どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、今宮神社です
船岡山を後にした私はてくてくと北へ向かって行きます
目指すは今宮神社
地図で見た時に、あ!福男で有名な?! いや、あれは兵庫か、、、じゃぁあれだ!!えべっさんの!! いやいや、あれは今宮でも今宮戎さんで大阪か、なんて呑気に考えつつ道中だからというだけで巡拝コースに入れていたんです
暫く歩くと、、、ドン⛩
あ、、、あれ?
実は凄い神社を連拝していたことで若干の御神氣当たりといいますかw まぁ所謂体力の疲れとは違う疲労感がありましてw
その後に控える凄い神社に向けてちょっとホッと出来る神社だと勝手に思い込んでいたんですね
ほんと、物を知らないってある意味で罪ですね
そしてもう暫く歩くと、、、デデン!!
この時点で覚悟しました、、、この日の巡拝最後の目的地は絶対に無理だと
今から向かう神社は絶対に凄い、、、簡単に参拝を済ませるような神社ではない、そしてそれはつまり、私がこの日組んだ順路は時間的に距離的に規模的に不可能なコースだったようだ
件の鞍馬山→稲荷山を断念した以外ではこれまで数々の無茶コースを予定通り参拝してきたので舐めていましたね...というわけで呼吸を整えつつ境内図を検索してみるとかなりの規模である
それでも頑なに由緒を調べないところがいかにも私らしい←
う、うぉぁうぁおぅう...す、すごい。。。
こんなただ事ではない神社なのになぜこんなに人が居ないんだ?!
大己貴命、事代主命、奇稲田姫命の三柱が祀られています(そして由緒は読まないw)
三世代が祀られているということになりますがスサノオ不在でクシナダヒメが祀られているのは少し珍しい気が?
美しき楼門を潜ると、、、やはり広い! ! そして氣の流れが凄く温かい?!
右手に美しい手水舎があります
こちらは謎の勘に従って主殿へ先にご挨拶します、、、って!?
立派な拝殿だと思ったのが、いや、こちらは拝殿なのですがなんとその後ろに本殿が、つまり外拝殿のような形と言いますかね
拝殿の後ろへ回ると立派な御本殿が、、、二社?!
右手が本社で東御座に事代主命、中御座に大己貴命、西御座に奇稲田姫命が祀られています
なんと居心地の良いことか...規模が凄いながらも凄い安心感に溢れた御神域は畏みつつもとてもリラックス出来ます
そして左手が疫社、そう、素戔嗚命!! こちらにいらっしゃった!
そういえば読んではいないけれど由緒板に疫病の文字が見えていましたが京でスサノオといえば疫病避けの祇園というくらいとても有名です
いやはや、やはりというべきかこちらの神前は空気感が全く違います、前に立ち疫社という名を見て御祭神を察するよりも前から凄い氣が渦巻いておりました
そして境内社もたくさん、こちらは織姫社で天天忍穂耳尊と結婚して火明命と瓊瓊杵尊を産んだとされる栲幡千千姫命が祀られます
こちらは、、、井戸?!
と、この右手には今宮の奇石と呼ばれる阿呆賢さんがいらっしゃったのですが前の方があまりに長かったので後で、、、といってそのまま忘れてしまいました(ノ∀`)アチャー
おもかる石でありながら、病気平癒を願いながら阿呆賢さんを撫でた手で身体の悪いところを擦れば回復が早まると言われているそうです、、、ふともも撫でれば良かった!!
こちらは八社殿、大黒社、蛭子社、、八幡社、熱田者、住吉社、香取社、鏡作社、諏訪社が合祀されています
鏡作社? と調べてみると想像通り、、石凝姥命が祀られているようですが天照国照彦火明命と天糠戸命も祀られているようです
八社の隣から八幡社、牛頭天王と八大王子(五男三女神)を祀る大将軍社、そして大山咋神と大物主神を祀る日吉社
そして一際存在感のあるこちら、左手に見えますが中央に鎮座されるのが伊邪那美神を祀る若宮社
すみません、参拝時は良く分かっておらず、にしてはやけに凄い氣を感じるな、と思っていたのですが、、、待って、調べると右手は加茂斎院、賀茂大神に最王として奉仕された歴代皇女が祀られているというのです
そう、斎王制度によって皇女が巫女として奉仕したのは伊勢の神宮と賀茂神社だけなのです、その賀茂の斎王がここに祀られていた!?
いやはや、、、そりゃぁ一際凄い氣が放たれていたわけです
そしてなぜイザナミが若宮?と思ったら薬子の変で処罰された御霊を鎮めるための神社だからのようです
こちらは宇迦之御魂命を祀る紫野稲荷社
織田稲荷社は稲荷でありながら信長公と家臣を祀るとあり、本能寺の変後に信長公と家臣を葬ったとされる阿弥陀寺が後に移されその跡地に祀られた稲荷社だそうです
さぁ、、、
少し逡巡するも、行かねばならぬ、太ももを堪えて!!
こちらはその階段からか境内にいらっしゃる人のうち僅かしか行かれていませんでしたw
だが、行かねばならぬ!!
あぁ、、、なんと涼やかな風
そして石段の先に祀られるお社
月読尊が祀られる月読社です
なんとまぁここだけが今宮神社の境内の中で空気が違う御神域になっていて スンッ としているのである
この石段を上がった者だけが肌に感じられる不思議な感覚
あ、大袈裟ですね、はい、太ももさえ万全ならさしたることもない石段でございます
ツクヨミ様が祀られる神社はかなり少ないので貴重です
そして神馬舎
こちらが東門で、こちらの参道は名物あぶり餅屋の風情ある建物が並んでいます(閉まっていましたがw)
いやー、ボリューム満点で素晴らしい神社でした(*´ω`*)
それでは御由緒を(*´ω`*)
平安京遷都によりどんどん栄える京の街でしたが疫病に悩まされ各地で御霊会が行われる中、994年に遷都以前よりこの地に祀られていた厄神が神輿二基に乗せ船岡山に安置、紫野御霊会となりました
しかしまたしても疫病が流行したことを受け1001年に船岡山より厄神が降ろされ再びこの地へ祀られ、さらに本社として三柱を創祀して今宮神社となったそうです
そうか!! どうりで疫社が凄かったわけです
そこへさらにスサノオの御力を得るため御子神と奥方を併せ祀ったということでしょうか、ただなぜそちらが本社となったのかはよくわかりませんね
またこちらは桂昌院からの崇敬が特に篤かったことから玉の輿神社とも呼ばれているそうです
ちょっとイメージ的にはアレですけどね^^;
牛頭天王信仰は平安時代より始まったと言われており、となると遷都と共に京の町に浸透したことになりますが、この地には遷都前から厄神様が祀られていたといいます
つまりは都となり人々が増えて行く中で元より祀られてきた厄神・御霊信仰が強くなっていったということでしょうか
実は以前に一度だけ八坂神社を参拝したことがあるのですがまだ神社巡り前だったので何も調べて居なかったので知らなかったのですが八坂神社の創建は1200年だと伝わっているようです
牛頭天王信仰も平安期より始まったと言われており、その頃から牛頭天王とスサノオが習合されたようですがでは厄神は?
厄神は陰陽道から始まっているのではないかと言われています
陰陽師といえば安倍晴明、安倍晴明の師匠は賀茂忠行、賀茂忠行は大田田根子にも繋がる三輪系賀茂氏
さすが賀茂の地、どちらを参拝しても繋がってきますね(自分で無理やり繋げている感もあるw)
さて、ここで完全に諦めたこの日最後の目的地、それは実は日向大神宮でした
分かる人には分かる、なんて無謀な計画を立てていたんだろうw
稲荷山に登らず早朝からこのルートで動いていたらまぁ間に合ったでしょうけれどもまぁそれはそれ
さぁ、次はいよいよ!!
と歩いて行くのですがさすが京の町、マップで出てきていなかった神社へと誘われるのである