どうも、ひのきですm(*_ _)m
そしてこちらも上賀茂さん同様、下鴨神社と呼ばれているけれど正式には賀茂御祖神社であり御祭神が賀茂建角身命と玉依媛命であるという二点のみしか分からないままの参拝になります
と早速境内社が、こちらは二社合殿になっています
右手が賀茂斎院御所の鎮守だったという愛宕神社で火産霊神が祀られ、左手の宇迦之御魂神を祀る稲荷社は同じく斎院御所の忌子女庁屋の守護だったそうです
年季の入った由緒版と境内図です
こちら、とても素敵な手水舎ですね
三本杉の御手洗、このタイプは初めてでとても素敵です
この境内案内を見て、意外とそれほど歩き回らなくて良さそうだと思ったのですがそんなわはない、実際はかなり広かったw
こちらは印納社、本宮御垣内に祀られる印璽大神と宇迦之御魂神が祀られており、この場所は賀茂斎院御所があった場所だそうです
こちらは見たままの自動車祈祷所である祓社、祓戸大神だけでなく主祭神である玉依姫命、賀茂建角身命が祀られています
はて、この辺りで気付きました、その資料や場所によりタマヨリヒメとタケツノミどちらが先に書かれているかが異なるのです、後々に分かってくるのだろうか
本殿近くの手水舎も風情があります
そして、、、美しき楼門
楼門を潜ると正面は外拝殿ではなく舞殿、こちらも美しい
中門を潜ると干支の御祭神を祀る社が並んでいるのですがよく見ると7社しかなく、子と馬以外は二支になっていますね
案内板には神名だけ書かれていますが
一言社:大國魂神(巳未)、顕国魂神(午)
三言社:八千矛神(辰申)、大己貴神(寅戌)、志固男神(卯酉)
となっています
。。。あれ? あれれ? っと、こちらは後述にしましょう
私は午年なので顕国魂神にご挨拶
正直言いますと、今までずっと うつくしくにたま だと思っておりました、実際は うつしくにたま だったんですね、お恥ずかしいw
そしてこの左手が本宮になり東本殿に玉依媛命、西本殿に賀茂建角身命、さらに西に印璽社が鎮座されております
この神前に立った時のなんとも言えぬ感覚は伊勢内宮、伏見稲荷、高鴨神社、上賀茂神社、熱田神宮などと通ずるものがありますが、まぁこれがなんと言葉に表したらよいのやら、という感じですね
とにかく、ご挨拶出来ることがとても有難く感じるのです
本宮から左手方面へが順路になっており、こちら
立て札ではこう書かれていますが公式の境内案内ではさらに詳しく書かれていますのでそちらを元に書いていきます
正面(写真右手)は境内案内で三社併せて三井神社となっていますが手前から伊賀古夜日賣命、賀茂建角身命、玉依媛命を祀る三井神社、大山咋命を祀る日吉神社、御歳神を祀る沢田社
待って、急に凄いんですけど。。。!? タマヨリヒメとその父母が祀られているのですが公式では母が最初に書かれています、そしてタマヨリヒメが身篭った矢の正体とされるオオヤマクイ、そしてスサオノの孫として葛木御歳神社に祀られるミトシノカミと凄い神々が並んでらっしゃいます
しかも一説によるとこちらの三井神社、元は少し北に鎮座されており中賀茂社とされていた事があるそうなのです、、、山城国も三社だった?!
そして個人的にはこちらに火雷神ではなく大山咋命がいらっしゃることにも注目したくなります
そしてこう並ばれるとやはり、スサノオの子である大年神は大国主の事でその子である御歳神はアジスキタカヒコネではないかと思ってしまいます
さらに写真左手に並ぶ三社、右手から迦毛之大御神の異母兄弟である建御方神を祀る諏訪社と親族系が並ぶ!と思いきや、水分神を祀る小杜社、猿田彦神を祀る河崎社と斎王神霊社が合祀された白髭社が鎮座します
水分神はミマクリと読むそうでその名の通りハヤアキツヒコ・ヒメの子でアメノミマクリ・クニノミマクリとして生まれた水を司る神であり、後に御子守(ミコモリ)として子の守護神ともされたようです
そして立て札で大伊乃伎命とされているサルタヒコ!! 水の上、そして斎王はまだしも親族が並ぶこのエリアに祀られている意味とは?! さすがにこれは後述が別途まとめ記事します( ̄▽ ̄;)
ちなみにこちらには賀茂氏(神社)の紋でもある双葉葵が自生しているんだそうです、気づかなかった(´>∀<`)
そしてこちらの庭を出たところに鎮座されているのが、っと迫力が
こちらは出雲井於神社、いずもいのへの、と読むそうですがこちらの社殿周りにはどんな木を植えても柊のように葉の淵がギザギザになることから比良木神社とも呼ばれているそうです
出雲?!と御祭神を見ると建はや須佐之男命を祀り、北に住吉神を祀る岩本社、南に玉津島神を祀る橋本社が並び祀られています
玉津島神を玉津島明とすると、スサノオが投げ込んだ馬に驚いてなくなった稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊の三柱ということになりますが、、、スサノオの隣にワカヒルメが祀られている
やはりそれはつまり記紀がそのままの意味ではなく、疫病で亡くなった巫女を厄除神の隣に祀っていると考えてもそう間違いではないような気がします
本宮前に戻ってきました、既に太陽は見えなくなっています
上賀茂神社と同じく、下鴨神社境内にも御手洗池からこの輪橋と呼ばれる太鼓橋の下を流れる御手洗川、垣外へ出ると奈良の小川、そして瀬見の小川と名を変え参道を流れる川があるのです
その流れの元に祀られるのが井上社、御祭神は瀬織津姫命
元は高野川鴨川合流地点の東岸に祀られていたそうでここは御手洗池の泉湧く井戸の上に祀られた社だったようです
社殿裏から響く水音がなんとも神聖でとっても心地好い
こちらは水みくじが人気のようで御手洗池と社殿前のおみくじ結び所にはたくさんの人が集まっていました
太鼓橋の手前には鳥居、そして龍が飾られていました
そうなんです、この太鼓橋は渡ることが出来ないのですが御手洗川には降りることが出来ることから渡れずとも潜れる橋として一部で人気があるのだそうです
こちらにもとても格好良い龍の巨大絵馬が(*´ω`*)
遥拝所がありました、、、がやはりどちらへなのかは書かれていない
地図で見るとまさにその方向なので元々瀬織津姫が祀られていたという唐崎社の方向なんじゃないかと思いますがどうでしょう
楼門前に戻ってきました、ここから正面参道を下っていきます
こちらは相生社、神皇産霊神が祀られています
こちら、連理の榊は四代と代替わりしているにも関わらず糺の森に二本の木が結ばれる連理で生えてくるのだそうです
相生社の隣が授与所となっていてこれがまたなんとも ショップ という言葉がピッタリなほどに御札、御守りだけでなく様々なグッズやお土産のお菓子なども売られていてちょっとびっくりしましたがかなり賑わっていて下鴨さんの人気の高さが伺えます
そして大きなさざれ石
南口鳥居を潜りそのまま真っ直ぐ進むと瀬見の小川東側(表参道)を歩くことになるのですがここでご注意、多くの方は表参道から来る時にご存知でしょうが、川の西側、馬場と呼ばれる道の方に境内社が鎮座されています
暫し歩き、途中で渡れば良いかと思いつつ先を見ると渡る場所が無さそうで引き返したのですが大正解、途中に渡るところが全くありませんw
そしてなぜか、ここからの境内社は公式境内図にも載っていないのです、、、なぜだろう(河合神社は載っています)(紙ベースの案内には載っています)
まずこちら、賀茂斎院歴代斎王神霊社
社名の通り、賀茂斎王を務められた皇女が祀られていますので巫女系のお力が強い方が参拝されると何か感じられるでしょうか
こちらは垂水、大きな幹から手前に延びる太い枝から御神水が流れでおりとっても素晴らしいです、参道ではなく馬場を通ってこなければいけませんがこちらで手口を清めてから参拝されると気持ちよくご挨拶出来そうです
そして一際目立つ赤い幟がたつこちらは雑太社、高皇産霊神とされる神魂命と賀茂建角身命が祀られています
元は鴨社神館御所の雑太という地に祀られ、722年のはその名が記録にありここから各地へと分霊が勧請されていたそうです
神魂命の魂が球に通ずるということで明治に当社の前で日本初のラグビー練習が行われたことから社殿前にはラグビーボールを象った大きな彫刻(石でしょうか)が奉納されています
続いてこちらは二十二所社、鴨氏二十二譜始祖神が祀られます
その左脇に河崎社の立て札と鳥居、元は現在の知恩寺付近に鎮座されていたそうで御祭神は神魂命、賀茂建角身命、玉依彦命、大伊乃伎命、大屋奈世命、馬伎命
なんと、またしてもサルタヒコが祀られている、そして大屋奈世命と馬伎命はその御子だそうです、、、なんとなんと!?
そして社殿は板で覆われているのですが社殿前に立つと何か不思議な感じがしました、その後ろには川が造営されています
やはり賀茂氏の祭祀と川は切っても切れないようです
ちなみに不確かですが、以前はこちらに雑太社が合祀されていたという情報もあり、立て札の神魂命はその時の事かもしれません
鴨氏が祀っていた社はほとんどが応仁の乱で焼失してしまったらしく、境内図には載らず馬場の並びに祀られている金色の扁額がかけられた社は近年になり徐々に再興されているとのことなので一連の造営が終わった所でPDFや設置看板も更新されるのでしょうか
そして下鴨神社、いや、葛城からの鴨社巡拝の最後がこちら
河合神社
陽が落ちはじめなんとも言えぬ神々しさ
足を踏み入れるとさらにグッと空気が張り詰めます
やや賑やかなカップルさんも居たのですがその空気は決して揺るがない神聖さです、ここ、凄いぞ...
垣の奥に三社祀られていて中央に座されているのが河合神社、御祭神は神武天皇の母 玉依姫命、玉のように美しいとされていることから美麗の神として崇敬されており女性の参拝がとても多いそうです
主殿の氣が凄くて写真なんて忘れてしまいました(*´ω`*)
その隣には高龗神を祀る貴布禰神社です
上賀茂さんで知りましたが鞍馬の貴布禰神社は賀茂社の摂社でした
そしてさらに左手に座されるのが元専女社である任部社で創建は神武天皇の頃とされており、御祭神は八咫烏命!!
ただご由緒を読むと元の専女は稲女でもあり、つまりは稲荷神と捉えることが出来る神が祀られていたとされています
また河合神社の主祭神が玉依媛命であり、八咫烏は賀茂建角身命が化身したとされているのでこちらでは八咫烏として祀られているかもしれません
かなり強い氣を感じる御神域、、、と思い調べてみると下鴨神社公式では摂社としか書かれていないのですが由緒板には神武天皇の御代よりそう遠くない頃と考えられていると書かれているのです
...?!
下鴨神社の創建年代を調べると崇神天皇七年(紀元前90年)に瑞垣修造が行われたという記録が最古なのでそれ以前とされています、となると神武東征によりこの地へ移った賀茂氏が最初の頃に祀った神社が河合神社だという可能性も無くはない?!
そして境内西側にはこちら、六社
建御方神を祀る諏訪社、八衢毘古命・八衢比賣命を祀る衢社、宇迦之御魂神を祀る稲荷社、奥津日古命・奥津比賣命を祀る竈神、霊璽を祀る印社、少彦名神を祀る柚木社です
最古の記録が1202年だそうで衣食住を司る神々ということなので上下鴨社の中でも少し異なるのかもしれません
そしてこちらが今回の葛城山城巡拝最後の神社となります
河合神社境内の真正面に正対して北向きに鎮座されている三井社、御祭神は本宮西に鎮座されていた三井神社と同じですがこちらは下鴨神社より勧請された蓼倉郷の総社だそうです
うーーーん、素晴らしかった!!
そして何より、夜明け前から稲荷山へ登拝してずーっと歩き倒して来たのにこの疲れの無さは一体何なんでしょう、、、不思議だ
とはいえ新幹線の時間を考えて河合神社からすぐ近くのバス停から京都駅へ向かったのでなんと正面参道の始点を通らぬという暴挙をしでかしたわけですがw
いやー、、、悩ましいですね、こうして巡拝を続けていると何度も参拝したい!と思う神社がやっぱり増えてきます、だけど帰省巡拝が年イチとなるとまだ参拝したことの無い神社を優先したくなってしまう
そんな中でもまた参拝することが出来るのかわかりませんが、葛城鴨社、山城鴨社ともに、何度も参拝したいと心から思う素晴らしい神社でした
私、天邪鬼なので人気スポット、観光スポットと言われるとちょっと壁を作ってしまう鬱陶しい性質なので実は京鴨社もこれまで全然参拝候補に入れてなかったんです
やっぱり、恐らく間違いだらけのw勝手に記紀考察で色々と自分の頭を使って考え、その直後に長岡で貴彦根神社を参拝し、それにより葛城鴨社へと導かれ、併せるように山城鴨社へも導かれた
だからこそ、脳内ぐっちゃんぐっちゃんですがw 色々と受け取れる事が沢山あったんだと思います
もう余りにも凄過ぎたのと、これまでちょいちょい混ぜてしまいましたが考察系はひとつ別の記事にしたいと思います
そうそう、謎多き干支詣の一言二言三言社についてはこちらで
案内板と公式の境内図を併せないと気付かないところでもあるのですが、とりあえず十二支なのに七社だったり一言~三言というのも不思議でありながらその御祭神の配置も謎なのです
うーん、うーん、と眺めていていくつか気付きました
十二支を方角に当てはめて並べると、子と午だけが単独である理由だと気付きました、ということは、そうだ! 東西が卯酉です、つまり南北で分けて東西左右で相対する干支がセットになっているようです
ではなぜそれぞれに神が異なるのか、、、
大物主神は和御魂だという説のある名
大国魂神は荒御魂だという説のある名
全てオオクニヌシの別名とされている名です
境内での社殿の並びは中央二社が一言、東の二社が二言、西の三社が三言になっているようですがなぜそれぞれが一言はまだしも二言三言に振り分けられた理由は...
うーん、、、あっ!! 一言は共に魂、二言は共に主、三言は各々ですが若き頃の名前だ!! つまり若くして国を統一しようと頑張っていた三言、国造りを成した二言、そして魂となった、つまり死後が一言という階層になって二支の位置に当てはめられている?!
じゃぁそれにどういう意味があるのかというと、、、わからん!w
しかも、何故オオクニヌシだったのか、それが最大の謎だと思うのですが、、、ここで葛城賀茂参拝が活きてくる、鴨族の祖である迦毛之大御神はアジスキタカヒコネであり、その父はオオクニヌシなので祖神の祖神が本宮前に祀られていることになります
いやいや、それがなんで?と言われると結局謎なのですが。。。w