どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら!! 日枝神社!!
ん? 赤坂日枝神社の本社???
そうなんです、太田道灌により江戸城守護の赤坂日枝神社が創建された際、この日枝神社より分祀されたんだそうです
そしてこちらの日枝神社は近江の日吉神社からの勧請だそうで喜多院草創時代から鎮座していたとされており、創建は860年頃と言われています
手水はこの角度で見るとアルマジロさんがお水を飲んでいるみたいでとっても可愛く見えました(*^^*)
こちらが重要文化財の御社殿
いや、とても素敵なんですが重文にしては特別古そうな感じでもなければ装飾が凄いわけでもなく質素なんですが同規模の社殿に比べると存在感が別格なことだけは伝わってきます
その感想はピッタリだったようで、こちらを読むとそのまま感じたことの理由が書かれていました(*^^*)
もとは喜多院境内に鎮座されていたそうですが現在地へと移されています
社殿左手の斜面には石碑が並びます
お背中へ回ると本殿の屋根が見えました
右手奥には御神木跡
正面へ戻ってくると謎の存在感を放つ囲い
坑底無
今は砂利で埋められていますが底無し井戸だったようで、達筆過ぎて読みづらかったので調べてみると喜多院に伝わるお話は少しだけ違いまして、光が届かぬほどの底なし穴があったので鍋、お椀、下駄と投げ込んでいくも音ひとつ無く不思議がっていると龍池弁財天の双子池に投げ込んだものたちが浮いていたんだそうです
手書きの由緒によると慈覚大師の聖蹟を掘ってみると清水が湧き出し底が無いと思えるほど豊富に湧き出たと書かれていますので底無しの意味合いはちょっと相違している気がしますが、双子池に繋がる話はその井戸が枯れてしまった後のことのようですね
正面から見ると祠があり、中の字は読めません
日枝神社はここに移転したはずなのですがこの井戸は、、、と思たのですがそもそもが双子池のあたりまで全てが喜多院の境内だったわけですから底無し井戸はもとからこの場所にあったのでしょう
ちなみにWikipediaには、前方後円墳を開削して当社を移転したと書かれています
その通りだとしたら、古墳の脇にあった底無し井戸ということになりなかなかの浪漫を感じると共に、いかに崩されてしまった古墳が多いかとちょっと淋しくなりますね
おっ、ひこうき雲(*^^*)