どうも、ひのきですm(*_ _)m
今回はこちら、志那都比古神社です
高鴨神社を出て時計を見るとバスの時間まであと17分
来た時が登りで13分程度だったので間に合う♪
と素晴らしい御神氣を頂き満ち満ちた気分で道を降っていると
風の森
そう、ここは風の森と呼ばれているんだそうですぐそこに小さな風の森神社があるとマップには出ている
通り道と言えば通り道だし、小規模ならば数分でご挨拶出来る、バスもさすがに遅れることはあっても時間より先に出ちまうなんてこたぁ無いだろう
よし!! ということで向かう
と、案内板をみつけた
風の森神社と書いてあるが調べると志那都比古神社とも書いてある
ここに鎮まられているのだろうか、と覗いてみると個人宅のお墓?のようでした、すみませんm(*_ _)m
地図が示している場所はここ、でもどう見たってお墓と御堂である
無いじゃないか!! えぇぃ、もうバス停にむかっ、、、
さぁーーーーっ
負い風!? 進めと? 確かに上に見える杜が...
石段を上がると更に左奥に石段、その上が境内になっていました
まさに杜の中に鎮まられている小さなお社
不思議なことにこの日は風もあまり吹かず、峠の頂上とはいえ境内は木々に囲まれているのにここには風が流れて来る
さすが風の神
ありがとうございます
よし!!
とサクサクっと階段と坂を降りてバス停へ、時間はまだ1分余裕である
うーん、、、やっぱり時間の流れが不思議だ
私の巡拝は歩きなので参拝も歩きも時計を見ずとも大体の感覚は掴めるのだけど、この風の森ではあまりにその感覚がズレていた
そして心配していたバスはちゃんと時刻表通りに来てくれた
やっぱりさっきは遅れていたのかな(´・ω・`)
さて、こちらの情報がほとんど無い志那都比神社ですが、調べてみると一説では高鴨神社と対になって祀られていると言われているそうです
なぜ鴨さんと対と言われているのだろう。。。?
............( ゚д゚)ハッ!
し、調べなさい、ということですかね( ̄▽ ̄;)
というわけで調べ始めたのですが、そもそもが本当に対として祀られたのかどうかもわからないし情報少なき風の森神社ですから諦め半分だったわけです
まぁそりゃそうだ、全然繋がりが見えて来ない代わりに鴨族、葛城氏の流れを知っていく方へと流れ、、、かと思いきや深い深い森に足を踏み込んでしまったようだ
そもそもこの辺りを理解するには葛城氏と鴨(賀茂)氏、そして秦氏までも調べていかねばならぬ気がしてきた
いや、こうして導かれた葛城鴨三社、そして先に言ってしまうけれど京都の賀茂二社についてもお導きと感じたから参拝したわけですがだからといって事前に調べたのは主祭神と大まかな境内の広さだけなのです
だから高鴨神社が全国鴨社の総本宮であることすら記事を書くまで知らなかった(/ω\*)
そう考えると、確かに何かが降り注いでいる感覚こそあれ特にお印があったわけでもないのにこれは御札をお迎えしなければならないと感じたのも後から繋がってくるわけです(それが楽しい)
志那都比古神社がちょっとボリューム少なめだからここで調べておこうかと思ったのですが次の中鴨社、そしてその先の参拝社を調べていった上でなければ到底手が出せない領域でした(´-ω-`)
参拝記事中で解決出来なければいずれ別記事にするかもしれませんし、余りに手に負えなければ有耶無耶にするかもしれませんがw
秦氏も絡んでくるとなれば私の大好きなお稲荷様でもありますのでいずれ、、、。
...っていうか、しなつひこ...しいねつひこ...あれっ?!
調べてみると同じ神であると書かれていたりする...待って待って待って待って?!?!
だがしかし、シイネツヒコはサオネツヒコでもあり、神武天皇が椎の棹で引き寄せ珍彦から椎根津彦へと名を変えさせて導かせた神だとされています(キーワードは烏ではなく亀なんですけど)
シナツヒコはイザナギとイザナミ(またはイザナミのみ)から産まれた風の神とされており全く時代も違うし神宮の風日祈宮に祀られ神風の元となった神様ですからやっぱり音が似ているだけですかね
でも、だとしたら何故葛城山に祀られているのだろうか...なぜ風の森と呼ばれているのだろうか...
まぁ難しく考えず単純にいけば、山合の峠なので風が良く吹くので古来より神話の風の神が祀られていた、ってな具合なんでしょう
.........?!?!?!
やっぱり鴨氏と越国は繋がっていた! 確かに長岡の参拝をキッカケに今回のルートを決めましたがその前の糸魚川から繋がっていたとは!?
さぁ! 次は中鴨社です!!