いのですw
そういうことではなくて、境内の雰囲気がなんとも晴れやかで温かくて、、、これは凄い
これはただ事ではない、とさすがにその場で御由緒を調べます(外に立て札があったのは参拝後に気づいたという)
1332年、藤原大納言師賢公が下総へと配流された際に立ち寄ったこの地へ稲荷大明神を勧請し祠を祀ったのが始まりとされており、途中川向うへの遷宮を経て1950年に現在の地へと遷座、馬喰、横山、東日本橋の鎮守であり江戸七森のひとつにも数えられる神社です
。。。なんですと?!
烏森、椙森、柳森の江戸三森なら知っていましたが七森もあったとは!! というか八森もあるらしいですが
初音とは鶯の鳴き声を指し、この地は鶯が多く棲む森だったそうで初音神社として祠が祀られたのが創始なのだそうです
というわけで冒頭の答えは、鶯の鳴き声でした~
石柱には寶録稲荷神社との銘もありますがこちらは横山町に鎮座していた稲荷が合祀された名残だそうで、他にも数社のお稲荷様が合祀されているそうです
ちなみに御祭神は勿論、宇迦之御魂神ですが相殿に崇徳上皇と金山彦之命も祀られています
その由来はわからなかったのですが、藤原師賢公は後醍醐天皇の倒幕運動を支えたことから配流となっており、祠と共に後醍醐天皇の形見を残したとも言われているそうです
はて血筋なのだろうか、と系譜を辿ってみたのですが後醍醐天皇は後白河天皇の方へ繋がりました、つまり同じ鳥羽天皇を父に持ちながらも崇徳天皇の敵側の血筋ということになります
崇徳天皇は後白河天王との保元の乱に敗れ讃岐に配流されているのですが、後醍醐天皇もまた鎌倉幕府を倒したものの建武の乱で足利尊氏に敗れ配流されています
御霊信仰的な扱いとして後日併せ祀られたなんてことがあるかもしれない、なんて素人考察してみたところで、金山彦之命と共にどちらかに祀られていた神社が合祀されたものという可能性が大きいでしょうか
いやはや、何故か普段は追わない時代考察に火がついてしまいまして、まぁこんな時もあるんだなぁという感じですがそれ以上は掘らないところが私らしい
大分横道に逸れてしまいましたが、こちらはお稲荷さんであります
しかも、とても温かいお稲荷様であります
師賢公の後醍醐天皇を想うお気持ちをしっかり受けてらっしゃるのでしょうか
江戸七森を知れたことと合わせ、出会えて良かったなーと感謝の参拝でした
。。。っと、終わるとこだった!!
調べて分かったのですがこちらは本社だそうですが一時遷宮していた場所、馬喰町は両国橋の近くに初音森ビルがありそこの儀式殿でも参拝が出来ますし御朱印授与品をお受けすることが出来るそうです!!
御朱印授与品収集をされている方はそちらの方へ行かれるかと思いますので、良ろしければ元の初音の森、本社へもご参拝くださいませ(*^^*)