どうも、ひのきですm(*_ _)m
直江津早朝巡拝から数えて、、、なんと、多分ダントツで過去最多となる一日26社目の参拝となりました
多分この記録を抜くことも近付くこともないでしょうw
そして高龍神社を出発して3時間半(あれ?こう考えると大したことない…w)、目標としていた日没までに到着しました!!
そう、タカヒコネといえばひと柱しか居ません、御祭神は味耜高彦根命です
オオクニヌシとタギリビメの子でタカヒメ(シタテルヒメ)の兄とされており、アメノワカヒコの葬儀で生き返ったと勘違いされ激怒したと古事記に書かれ、後に、、、と、この流れは記紀考察7として既に昨年11月の記事として上げさせていただいています
改めまして、夕陽に染まり始めた空に高彦根神社の力強い社号碑、感動の巡拝ラストを出迎えてくれたのは地元の子供たち!w
そう、この広い境内は格好の遊び場となっており、男の子たちは参道を駆け回ったり座り込んでいたり、女の子たちは集い語らっている
うん、最終目的地としての参拝には最高である(*´ω`*)
いやほんとですよ、確かに一瞬だけ、ぬぉ、と思いはしましたがw 子供達が遊び回る境内こそがその地の御神域に相応しい、そうした子供たちは神(祖先)を身近に育つのでその土地や人々を大切にする(はず)
子供たちが座り荷物置きになっている手水舎は遠慮して境内へ
改めて子供たちが遊ぶ前で鳥居で一礼し参拝していくのはどこかこっぱずかしさもあるが、おっさんとしてそういう姿を見せるのも大切でしょう、地元の大人も皆そうしているでしょうし見慣れているはず
果たして、あ、神様にご挨拶に来た方だ、と思ったのか夢中で遊ぶ子の中のひとりがこちらを見ることなく走り回る範囲をそれとなく参道から逸れるように誘導してくれたように見える
境内入ってすぐ右手には巨大な米山薬師如来の碑
もしかしたら廃された寺(別当寺?)のご本尊が如来様だったりしたのかもしれません
それでは、いざ、参拝!!
アングルが不自然に上向きなのは空を入れたかったというよりも子供達を避けたからですがw、逆に良い雰囲気(*´ω`*)
と、このタイミングで建物の影から太陽が!!!
今回の旅、初日を糸魚川に定めた時に奴奈川神社を知り、二日目に宝徳山稲荷大社を定めた次に知ったのがこちらでした
ここまで歩いてきたのは貴彦根神社を陽のあるうちに参拝する為でした、4時間もバスを待っていたら辺りは真っ暗になっているのです
ただ巡拝したというにはとても濃密な道程の最後が射し込む太陽に包まれる、もうサライの合唱が聞こえてくるような完璧な演出です(参拝時にゃそんなこと考えてもいませんけどw)
すぅーーー、はぁーーー
子供たちの楽しそうな声を背に呼吸を整えて神前へ、そしてご挨拶
すぅ、、、っと周囲の音が遠のく、ここまで歩いて来ていろんなことがありました、これまでの日々でいろんな事がありました、本当にいろんなことがありましたが、こうして、この場所で、ご挨拶出来る、出来ている、感謝しかありません
想いが届いたのかはわかりませんが、そうか、良かったな、と言ってくれたかのようにとても優しい風がそよそよと流れてきました
うん、うん、良かった、良かった、ほんと、ありがとうございます
感極まり過ぎていたのでしょうか、これほど広い境内で十分な広さがあるのに私の大好きな社殿お背中を回らなかったのを今思い出しました
社殿右手の石碑は日露と読めるので忠魂碑でしょう
最初の写真通り、跨げるほどの低い塀の隣にはお稲荷様
私は主殿から塀の間を通ってこちらへ来てしまったのですが、お稲荷様の前にも参道と鳥居があります
入り直そうかと思ったのですが、いいからこちらへ来なさい、と呼ばれた気がしました
ビシッとした厳しい雰囲気のある御堂、宝珠を象った?燭台、一瞬荼枳尼様かな?と思ったのですが僅かに優しく静かに見守ってくださる気配を感じました
お寺に祀られた宇迦之御魂神の雰囲気だとは思うのですが、こちらがもし荼枳尼様だったとしたら、荼枳尼様で初めて感じる優しさだったと言えるでしょう
何れにしても、ここまでの "修行" を認めてくださっていたのかな、という優しさを感じた気がします
参道入ってすぐには小さな手水舎とその後ろには石の囲いに守られたお不動様
うん、ますますお寺に祀られていたお稲荷様の雰囲気ですね、寧ろこちら側が隣接したお寺だったんじゃなかろうか、若干空気感も違うし低い低い塀がその境な気がします(なんの確証もありませんが)
それこそそのお寺の御本尊が堂内に移し安置されていても不思議は無い
それなのになぜ、この神社が元は寺だったという考えにならないのか、それは雰囲気だけでなくこちらの御由緒に依ります
創建年は不詳ながらも源頼朝から神領3000貫の寄進を受けるなど昔は大きな神社だったようで、927年編纂の延喜式神名帳に載る都野神社だと言われています
駅名にもなるここの地名 宮内こそそれを示すのではないかと調べてみると、やはり現JR宮内駅の位置に鎮座していた都野神社(一王子権現社)はこの地方屈指の規模を誇っていたとされているようです
その通りであれば、今の宮内町全体が境内だったということでかなりの規模だったことなります、そりゃそうだ、調べてみれば頼朝が寄進した3000貫というのは現代でいう4億円前後だそうです
また、都野神社とされていた件を調べてみると、直江与板衆で有名な与板に都野神社がありまして(そちらも論社)、そちらの御祭神は宗像三女神が祀られているそうです
貴彦根神社も太田川沿いといっても良い位置ですし、一説には境内脇には沼があり祭禮で生贄を奉じていたという話もあるようです
となると、アジスキタカヒコネが祀られたのは現社号となった明治初年なのか?となってしまうのですが、その前は一王神社、一王子権現とされていたそうでそれは熊野信仰の若一王子となりますね
うーん、しかし、明治の神仏分離で突然御祭神にされたとするにはなぜアジスキタカヒコネが選ばれたのかが読めないところであります
結局、わかりません!! で結ぶしかないw
このままの勢いで後述に入りたいところですが、キチッと旅を締めくくってからにします!!
はー、、、過去最高レベルの達成感、、、ちょっとうるっと来ますね
そして宮内駅へと歩き、長岡へ移動
新幹線の時間には余裕を持たせておいたので駅か歩いて夕食へ
それがこちら!! 知る人ぞ知る長岡の名店、レストラン ナカタ!
もうね、最後はここに決めていたんです
駅からここまで10分ほどなのですが、まぁこれの辛いこと辛いこと、さすがに巡拝を終えたので気が緩んだのか長岡駅に着いてから一気に足に痛みが広がりましてこの階段も辛かったw
注文したのはこちらぁぁぁぁぁぁぁ!! トリプル!!
右上がケチャップベースのソースカツ丼、左上が本来はカレーカツ丼なのですがちょっとお願いして(料金割増)デミグラスソースのカツ丼!! この組み合わせが長岡B級グルメの洋風カツ丼なんだそうです(*´ω`*)b
カレーをデミグラスに変更お願いしたら、まさかカレーは変更しないだろうと思われたのか写真を指差しながら話していたのにケチャップをデミにと何度も間違われw そのくらいカレー食べない人が居ないのかっ!! とちょっと心も揺らいだのですが初志貫徹!!
※ 疲労状態で食べた事と好みの問題が大きいので食レポとしてはアテにしないでくださいw
まずデミグラス!!
とても上品で塩味は少なめ(アテにならないポイント)、ただしっかりと濃厚でパンチを感じないけれど(アテにならないポイント)仕込みの良さはしっかり伝わる、うん、ここは最初に全部食べよう(*´ω`*)
続いてケチャップベース
これこそカレーに見えるのですが、これは想像した通りで酢の入っていない天津飯の餡の洋風仕立てって感じです!!(表現下手くそかw)
これはまぁ、アレですね、完全に好みが別れるんじゃないかという感じで個人的には…ですが、それこそ個人的な好みでいうと酸味をバチッと足してくれたら完璧でした(それはもう洋風でなく中華である)(アテにならないポイント)
というわけで、二色洋風カレー丼は個人的にはそれなりといった感じでございましたが(ごめんなさいw)、そもそも自分の好み的に元からデミグラスがそれほど好みというわけではなく、洋風ケチャップソースも想像ではあまり好みでなかったのですw
じゃぁなんで食った!!! って話なんですけどwww 自分でも凄く思ってたんですけどw そこでしか食べられない(?)ものをこそ食べたかったんですよね(*´ω`*)
後から来たお客さんも、長岡に出張来たら毎回ここは外せないと仲間うちで会話してらっしゃったしカレー頼まれてましたからきっとさぞ美味しいんだろう、、、それは分かっちゃいたんですけど、カレーの名店は全国各地にあるけど洋風カレー丼は滅多に無いじゃないですか!w
そして絶対お腹苦しくなるのを承知でトリプルにしたのはこちらが理由、ステーキ丼(*´ч`*)
常連は必ず頼むと言われているのを見て、二色丼が合わなかった場合の保険にしたかったのです(爆)
え?それこそどこでも食えるだろうって? いや、まぁそうなんですけどw でもほら、保険なんで(*^^*)
それに、流石にカレーにかけるソースは変更お願い出来てもそもそもメニューに無い洋風ソースカツ丼とカレーの三色丼はちょっとお願いしづらかったんですよw
お肉食べたかったし ← これが本心
というわけでね、これ、ほんと、食べてください、絶品
このお値段でこれだけお肉のっててこの柔らかさとジューシーさで良いんですかっ?!!!!!って声を大にして言いたいくらい
そりゃね、私も長岡近辺に住んでたら毎回単品のステーキ丼頼みますよ(カレー食ってないくせに)、それくらいコスパ抜群ですよ
ステーキソースはやや甘めだけどそれに負けない肉の圧があるので全然OK、良かった、これ最初に食べてたら他の味わからなくなってたw
皆さん、是非、ステーキ丼食べてください! 私が食べなかったカレーも食べてみてください! (二色カツ丼もねw)
こういうのがひとり旅の残念なところですよね、複数人いたらバラバラに頼んで味見出来るのに(´・ω・`)
でも仕方無いんです、ひたすら石を拾う一日、夜明けから日没までひたすら神社巡り(と山下り)をする一日、そんな旅を誰がすんねんっていうw
さて、屋根上からびっくりするほど大群のカラスが鳴きまくる長岡駅のホームに帰りの新幹線がやってきました
これ、普通の新幹線では見られないむき出しのパンタグラフ(架線から電気を取るパーツ)なんです
通常の新幹線では風の抵抗を受ける&音が出るということでパンタグラフ周りが囲われているんですが上越・北陸新幹線は速度がそこまで出ないので必要無いんですって(*´ω`*)
このやや赤く塗られているのはトキの脚をイメージしたのかなって思って撮影してみましたw
というわけで、お腹いっぱいの車内では何も食べず、疲れ果てているのでアルコールも飲まずに熟睡して帰ってまいりまして急遽決めた二日間を無事に終えました
これまで数多くの旅や巡拝をしてきましたが、トップクラスに印象深く残るであろう巡拝でした
ながながとお付き合い頂いた方々、ありがとうございましたm(*_ _)m
次はこの五日後の記事です(*^^*)←マテぃwww
あ と が き
この旅は23年10月中旬のこと、この記事を書いている段階で3までアップされている記紀考察は9月下旬から10月中旬に読み解き書き上げたものでした
突如はじめた記紀考察も6まで続くとは思わず、その過程で生まれた謎も多く、さぁ次はどの謎から読み解いていこうか、というところでこの旅を迎えたのでした
スサノオについて詰めていこうとしたらオオクニヌシに着地したところで一週間と空けずに導かれたヌナカワヒメ
そして考察候補にもあったアジスキタカヒコネとナガスネヒコ、タカヒメとシタテルヒメにまで繋がったのは本当に偶然とは思えませんでした
勿論、私の記紀考察なんでのはあくまでも記紀を元に読みといたものであって実際の時代考証や遺跡などの調査結果、別説などはほぼ含めていないので決して史実だとは思っておらず、ただ純粋に記紀だけでどこまで読み解けるのかを本筋としたものです
なのにこうして繋がるというのがやはり、普段から神社巡拝をして来て このタイミングでここ来るんだ?! というのが思い込みではなく明らかに多いこととも通ずるんですよね
やっぱり見えない力ってあるんですかね?
だって、知らなかったから気付かなかっただけと言えばそうも言えるのですが、今回においては三柱ともが主祭神として祀られる神社の数少ない御祭神ですからね
さぁ、このあとはどういう風に導かれていくのか、楽しみです♪