※ 古事記を中心として日本書紀、旧事本紀、ほか神社や地域等の伝承をまじえながら私の感覚だけを元にして勝手に読み解いていくだけの記事なので裏付けも整合性もありませんし、勿論着地点も用意せずに突っ走ってきました
どうも、ひのきですm(*_ _)m
初回より毎度 この記事で完結 と思いながら書き綴ってまいりましたがとうとう第五回にまでなってしまいましたw
こんな勝手な考察にここまでお付き合い頂いた方がいらっしゃったら、心より感謝を申し上げます
先に言っておきます、五回も長文を綴ってきてたどり着いた答えはとてもシンプルなものでした、ただ、ここまで回り道をしえ紐解いて来なければたどり着けないものでした
最後まで読んで、怒らないでね(てへぺろ)
それでは参りましょう、第五回
なぜアマテラスだけが皇祖神なのか
「記紀ってスサノオがメインじゃない!?」「あれ?じゃぁなんで皇祖神アマテラスの記述が少ないの??」「あれれれれ?スサノオも皇祖神じゃない???」ということで読み解いてきました
なぜアマテラスなのか、イザナギではダメだったのか、それまで祀られてきた始まりの神 天之御中主神(国常立神) ではダメだったのか、逆に天孫降臨で降りてこられたニニギではダメだったのか、そしてスサノオではダメだったのか
そう
ダメだったんです!!
この国の祖とするのに大きすぎて遠過ぎる神はぼやけてしまう、はじまりの天皇である神武天皇だと近過ぎてしまう、つまり派遣を指示し息子たちにこの国を作らせたけれどその存在に直接性の無いアマテラスこそが適任だったわけです
日本書紀では高皇産霊神が指示を出していましたが古事記で天地開闢の神とされているので除外されたと思われます
最初に降りてきたニニギも適任と思われるのですが統治したけれど実際に勝ち取ったのはタケミカヅチです
それにニニギは高千穂から始まっています、、、そう、ここです
私的考察、スサノオもアマテラスと並ぶ皇祖神であるにも関わらずなぜアマテラスだったのか、その原因がここにある!!
実は前回が終わった時点ではどこに着地するのか見えていなかったのですが散々あれこれ散々考えてきたのにこの回を描き始めようとしたその時に突然 ストン と答えが降りてきまして、あ、なんだぁ、ここまで深堀りしなくても気付けたじゃん…と自分でびっくりしたのです...w
ただ、もっと早い段階で ポンッ と気付いてしまっていたらここまで記紀を繋げながら掘り下げることもなかったでしょう、とても良い機会でした
あ、勿体つけすぎですか? すみません、でもその答えは単純明快過ぎてほんとごめんなさいです
なぜ判断基準を曖昧なままに血脈、皇祖神がアマテラスとされたのか、なぜスサノオは曖昧なままに残されたのか、その答えは
スサノオが出雲王朝を作ったから
そう、それだけなのです
実際のところ、現在の血脈がアマテラスでもスサノオでも良いんです、ふたりでも良いんです、ただ先にスサノオが出雲で王朝を築いており、アマテラスはその出雲を倒した後に高千穂を経て大和へ至り、神武天皇の即位を産みました
ここでひとつ、私の考察では高千穂王朝は出雲王朝を倒してはおらず、勝負に勝ったけれど両立の道を選んだ、だからこそ出雲に宮を建てオオクニヌシを祀り、出雲から遠く離れた高千穂に新王朝を開くことを選んだ
前回書きましたが、新羅経由で降りてくるのに出雲を除くと丁度良い場所で、しかも既に三女神が九州に住んでいたのです
やがて中央を目指した伊波礼毘古が初代天皇となり建国(倭国かな?)したのですが、その時に大きなヒントが書かれていました
イワレビコ改め神武天皇は高千穂での妻 アヒラヒメが居たにも関わらず皇后に相応しい少女を探すといい新たに妻を迎えます
ここ、ここです、凄い違和感を感じていたんです、自分を支えてくれていた妻が居たのに即位したらもっと良い女を娶る、支えた妻は皇后ではなく側室かなんかに格下げ?! ジンムめっちゃ無礼者やんか!!と思ってたんです(←お前が無礼だ)
神武天皇が皇后として迎えたのはヒメタタライスケヨリヒメ、日本書紀でのヒメタタライスズヒメです
そしてイスケヨリヒメの父は古事記に大物主、日本書紀・旧事本紀に事代主だと書かれています
古事記では大物主について詳しい記述が無く、日本書紀では大国主の和御魂(つまり同じ神とも言える)だとされている、そして事代主は記紀どちらも大国主の子とされています
つまり、、、神武天皇は統治王として大国主の子孫を祭祀王として迎えたということになります! そう、葦原中国を中央から広く治めていくのに元同族国である出雲族の協力が不可欠だったのです
だからこそ高千穂の姫ではなく出雲祭祀王の妃が必要だったのです
なんと高天原で一旦別れたアマテラスとスサノオの血が国譲りの対決を経てここヤマトで再会し交わるのです!!
皇祖神がスサノオではなくアマテラスだった理由、それは同血族ながら氏族として高千穂族に優位性があったから、そして負けたはずの出雲族の祖スサノオが消されることなくしっかり残されているのは出雲族への配慮ではないでしょうか
高天原での悪童っぷりだけが際立つのは、出雲族には直接的に関係無い過去の事、悪く書かれていたとしても出雲に来てからが素晴らしく書かれていれば皆悪い気はしないでしょう、何よりも直接的なトップであるオオクニヌシはしっかりと祀られています
ちょっ、、、ちょっと、記紀、凄くない?!
いや、まぁ勝手な妄想ですけれども、こういう読み解きが出来てしまう記紀の凄さ、そして何よりこれが現実だったらそれこそが "現実は小説より奇なり" ですよね
折角なのでここでもう一押し
情報が無さ過ぎるのに重要極まる謎の神、それが倭大国魂命
宮中にて皇祖神 天照大御神と共に祀られていた神です
そんな重要な存在なのにこの場面でしか登場せず正体がわからないだなんて絶対に隠されてるでしょ!! でも隠れてないですよね、倭とついてはいるものの大国魂ですもの、大国魂といえば大国主しか繋がりませんよね(そこはスサノオであってほしかったw)
宮中には高千穂族の祖アマテラスと出雲族の祖オオクニヌシが祀られていた、崇神天皇は二柱の御力が怖くなり宮外に出してしまった、、、と思い、ふと崇神天皇の項を読んでみたらなんとびっくり
古事記にはいつからどころか二柱を宮外で祀った事すら書かれておらず大物主を祀るところからスタート、ですが日本書紀には書かれていました
まさかの、疫病を収めようとした崇神天皇が最初に二柱を祀り、そして自分で祀っておいてその御神威が怖くなったので外で祀るようにしたんですって、、、なんてこったい ┐(´д`)┌
でもそれでもうちょっと分かってきた気がしました
完全に妄想です
天照大御神の斎主は皇女であるトヨスキイリヒメから同じく皇女であるヤマトヒメに引き継がれ問題無く伊勢へ
倭大国魂神の斎主も同じく崇神天皇の皇女ヌナキイリビメに任せたら突然髪が抜け落ち痩せ細ってしまった、代わりに倭大国魂神の直系子孫であるイチシノナガオチを斎主としたら落ち着いたのです
あれ?オオクニヌシの子孫ではない?
それでも疫病が収まらないところで「そもそもワシを祀らにゃはじまらんぞぃ(収まらん)」と言われた大物主を直系子孫オオタタネコに祀らせることでやっと疫病飢饉が沈静化したのです
大物主は大国主、出雲族の祖ですから高千穂族の祖だけを祀って出雲の祖を蔑ろにするんじゃなぃ!協力体制やろ!!ってことでしょうか
となると倭大国魂神とは? 直系子孫も名前が出てきたのみ、ということはそれこそそのままの意味で神武天皇が倒したも旧倭の王(族長)もしくはその祖の事ではないでしょうか
もしかしたら長髄彦だったりして? まぁそれは置いておきましょう
とすると疫病飢饉って?
人口の半分が失われる疫病って凄すぎますがペストの死者率が欧州全体で30~60%、地域によってはそれ以上と言われているので日本の人口といっても王権の及ぶ範囲内でのことと限ればありうる数値ではあります
でも疫病を鎮める為にと自分で祀った二柱をなぜか急に恐れて外に祀るというのがやっぱり気になっていて、しかもその一方が祭祀に強いオオクニヌシではなく別人だったとなるとこれまた話が繋がらない
〇国を治める〇国主、その中でも強い勢力を誇るのが〇大国主、そのトップたるのが〇もつかない「大国主」であり、既に御魂となっていると大国魂命、〇大国魂命となると考えれば?
神武天皇が倒した元倭国の王(長髄彦?!)もしくはその祖の事を指しているのではないでしょうか
国民の半数が死に至るほど大規模な反乱が発生して困り果てた崇神天皇は元倭族の祖を祀ってあげるからさ!と持ちかけたけれど豪族側が納得しなかったので改めて子孫(つまり後継者)に地位を用意して和解
だがしかし一番大事な出雲族が収まらなかったので改めてそちらの子孫にもしっかりとした地位を約束したことで漸く事態は収集した
これこそが倭国大乱なんじゃない?!
アマテラスとヤマトオオクニタマを祀ってアマテラスを祀らなかったのはもしかしてこの時点で既に出雲族排除が行われていたからではないでしょうか(この背景を調べると終わらないので省略!!w)
ちなみに時代計算してみたのですが、大きくズレるはずの年代を有り得ないほど長い天皇の寿命が正常な数値になるよう調整してみるとこれまた倭国大乱とは誤差といえる程度にほぼ近い年代になったんです
もしこれが正しいとなれば皇紀がグッと短くなってしまうわけですが上述のようにそれでもギネスに影響はありませんw
そしてもしこの通りだとすると、これこそほんとに記紀からスサノオと出雲国のことを締め出すわけにはいきませんね
しかも諸説の謎を組み合わせていくと倭を治めていた豪族もまた出雲族だった可能性がある、つまりはずーーーっと出雲族と高千穂族という天孫族同士で協力しつつ壮大な勢力争いをしていたということになります
そしてスサノオが出雲に降りて最初に治めた八国のうち少なくとも一国は天津神オオヤマツミの子孫であると書かれているわけですから、天孫族は出雲よりも前から葦原中国に住んでいたことになります
母の住む根の国を目指して出雲に住み着いているスサノオを考えると、根の国は葦原中国の一部だった可能性があり、そうなってくるとイザナミを追い掛けてイザナギもこの国に足を踏み入れていたと考えることが出来ます
であれば祖父?からその話を聞いていたオシホミミはそんな所へ行きたく無いと断っていたのかもしれませんね
というわけで全五回にも渡った勝手に考察の結びとしようと思ったのですが...やっぱりおかしい
やっぱりひとつの疑問が消えない
高天原でヤンチャだたけど出雲ではしっかりやって出雲王朝と子孫を残した、つまり出雲の祖はスサノオ、、、にも関わらずなぜか出雲で主として祀られているのは子であるオオクニヌシ
そしてオオクニヌシはスサノオの子とされているけれどやっぱりなだかんだで戻って来て出雲の王として認めて貰う、というか奪って認めさせている
あっ
...まだ終われなかった(´・ω・`)
つづく