どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、賀茂別雷神社の南東に鎮座される二葉姫稲荷神社
こちらも文化遺産なのかと思いきや本殿・権殿の重要文化財看板でした、なぜここに( ´ 〜 `)?
さすがお稲荷様とも言うべきか、参道を登りきると急に空気感が変わります、そしてこちらは、、、八嶋龍神?!
祭神御由緒がありました、とても助かります
廃寺となってしまった神宮寺境内の辨天嶋に鎮座されていた龍神様をこの神宮寺山に祀ったのだそうですが、ここよりさらに南150mほどまでも元は賀茂別雷神社の境内だったんですね
廃寺となり池が埋められてしまうと多くの村人たちの夢に龍神が現れたことからこちらへ辨天嶋の岩を遷し磐座としたそうです
そしてさらに社殿が並びます、手前は天之斑駒神社
他に 駒 と付く稲荷神社もあるのですがなぜかこの時に御馬様の御姿が頭に浮かんだのですが、、、調べてみるとまさかの、スサノオが皮を剥ぎ投げ込んだ馬のお名前でした
そのお馬がなぜここに?! ここでふと思ったのですが、、、っと、これは後述にしましょう
中央はなんと凄い威を放つ金毘羅大権現、そして脇には不動明王がいらっしゃいます、あまりの覇気に撮影を忘れてしまうほどでしたが、中央に座されている事から元よりこの山に祀られて(安置されて)いたのではないでしょうか
そして右手がお稲荷様ですね
日陰になり静かで暗い雰囲気ではありますがとても華やかで見た目ほど暗い感じはありません、いや、実際に暗いんですが、受ける感覚がという意味です
ただやっぱり、この四社はどちらもとても重厚な氣を放たれていてその大元はこの背後の山のように感じました
参道は反対側へと続いています、これは、、、という感覚がありながらも降りていくことにしました
光善稲荷大明神の磐座、勿論御由緒等はわかりませんでした
はい、予感は的中!! どうやらあの小川を渡ったところから境外だったようですが、それなら何故小川の先に重要文化財看板が立っていたのかw
思いっきり住宅地の中へと出てしまい苦笑いしつつ、戻るよりも表から入り直すことにしましたw
さて、調べてみると残念なことに二葉姫稲荷は怪しげだとか心霊スポットだとかいうコメントが散見されますが、私にはそういった氣は感じませんでした、寧ろお社にも小山自体にも宿られている神聖な場所です
だからこそ、"そういった"気持ちで参拝すると"そういう"印象"を受けてしまうのではないでしょうか
二葉姫稲荷神社は片山御子社の神宮寺鎮守として創建されたとあります、その神宮寺は820年に勅令で建てられたとありますその鎮守なので同じ頃ではないかと思われます
二葉は上賀茂神社の社紋 双葉葵 であるとも思えますがこちらは摂社にはなっておらず、ただ境内を接していることから神宮寺が廃寺になったので正式な摂社とはしていないけれど関係は継続されている感じでしょうか
ただ場所により付いたり付いてなかったりする 姫 の由来についてはやっぱり謎で、その辺りが御神域の雰囲気ともあわさって様々な憶測を呼びやすいのかなぁ、なんて思ってみたり
まぁ私は見えたり聞こえたり出来ませんのでわかりませんが、それでもやっぱり凄い場所には凄い来があってその種類も様々
同じ神聖でも穏やかな所もあれば厳格なところもあるわけで、特に神山やお稲荷様には厳格な性質を持ってらっしゃるところが多い
幸いというか、まだこれまで一度も拒絶ほどの圧を感じたことは無く、またご挨拶をすると空気感が変わることも多々あります(勿論、ご挨拶をしても厳しいままのところもあります)
つまりは、しっかりとしたご挨拶もせず"そういった"気持ちでズカズカと御神域に踏み入っていけば圧を感じるのも当然であり、もしかしたら、そういうので追い払われる事もあるのかもしれませんね
このお山は片岡山とも呼ばれるそうで、神宮寺が廃寺になってから呼ばれ方が変わったのかもしれません
そして天之斑駒について
勝手に記紀考察でも書きましたが、いくら横暴粗野なスサノオでも生きたまま馬の皮を剥いで姉の部屋へ天井から投げ込むなんてことをするでしょうか、いや、さすがに有り得ないのです
つまりは何かの比喩であることは明らかでそう書かれてしまうほどの度を超えた行為があったのだと思っていたのですが、ここで今宮神社を参拝したことがキッカケで思いついたのがこれです
スサノオは牛頭天王であり厄神として恐れられていました、これがキーポイント!!
生き馬が皮を剥かれ、巫女は驚きでホトを負傷しなくなる、そいて天照大御神は隠れられた
つまり、何らかの疫病により天照大御神が崩御されたことを厄神スサノオと馬で表し、巫女が亡くなったということにしているのではないか
もっと言えば、天照大御神という神と人を繋ぐ祭祀王、つまり巫女が疫病で亡くなった為に神降ろしが出来なくなり、さらに疫病が蔓延していったという読み解きが出来ます
であれば、皇祖神(祭祀王)にまで及ぶほどに蔓延した疫病を鎮めるため八百万の神々が新たな巫女を探すも厄災を抑えることが出来るほどの巫女が見つからず、漸くその力を持つ巫女が現れた、それが天鈿女命だった
つまり、岩戸開き以降(もしかしたらそれ以前も)に天照大御神が出されていた指示というのは全て、祭祀王が神降ろしによって受けていた託宣だったのではないでしょうか
後の神功皇后もまた皇后であり祭祀王でもあったと私は考えており、実際に(と言っても良いかと思いますが)託宣により数々の大業をなされています
なんと上賀茂さんの参拝でこの解釈が生まれるとは思いもしませんでした(*´ω`*)
さて、ここで突然のメシ、、、いや、菓子テロ、じゃん!
京賀茂名物 やきもち!
要は表面が少し焼かれたあんころ餅なわけですが、私のファン(居ない居ない)ならばご存知、安永餅やなが餅など表面を軽く焼いたあんこ餅の類が大好きなんですよね(*´▽`)
これ、めっちゃ美味いです! 甘さも丁度よく餅感もとても良い、そして薄ら香ばしさがまた良い(*´▽`)
オススメです!!