どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、洲崎神社です
はい、もう幟が見えていますね、白龍龍壽社と書かれています
いや、違うんです! 確かに白鷹大神と白龍神社は折角の辰年だしっていう気持ちで選びましたけどこちらはマップ上では 洲崎神社(廣井天王社)となっていて龍神様だとは思わなかったんです!
しかもこれまた想定外な境内の広さでうわぁっとなりましたが、それでは参拝していくぅっ!!
まずは御祭神確認、おおっと、、、結構いらっしゃる
稲田姫命は当然として五男三女神も祀られている!! さらに石神、布都御魂、道祖神、そして猿田彦命、天鈿女命が相殿となっています
っと、色々と気になりますが後にしましょう
こちら、元旦とあって中々活気があってこの規模の神社にしては参拝客が少しまばらな気はしますが常に人が来て入れ替わる感じなので物凄く最高の状態ですかね
もう境内全体から滲み出ている居心地の良さが手水舎にも溢れていますが、それでも各社殿前はピシッとした氣が流れているなんともバランスの素敵な神社です
境内東側は奥まで緑道というか杜というか遊歩道のようになっています
参道を進むといきなり縁結びの神が祀られています
社殿は無く磐座が祀られています、こちらは道祖神として祀られる猿田彦命天鈿女命夫妻が御祭神です
どうも縁結びとして参拝する場合は本殿にご挨拶し、石神にご挨拶してからこちらへお参り(お供え)するようです
多分私、にっこにこしてただろうなぁ、、、w どうです、この素敵な参道!! 雅楽が流れていて途中の初詣用仮社務所前からは焚き火の煙が参道に沿って流れている、その匂いがまたなんとも言えず好き(*´ω`*)
真っ直ぐ進むと本殿です、主祭神の10柱が祀られています
やや暗がりになるからではないでしょう、ご神職様とうかお手伝いの氏子さん達、つまりおっちゃん達のにこにこした明けましておめでとうございま~すの声、そしてこの雰囲気で和みに和んだ心が社殿前に来ると一気に締め付けられます
あやうく子供の頃に近所の氏神様へ遊びに来ている、つまり親戚の家にでも来ているかのように伸びやかになっていた心身をビシッと正してご挨拶
ちなみに社殿左右など境内各所に十二支が祀られていますので自分の干支を探して参拝することが出来ます(*´ω`*)
社殿右手は人が多いのでその先へ、美しい木の下には...
こちらにいらっしゃった!! 白龍龍壽社!!
こちらもまた本殿と同じくビシッとした雰囲気で社殿内はさらにしっかりとした御神氣、まさに狐穴や蛇穴という雰囲気だと感じたのは決して勘違いではありませんでした
視界を遮っていた前の人たちの参拝が終わり自分の番になると目の前には沢山の蛇、特に中央には二匹の蛇が左右からとぐろを巻いて中央に宝珠を抱いている
あまりの雰囲気に圧倒されて写真が撮れず、そして左右まで見れなかったのですが検索すると両脇に蛇石も奉納されていました
完全なる蛇信仰!!
そう、この時はまだ蛇についてまで考えがいっておらず、白龍神社も本殿に龍神様も祀られていて奥宮はそれと別に白蛇様だと思っていたので(なぜ?とは思っていましたが)完全な蛇神様を祀る龍神様ということでここで初めて白龍神社の不思議にも気づいたのでした
そして本殿と白龍様の間に鎮座されているのが石神様です
太鼓橋のようになっているところへ寝そべって小さな赤い鳥居をくぐり抜けるのだそうですが、その先に書かれているのは石神 同祖 猿田彦大神と書かれているのです
でもやっぱり謎が多い、やはり後で触れましょう
手前の方まで戻り正面左手の主鳥居から進んだところに境内社が並びます
佛社、泰産社、弥五郎社、秋葉社、稲荷社、住吉社、船玉社
佛社は神仏習合の名残かと思ったら大物主命が祀られている可能性もありそうです、泰産社は木花咲耶姫命が祀られるようです、弥五郎社は後で触れます、船玉社は弟橘媛命?!
荒れる海を鎮めるため海に身を投げて夫日本武尊を救ったとされる弟橘媛命が祀られているのは草薙剣が祀られる熱田神宮がある名古屋だからかもしれませんが、元はこの近くまでが海だったり堀川があったりさらに住吉様と並んでいること考えると普通に航海安全を司る船玉神でしょうか
社名を書いてくださっているだけでも有難いのですが御祭神名まで書いてくださっている神社さんの有難いこと有難いこと
ちなみにこちらの末社殿向かいにあるテントが固定されてしまっている普通の木、なぜかとっても優しい風を感じました(*´ω`*)
そしてふたつの参道の間には不思議な遥拝所がここから各方角へ伊勢神宮、明治神宮、橿原神宮、宮城を遥拝出来るようになっています、、、みやぎ??? いや、みやしろですよね
調べてみると きゅうじょう でしたwww 一般的に天皇のいらっしゃる皇居を指すそうで明治神宮と同じ方角ということは現皇居ですね
いやーーー、ほんと、柳里神社か白龍神社くらいの小さな神社を想定してきていたのでこれだけの規模でびっくりしました、そして初めて来たのに昔懐かしいほどの居心地が良くてそれにも驚きました
本当はこの後も二社参拝予定だったのですがこちらの規模を見た時におかんとの待ち合わせに間に合わなくなるので諦めましたw
さて、調べていきます!!
創建は860年頃と伝わっているそうです、廣井天王牛頭天王社として創建され元は栄一丁目全域が境内だったというのでとんでもない広さだったことになります
そして謎の相殿ですが、明治期にこの辺りの地主神を祀っていいた石神社が合祀されたのだそうですがその崇敬者も多かった事から鳥居が分けられ本殿合祀ではなく境内を分け合うようにして祀られているのだそうです
はて、、、それでは謎が解決出来ていません
そもそもイシ神社なのかイシガミ社なのか、そして道祖神=猿田彦命(天鈿女命)というのも分かるのですが布都御魂は一体どちらに行かれてしまわれたのか
布都御魂ってそもそもタケミカヅチの刀神じゃなかったっけ?と調べてみるとやはりそうでしたがさらに、という伝承がありました
東征にて長髄彦に敗れた神武天皇の元へ高倉下ッが持参したのが布都御魂! そういえばそうだった! やがて布都御魂は物部氏、穂積氏の祖とされる宇摩志麻治命によって宮中で祀られ、やがて石上神宮に移され御神体となっている...物部!! っていうか石!!
むむむ、、、勝手に考察が頭を模たげてきましたぞ。。。
そうなんです、道祖神は石祠で祀られることが多いので石神社とされていても不思議はない、でもサルタヒコと共に神名を並べ、っていうかサルタヒコとするならば社名は他にいくらでもあったはずです
それに由緒板にしっかりと布都御魂と書かれているのにどこに祀られているのかまるで存在していないかのように書かれていない
というか元々地主神を祀っていたというのですが猿田彦の本拠は伊勢とされていますのでいくら海を渡ってすぐだと言っても地主神だとは思えない
伊勢神宮の正式参拝は現在の愛知県伊良湖岬から船で渡るので無関係とも言えないのですがでは地主神とは?
これはややこしくなってきた
では尾張氏の祖は誰か、実は天火明命(ニギハヤヒ)だとされていてかなりの力を誇っていたとされ、だからこそ宮簀媛が日本武尊の妃となるなど天皇家とも密接な関係にあったと言われています
ただ実は宮簀媛は伝承上の存在であって系譜には記載されていないんですよ、なのに草薙剣はしっかりと熱田神宮にあってこの辺りに物凄い違和感を感じます
それはおいといて、で、びっくりしました
尾張宿禰の末裔の中に住吉大社の社家となった津守氏や籠神社の社家になった海氏が居るのです、、、尾張氏すごない???
まぁさらに調べるといろいろと出てくるのですがそれは置いておきましょう、というわけでそうなって来ると住吉社がただ海運守護神として末社に祀られているだけではない可能性も出てきますし、私が勝手に勘違いした弟橘媛の可能性まで無くはないほど尾張に重要性があったと考えられるのです
ちなみに弥五郎者は津島神社にも祀られており御祭神は武内宿禰と大穴牟遅命だというのです、、、広大な境内に祀られ天皇家とも繋がりがあったとされる洲崎神社を考えると、そして草薙剣がある名古屋と布都御魂に関係性があるのかないのか
っていうか末社がみな〇〇社なんだからイシ神社じゃなくてイシガミ社じゃん! っていうかイソガミ社なんじゃないの!!
調べてみると名古屋には他にも石神社があってやはり布都御魂が祀られている、布都御魂には件の霊剣だけではなく刀に宿る神氣の総称という側面もあるようなので同名で祀るには恐れ多い草薙剣の事だという解釈も出来ますがそれだと社名を石神にするのは余りに不自然です
やばい、まだ一番の謎があるのにその謎解釈に全然辿りつけないw でも大事な事だ、続けましょう(開き直る)
タケミカヅチが葦原中国を平定すると布都御魂は突然熊野に現れ大和征服を成し遂げ宮中で祀られる、やがて石上神宮に祀られるのですがなぜか一度禁足地に埋められて後に発掘されたものが形代と共に御神体となっているという
一方の鹿島神宮では国宝ではあるものの石上神宮から戻らなったために奈良ー平安期に造られた所謂形代だという
鹿島ー石上の関連性に齟齬は無さそうです、なぜ土中に埋められていたのか、それはあまりの御神気の強さ故なのかもしれませんが2000年近くも埋められ行方知れずだったことになりますね
何か隠されてる...? という話はとりあえずここまでにしておきます、後にその謎に繋げる事が出来るかどうか分かりませんが、また、記事にします(*´ω`*)
さて、漸くですね、、、白龍様!!
最大の謎が布都御魂に取って代わられてしまいましたがw
こちらもまた、あんなにはっきりと幟があってしっかりと祀られているにも関わらず、道祖神と猿田彦という習合される神名がどちらも書かれている、実際の社殿がわからないのに布都御魂が書かれている、じゃぁなんで白龍様はどこにも書かれていないのでしょう
謎過ぎませんか?!?!
ましてや、知らずに参拝しましたけど白龍神社と共に洲崎神社の白龍様も結構人気があるらしくあちこちに記事がある、なのにドラゴン大好き龍(蛇)神崇敬篤い名古屋において公式に龍神様が押し出せない理由が何かあるんですかね???
私にはよくわかりませんが、巷では 龍脈 という言葉がありまして地下水など地脈に龍の氣を纏った流れを龍脈といい風水や陰陽道などでとても重要視されているのだそうです
各地で都や都市を作る際には風水が重要視されますが一説では名古屋の都市づくり(城下作り)には龍脈も駆使されていると言われているようです
別にお膝元でもあるのだから当然ではありますが徳川家も洲崎神社を崇敬していたとありますし名古屋城下の整備は徳川の一大事業でもありますから名古屋の地に根付いた龍脈を利用した可能性もあります
偶然なのか、マップで白龍と検索すると名古屋城下と昔の海岸線の間の東西ラインに検索結果が並びます、これは偶然なのだろうか
となるとなおさら、これだけしっかり祀られた白龍龍壽社が一切御由緒に触れられていないのが不思議この上ないのです
...............あっ
元々祀られていた地主神って、、、白龍様なんじゃないですか?! で、白龍神社と同じく蛇神信仰なので表立って祀ることが出来ず龍神ということにしたけど社殿内は思いっきり白蛇信仰のままですから目立たぬようにした???
合祀されたのに崇敬篤かったからといって鳥居と参道まで別にして祀るのも相当なものですし、っていうかそうですよ、凄く気になっていたのですが道祖神と扁額のかけられた両部鳥居からの参道はなぜか真正面で末社に当たりカクカクと参道を曲がってすぐに正面参道へ合流するんです
普通、わざわざ参道を分けた場合って例え方角がズレても真っ直ぐになっていませんか?? そしてこちらの境内、南西の角に鳥居があって白龍龍壽社はその対となる北東に鎮座されている、しかも道祖神の扁額よりもビッグインパクトで大きな社名看板が真横にあるんです
複数の方が石神社の参道だと書いていたのでそのまま受け取っていましたが、いや、それは確かにそうなのですがここには布都御魂を祀っているイソガミ社であることを道祖神で目くらましをしている、そして道祖神の石神社であるとして本来の地主神である白龍龍壽社を目立たなくしているという二重構造になってやしませんか?!
あ、私個人の勝手な憶測です、はい
ですが先程自信なさげに書きましたがひとつ気になった事と今回の名古屋で参拝した二つの神社がここで妙に繋がりました
佛社の御祭神次第では...
うん、これは妄想にしては出来すぎてるほど繋がった!!(何の確証も無いけど)