日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

七沢八社随一 北澤八幡神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、急遽やって来ました北澤八幡宮です
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いやぁ、境内の一角が、といっても十分な広さのある公園になっていて沢山の家族で賑わっています、社殿は上のようですね

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石段を上がるとまた同じ位の広さがあって神楽殿もありますね、左手では奉賛会の方達でしょうかお焚き上げをされています
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いやー、思いのほか沢山参拝者が居てびっくり、法被を着て集まっている方々もいらっしゃったので集まって参拝なのか何かイベントがあるのでしょうか

 

また外国の方々もいらっしゃって下北沢が近いからか住まれているのか、想定外の賑わいにビックリですw

 

パッと階段下から一枚撮っておいたのですがこの一瞬以外は社殿前から人が居なくなるタイミングが無く皆さんが集っていました
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うーん、年明け1週間だけどまだまだお正月な雰囲気でなんか良いな(*´ω`*) ってそうか、7日まではまだ松の内

 

御祭神は応神天皇、比賣神、神功皇后仁徳天皇

 

比売神は所謂 女神 という意味ですからその神社により異なりますが八幡様総本宮である宇佐や関東での勧請元として多い石清水では宗像三女神とされています

 

うん、賑やかな中にあってしっかりとした荘厳さ、そしてやはり氣が良い!

 

これは完全に印象によるものでしょうが、各地からの人が多い場合と地元の人々がほとんどな場合とでは境内の空気感が全く異なります、つまりは氏神様として地域を守っている神様(神社)ならではの空気感ということですね

 

勿論、その差は参拝者が誰もいない時であっても感じることが出来て、人が多ければ多いほど御神氣の柔らかさが変わるという感じですかね(*´ω`*)

 

うん、凄く素敵な八幡様だ!

 

境内左手に手水舎がありました、その奥が境内社です
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うんうんうん、と手水舎裏手へ回ったその時、急激な圧の変化に驚く

 

境内社前は小さな遊歩道のようになっていて可愛らしい置物も置かれているのだけれど数社並ぶ右手の方の圧が凄い、左手側から進んだのに木で社殿は少ししか見えないのに右奥からの氣が凄い、なんだこれは Σ(゚д゚;)

 

と、人の居なかったこちら側にガヤガヤと数組の大人数が来たので一旦退避、ここは無人の状態でご挨拶しなければダメだ、という直感

 

無人になるのを待ってご挨拶へ、今度は圧を感じた右手のお社へ
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産土社、説明によるとここから北の池ノ上から南の池尻までが大きな池だったという、その池の守護神であった龍神が祀られていると、、、龍神様!!

 

というかまだ調べていないので時系列が分かっていませんが龍神社ではなく地主神として祀られているということはつまり八幡様よりも前から祠などで祀られていたのかもしれません

 

いやー、覇気は龍神様でしたか

 

っていうか名は地を洗わず、池ノ上、池ノ尻、そういう意味だったんですね! めちゃめちゃ大きな池ですもの、龍神様もさぞ御力をお持ちでしょう

 

産土社の隣は大木の真後ろになって前からは見えなかった小社、こちらは弁天社で宗像三女神が祀られています
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池神様のお隣に弁天様がいらっしゃる、木の力もあるかもしれませんがこの二社の雰囲気の違いが凄くて逆にバランスが取れているような気がしました

 

さらに三社並びます
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右手は松平家の屋敷神だった野屋敷稲荷神社、小さなお社は個人邸から遷された由来不詳のお稲荷様だそうですが愛宕稲荷とは江原啓之氏が名付けられたそうです、、、江原さん?!

 

なんでじゃ?!と思って調べてみると(由緒より先に調べるオトコw)なんと江原さんは北沢八幡神社神職として奉仕されていたんですね!!

 

そして左手は岸田家の邸内社だった長栄稲荷社、下北沢で岸田と調べると芸術家やマンション、お店などが出てくるので詳しくはわかりませんが地主さんなどだったのでしょうか

 

いやー、しかし地主社からの氣がこの小さな森を包み込んでいる、賑やかな人々が入って来てもそれは変わらない、凄いな

 

主殿向かって右手には富士山遥拝所、こちらは富士溶岩石で積み上げられているそうで小さな富士塚ですね(*´ω`*)
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晴れていれば富士山が見えるそうで 富士山 の立て札もw

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そうなんですよね、23区方面からでも空気が澄む冬場は特に富士山が綺麗に見えるんですよね~(*´ω`*) 高い建物が多すぎて見えないだけなんですよね

 

そう考えるとほんと、九州~畿内が中心だったとはいえ東征など東日本の事も多く描かれる記紀にこれだけの霊峰富士が一切登場しないというのは不自然と言えますね

 

富士山遥拝所の正面から奥へと道が
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こちらにも境内社がありま、、、木の裏にも一社!!
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こちらは円海稲荷社、池の畔に住まれていた円海上人が守護されていた稲荷社だそうです
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そして水鉢にカラフルなボールが入ってとてもポップだけれどそんな雰囲気ではないこちらのお社は神狐様がいらっしゃいますが、、、高良玉垂社!!!
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あまり御祭神として祀られる神社は少ないですがパッと思い浮かぶのは世田谷八幡宮、ここからも近いですね

 

高良玉垂命筑後一宮である高良大社に祀られており、九州であることも関係するのか八幡様の境内に祀られていることが多いようですがその正体は謎とされており、物部氏説、中臣氏説などありますがこちらでも武内宿禰説を採用されているようで応神天皇に仕えた事でも有名ですから理にかなっています

 

実は高良大社の起源についても諸説あり、また御祭神についても本来は違う神だったのが武内宿禰と習合されたという説まであったりして様々な考察がなされています

 

いやー、もうほんと、突発的に見付けて参拝したのでここまでの規模だとは思っていませんでしたが、とにかくとても雰囲気が良いながら威厳のある八幡様のお手本のような神社でありながら地主神様の覇気が凄かったです

 

と神社を出て下北沢駅へ向かおうとすると路地を挟んだ隣にこちらのお寺、森嚴寺

 

あぁ、やっぱり歴史ある神社は隣合ってお寺(別当)があるよね

 

と通り過ぎようとしたのですが、、、なんだろう、何がなにか全くわかりませんが少し戻って山門を潜りました

 

神社専門でやっておりますが元々お寺も好きではあります、とはいえ実際にパッと出会ったお寺へ入るのは私にしては珍しい

 

入ってすぐに素晴らしく迫力のある閻魔堂、不動堂があり、そして美しい八臂辨財天!! 思わず魅入ってしまうその頭上には宇賀神像が乗っていると書かれていましたがちょっとよく見えませんでした( ̄▽ ̄;)

 

撮影禁止とは書かれていませんでしたが憚られたので暫し魅入らせて頂きました、うん、とっても美しい

 

その隣の淡島堂には大黒様も安置されているそうですが少彦名神が祭礼されているという、、、なんとお寺側でお稲荷様以外に神道の神が祀られているのは少し珍しいですね

 

とても広くやっぱり落ち着きのある境内、こちらはなんと結城秀康が開祖だというのです!!

 

私が最も好きな小説は一夢庵風流記でして、そこに描かれる結城秀康のなんとも物悲しさと美しさのあることか、大好きな武将の一人です

 

ここまでが当日の参拝そのままでしたので、改めて八幡様の御由緒について調べてみましょう

 

1480年頃、世田谷城主により勧請された八幡様は七沢八社随一と称され崇敬を集めてきたそうですが別当森嚴寺の火災により資料を焼失し詳細がわからないそうです

 

なるほど、下北沢には大きな池と七つの沢があり、そこに大きな神社が八社鎮座されていたんですね

 

詳細はわからなかった富士山遥拝所についてはわからないままですが関連情報が出てきました

 

元は森嚴寺に大きな富士塚があったとされる、いや、あったのですがそれは近年になって造成のため取り壊されてしまったそうです

 

なんということを!! という意見も多くありますが実は土山であって富士溶岩石で組み上げたものでは無いから富士塚ではないという説もあるようです

 

検索で出てきた写真を見る限りは確かに溶岩石の類がほぼ見えない草に覆われた茶色い土山と一角が大きく削られた写真の数枚しかありませんでした

 

あまりに写真が少な過ぎるのもまたなんとも言えませんね

 

まぁ富士塚と言っても元々山になっていたところや古墳跡に溶岩石を組み上げて行く場合もあるので一概には言えませんが、それなりに大きな山の表層に組み上げていたはずの溶岩は一体どこへ行ってしまったのか、普通に売られてしまったのか、その辺りも謎ですね

 

勿論、人々の想いが集まれば溶岩石が例え頂上にひとつだけであってたとしても富士塚と呼べるかもしれません

 

 

そして一旦記事を書き終えていたのですがとある日、何気なく調べ物をしていたら高良玉垂命に流れ着いたのですが、そういえば御香宮においては共に武内宿禰とされる高良玉垂命と宇倍大明神が共に祀られていました

 

ひとつの神社に同じ神が複数名で祀られていることも勿論ありますがその多くは国主(王など)や主祭神など中心的な存在です

 

つまり、高良玉垂命武内宿禰ではないということか、高良大社のHPを調べてみるとなんとも不思議である

 

一言もその名は書いておらずサラッとした説明のみなのですが、シレッと武内宿禰像の写真だけ載せている

 

名を言わず写真だけ載せて察しなさいと言っているようにも見えるし、写真は載せてるけどそうだとは言っていないというようにも取れる

 

何も言わなければ謎のままに出来るものをわざわざ写真を載せる意味はなんなのだろうか、公式に名言したくないorそう思わせておきたい、さぁ、どちらだ

 

いずれにしても神功皇后や八幡様と共に祀られているので関係性の深い神であることには違いありません

 

宇佐神宮を見てみました、高良大明神が阿蘇大明神と共に門に祀られている、、、つまり山を御祭神とした守護神?! つまり右大臣左大臣、豊磐間戸櫛磐間戸のような感じなのでもしかしたら本来は山を祀る古代祭祀から風水的守護神とし、それが神に置き換えられ習合していったと考えられるかもしれません

 

さらに気になる名を見つけました、味師内宿禰

 

日本書紀においては武内宿禰の弟とされるウマシウチノスクネですが、古事記では尾張連の祖である意富那毘の妹 葛城之高千那毘売を母とする異母兄弟だとされています

 

古事記には書かれていませんが日本書紀ではウマシウチがタケノウチ不在を狙って天皇に讒言をして負いやろうとしたため兄弟で戦う(決闘裁判的な感じでしょうか)ことになるも敗れたと書かれています

 

尾張連が絡んできた!!

 

そしてその妹が葛城之というのはどういうことか、と武内宿禰の母なども調べてみるとやはりこの頃も大和紀伊尾張の関係性が深かったんですね