どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、大穴持像石神社です
さて、楊田神社を出てどこで曲がるかをマップで確認していると、行く先に 羽咋市応急仮説住宅 と書かれている
ルート策定の時にはそこまでアップにしていなかったので気付いていなかったのです
まずい、これはまずい
そう、東日本の際もそうでしたが仮設住宅というのは最もデリケートな地域です、特に地元の方であっても理由無ければ出来るだけ近付かないようにしているエリア、そんなところを余所者が近付いて良いわけが無いのです
別ルートを見ると行けそうではある、そっちを周るか、と思ったその時、さぁーーーっと坂上から優しい風が来た
今考えてもなぜだかは全く分からないのですが、大丈夫だから通りなさい、と言われているように感じました
そして何故だかわかりませんが安心して坂を上りました、ほんと、それが何故なのかは今でもわかりません
坂を曲がり登ってゆくと目に飛び込んできたのは美しい桜並木、そして今建設中の仮設住宅でした
あぁ、良かった、まだ避難者はいらっしゃってない、もうすぐ完成しそうかな? その頃には桜は散ってしまうだろうけれど、周りに何も無くてもこの素晴らしい場所で少しでも安心して暮らしていただけらたいいな
春とはいえしっかり照り付ける陽射しの中頑張っている工事屋さん達には目を向けないようにしつつ心の中で ありがとう と
ふと気付くと、、、ええええええっ、通れなくなってるっ?!
891ってなんだよぉぉぉ(´;ω;`)
あっ、891、はくい、羽咋か
そういえば私、最初は 羽昨 はさくorはねさく だと思ってたけど変換出なくてなんて読むんだぁぁぁってなってたんですけどふと 日 ではなく 口 である事に気付いて 大山咋命 の 咋 だ!! くいだ!!って気付いたんですよねw
いや、そうじゃなくて、、、来ちゃっても大丈夫だったけれど結局戻るんかぃっ!!(近々完成しそうなので車で通過は大丈夫だと思いますけど歩きの方はお気を付けくださいね←多分居ないと思いますけど)
と、仮設住宅地の敷地だと思い込んでいた一歩隣が道だったことに気付いた、なんだぁぁぁびっくりしたw
停まっている工事屋さんの車は地元の石川や金沢だけでなく福井、富山、そして山口、、、山口!!(長野もあっただろうか)
天日陰比咩神社でもおっしゃっていた、砕石を運ぶダンプの運転手さんも各地から応援に来てらっしゃると、もしかしたらあの山からこちらにも運ばれたんだろうか
まだ働いていたりお昼休憩で寝ている人達に心の中から ありがとぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおお と叫びました、それはもうイメージでは飛び跳ねながら手を大きく振って!!(能登の人、特に被災者さんならわかるけど観光客がやったら完全に変な人w)
溜池なのかこれから田植えが始まる田んぼなのかわかりませんが、凄く長閑で最高である(*´ω`*)
そして辿り着いたのが大穴持像石神社です
もう完全に名前だけで参拝を決めていた神社なのですがここはもうほぼ氣多大社間近なのにも関わらずなぜ羽咋駅からバスで上がる事を考えず途中の神社はスルーの予定だったにも関わらず千路からはるばる歩く事を選んだのか
全く意図はしていませんでしたが、素晴らしい町を歩き、自然を感じ、、素晴らしい人と出会い、素晴らしい二社を参拝した、それが答えです(*´ω`*)
こちらがご由緒です
石川神社庁の由緒と併せると、創建は由来は分かっていませんが860年に宿那彦神像石神社と共に官社に列したというのが最古の記録で後に延喜式にも記載され国幣も与えられていたという
なんと!! 千路よりもひとつ前の金丸駅近くに少彦名命を祀るまるでセットのような社名の神社があるんですね!! そちらの方が御由緒多く書かれていましたのでセットだと考えて由緒を置き換えてみると…
神代の昔、大名持命は少彦名命とともに能登国を巡行し多気倉長命と力を併せ国土の平定開発に神功をたて、その霊を神石に留めて奉安した神社である、というところでしょうか
像石神社ってどういう意味だろうと思っていたのですが、神霊を宿した石という意味なのでしょうね
...ん? 多気倉長命...?
それでは参拝、うん、やっぱりこちらも素敵な水盤です
大穴持命の神霊宿る要石、要石というとどうしても鹿島香取の深く地中に刺さるというものを想像しますがこちらは埋まっている感じはないのでやや平たい感じでしょうか
うーん、特段の何かは感じられませんが、元々かもしれない小石は乗っているもののお金は乗っていない(あれはほんとにやめて欲しい)、そして綺麗に掃除されていますね
亀石があっても地震は来ます、でも要石が無かったら、要石が粗末にされていたら、もっと大きな地震が来てもっと被害が出ていたんじゃないか、と思わせる神聖さがある、だからこそ古来より今に至るまで大切に守られているんです
こちらが御社殿、いやーいいですね、由緒にも書かれていましたが雰囲気がとっても素敵です
御祭神は大穴持神、つまり大己貴命ですが少彦名命も合祀されているようです
広くはなくとも まさに社叢 という木々に囲まれ、シンとした中でのご挨拶、とっても気持ちがスッとします
ふーっとひと呼吸、そこで何かに惹かれて社殿左手を覗いてみるとこちらがまた素敵な木がありました
おっ、これは社殿が一周出来そうだ
ね、わかります? すっごく素敵なの(*´ω`*)
本殿の左斜め後ろも
本殿の真後ろも
本殿の右手も、凄く力のある美しい木
どれがタブノキかわかりませんが、凄く素敵な境内です
よし、次はいよいよ氣多大社です!! っと、、、黒い影が...
ゆっくりとこちらへ
あ、止まった
ちょろちょろちょろちょろ...いい音が響きます
近付くと垣の上へ、そしてさらにゆっくり近付くと垣の向こう側へ降りてしまいました、さすがにそうそう触らせちゃくれないな(*´ω`*)
さて、気になった多気倉長命について調べてみると、宿奈彦神像石神社と同じ中能登町金丸に鎮座される能登生國玉比古神社の御祭神と出てきました、七尾と同じ社名ですが御祭神が違いますね
上述のように大己貴命、少彦名命に協力して国土を平定したため能登の国魂神とされており、その娘 伊豆目比売命が少彦名命に嫁ぎ、その子 菅根彦命が金丸村村主の遠祖であり、今でも神主家はその子孫だとされているそうです
ただ、、、石川神社庁には多気倉長命の娘 市杵嶋姫命(又の名 伊豆目比売命) と書かれています
!?!?!?Σ(゚д゚;)
さらっとしか調べれていませんが、少彦名命の妻について触れられているのはこちらの社伝だけのようです
だからといって 間違い と断ずることも出来ませんが、市杵島姫命には天火明命と結婚しているという説があります、そのあたりも絶対というわけではありませんので、もしかしたらスクナヒコの正体が...なんて可能性...も?