どうも、ひのきですm(*_ _)m
今回の旅を振り返るとほんと、凄く凄く充実した素晴らしい巡拝が出来ました、こちらが三日間の締め参拝となります
魚津神社です
伏見稲荷魚津大社からのんびりと街を歩く、うーん、やっぱり凄く落ち着く雰囲気でいいなぁ(*´ω`*)
到着ぅ♪ って、結構広そうだ!!
鳥居が無いからやっぱり裏に案内されたかな(*´ω`*) と境内へ入ると、、、バラバラになった鳥居!! 地震で倒壊したのかと思ったら、その恐れがあって解体されているんですね、良かった
でも、、、でかくない?! まず、元あったであろう場所探すと中央通り沿いの正面参道でした、、、が
柱の太さや神額の大きさからここにあったとは想いづらい
ふと横を見ると鳥居の説明が、、、伊勢の倭姫宮から、、、?!
画像検索すると素敵な木鳥居があったようです、いつどうなってしまったのかはわかりませんでしたが埋められている跡がそれほど古くはなさそうな気がします
ビルの間を進むと、あぁ素晴らしい(*´ω`*)
こちらが手水です
いやー、朝、快晴、適温と三拍子揃ってはいますがそういうところ以外の部分で、物凄く優しく心地よい氣に満ちています
こちらが御社殿、いやー凄く立派ですね
御祭神は天照皇大神、建御名方神、彦火火出見命、素戔嗚命、大市比売命、建速須佐之男命、櫛名田比売命、そして菅原道真公が合祀されています
いやー、拝殿内も凄く威厳があって素晴らしいのですがとにかく境内全体が柔らかな氣で満たされていて凄いんですよね、居心地の良さがハンパない
調べてみてその理由が分かった気がします
縄文より人が住んでいたこの地が町として整備された702年に日栖宮として創建されたと言われており後に神明社と改称、1956年の魚津大火により消失した5社が統合されたのが魚津神社なのでスサノオ様がふた柱祀られているんですね
変わった御神紋だと思い撮影してあったのですがこの社紋の意味がわかりました、三つ巴ではなく五つ巴なのは合祀された五社を表し、中央に丸を入れることで前田家 梅鉢の要素も取り入れたのではないでしょうか
旧社名は神明社、稲荷社、火之宮社、杵築社、市姫社、愛宕社のようですが6社であるのと、道真公は前田紀綱が勧請したとWikiにあるのですが社名は不明です
町を少し歩いただけで火防の名前をちらちらと目にしたのは大火の影響だったんですね、北陸は海から強風により大火になりやすくあちらこちらで大火に見舞われた歴史がありますね
魚津の人々を長く見守り、魚津の人々が長く信奉してきた神々が集う社、だかこそのこの穏やかさ、温かさなんですね(*´ω`*)
こちらにはいらっしゃらないのかな? と思ったら境内右手にいらっしゃいました御神馬さん
こちらはなんでしょう、排水口のようなものが中央にありますが煤けているようなのでお焚き上げ場かもしれません
火祭りの説明板があるのですがど真ん中に幟があるというw
あっ、火祭りの場所なんですね!!
拝殿左手に並ぶのは旧市比売神社の神額と狛犬さん、合祀された際には御神体のみ移し額と狛犬は跡地に保管されていたそうですが1979年にこちらへ移されたそうです
お気付きになられましたでしょうか
狛犬さんが左右逆に並べられています
それがミスなのか意味があるのかはわかりませんが、守る社殿無き今、真横で向き合って貰うよりも方々を見渡し街と人を見守って頂きたい、そういう想いが込められている、、、と勝手に理解しました(*´ω`*)
となると主殿には五社ですね! 建速須佐之男命、櫛名田比売命がこちらに祀られていることになります、もしかしたら道真公もこちらにいらっしゃるかもしれません
鳥居から先、余りにも空気感が違ってすぐに進む事が出来ませんでした、ドシッとした重厚感です
社殿から基礎までが全体的に暗めな色だからか高く祀られているからだろうか、にしても陽は当たっていて明るいのにこの圧はいったい...
調べてみると愛宕神社が魚津城の鬼門守護だったようです! 夫婦神で祀られていてこれだけの覇気を放たれてらっしゃるのはやはり防疫防火の御神威篤きお社特有の御神気だと思います
こちらから御本殿の裏へ回ることが出来ます
裏手は桜絨毯の美しさ(*´ω`*)
桜参道と本殿御背中を分けるような木根が凄く美しいバランスです
こちらが裏参道になっていました、一応こちらが北面なのですが最初に入った西側が北参道と呼ばれているようです
では御祭神について少し( 'ω')b
元となった神明社の御祭神ですが天照皇大神だけでなく建御名方神が祀られています、日栖宮の頃からなのか途中からなのかは不明ですが、これはやはり土地柄というところでしょう
糸魚川がヌナカワヒメの地でありタケミナカタはその御子とされています、そして高岡氣多神社の御祭神にヌナカワヒメがいらっしゃったように越中國として大切に祀られていますからね
でもなぜタケミナカタなんだろう、と調べてみるといやー私の認識不足でした、どうしても力自慢な諏訪の神というイメージになってしまいますが水と風の神でもあり農工狩猟の神でもあるんですね!!
海沿いの北陸で産まれたのであれば当然といえば当然ですね! だからこそ魚の津、つまり漁港という名がつけられた町の守護神として祀られたのでしょう
次に大市比女ですが、古事記においてはオオヤマツミの娘でスサノオの二人目の妻となり大年神とウカノミタマを産んだとされる姫神です
はて、イチヒメを主祭神として祀る神社はほとんど聞いたことがなく京都の市比賣神社くらいでしたが他にもいらっしゃったような、、、と検索してみたところ直江津大神宮にも合祀されていました
スサノオの二番目の妻であることから越中に縁があるのかもしれませんし、一説ではオオイチは大河内が転じたもので河川水田の神であるという説もあり、そうなるとスサノオの妻はどちらも川の女神だということになります
山の神オオヤマツミ、川の神オオイチヒメ、実りの神オオトシとウカノミタマという神の流れがあるとする説とも繋がってとっても興味深いですね
いずれにしても元々単体で祀られる珍しい神社で合祀された後も元の地で狛犬と神額が祀られていたほど篤い崇敬を集めていたことは間違いありません
ここまで来ると気になるのは彦火火出見命ですね、オオヤマツミの娘コノハナサクヤヒメの御子で山幸彦だとも言われる神武天皇の祖父
はて、オオヤマツミの子孫という事以外に関連性がわかりませんが私個人としては、オオヤマツミというのは山の神の総称であって各地にそれぞれのオオヤマツミがいらっしゃった、そう考えないとあまりに娘息子が多くて繋がらないのです
火遠理(ホオリ)とも呼ばれますがヒコホホデミとしてのひとつに 天津日高日子穂々手見 と書かれることがあり、この 高 が高志國を表しているという説があります
いやいや高天原も 高 だしそれはさすがに無いだろうと思うのは自然な流れかと思いますが、、、もし、、、もしも、高天原から降りた地として高志と名付けられているとしたら? 父神であるニニギの別名にも天津日高日子から始まるものがあり、共に高志に縁がある可能性も?
いやいやいやいやいやいやいやいや、日向という説が定説ですからさすがにそれは無いでしょうねー、と完全に除外してしまうと面白く無いですよね
なぜって、糸魚川に鎮座する越後一宮とも言われる天津神社の御祭神はニニギで並び祀られるのがヌナカワヒメです
このふた柱が祀られているのが不思議だったのですが、もし、もしも、万が一、ニニギが高志の國に何か縁があったとしたら繋がるな~、っていう(*´ω`*)
いやー、とーっても素晴らしい神社でした
夕飯に美味しいお魚食べたい!! 糸魚川に近付いておきたい、という理由で決めた魚津でしたが街の雰囲気もすごーく良かったし二社に絞ってしまいましたがどちらも凄くて能登白山高岡の巡拝に決して劣らぬ参拝が出来ました(*´ω`*)
さて、お散歩は続きます、やって来ました うーーーみーーー!
世界で最も美しい湾、確かに美しい海、美しいカーブ、条件が合えば蜃気楼も見えて立山連峰の眺めは至高! でも世界で 最も と言い切るのは凄い自信だなぁw
と思ってふと調べてみると、世界で最も美しい湾クラブというのが存在するんですね!! 日本だけでなく世界各地の湾が加盟していて国内からは松島、富山、駿河、宮津・伊根、九十九島の5ヶ所が加盟しているそうです
はぁー...さざ波の優しい音が物凄く心地よい(*´ω`*)ウツクシイ
流木がめちゃめちゃ良い雰囲気を出しています
さすがにここまでは翡翠は流れちゃこないのは分かってますがそれでもつい探してしまうのは石の魅力が翡翠だけではないから!
えっ、蜃気楼?! と思ったけれど潮目か!目が悪いだけですねw
海をしっかり堪能したら魚津駅へと向かうのですが寄り道♪
立ち寄ったのはこちら、魚づ鱒寿し店!!
実はますの寿司は大好きでしてね(*´ω`*) 本場富山で美味しいのを食べたい! と思い、どこで美味しい鱒寿司が買えるか、あまり時間が取れない中で寄れる場所は、と調べたら魚津もにあったんですよ
売り切れていなければ飛び込みでも買えるらしいし朝イチなので大丈夫だとは思ったのですが念のため事前に予約しておきましたのでゲット♪
冬春秋であれば直射高温を避けた常温で大丈夫でさらに二日ほどもつということなので持ち帰って夕飯と翌日に食べました(*´ω`*)
じゃーん!!!!!
じゃじゃじゃじゃーーーん!!!!!
二段重ねをさらに切って重ねていますが、ますが凄いますが凄いますが凄い!! わかります?わかります?
こんなに大きいのに途中に鱒の切れ目がどこにも無い!! つまり一枚がドーン!!ですよ Σ(゚д゚;)
横から見てさらに凄い!! 部位によりますがお米に対して鱒の厚みがすごい!! しかも薄めな部分にはさらに一枚挟まれていてガッツリと鱒が楽しめる!
結構しっかりと潰されてしまっているように見えますが不思議ですね、身はしっかり押され旨味が凝縮されつつしっとりホロホロ感がありお米もしっかり固まりつつ食べるとふっくらもっちり
うっめぇぇぇぇぇ(*´ω`*)
帰宅後は一応冷蔵庫へ入れたので少し固くなったけれど説明通り少しレンチンするとまたふっくら、美味しく頂きました
実はかなーーーり前に一度食べたきりの ぶりの寿し が食べたかったのですが、魚づ鱒寿し店の美味しい鱒寿しが食べられて大満足です(*´ω`*)
全国発送もされていますので是非(*´ω`*)
ちなみに当日食べるか翌日食べるか聞かれますが、それによって押しの加減を変えているんだそうです、さすが古式手造り!
というわけでこの後は糸魚川へ移動します
私の場合、何も知らぬままの当日参拝だけでなく帰ってきてから調べながら記事を書く時にも想いはしっかり神社へと飛んでいるので実質的にそれが二度目となっていてそこでひとつの参拝が完結するのです
だから当日では感じなかった巡拝(旅)が終わってしまうという寂しさをひと月遅れの今、感じています(´・ω・`)
本当に、本当に充実した全てが素晴らしい巡拝となりました
ありがとうございましたっ!!m(*_ _)m
そしてお読みくださった方々、ありがとうございました! 我ながら独特な参拝と記事で魅力を伝えきれなかったかもしれませんが、どちらの神社も街も人も本当に素晴らしかったので是非足を運んでいただけたら、と思います