どうも、ひのきですm(*_ _)m
と、いうわけで、二上射水神社でございます!!
旅行直前に徒歩範囲を増やして組み直したルートにしてあったお陰で慌てずに参拝出来そうだ(*´ω`*) そう、ここは高岡で私が一番来たかった場所
高岡城跡射水神社の元宮で二上山を祀るとしか知らないで行くのにここまで惹かれた理由が果たして参拝で分かるのだろうか
いやー、、、長閑ですねー、最高ですねー、、、そういえばスッカリと青空が広がっている(*´ω`*)
到着!! 社号碑は越中総社となっていますね
これはやばいっ、、、素晴らしすぎる!! 鳥居から真っ直ぐの参道奥に見える社殿、そして二上山と完璧過ぎる...
しかも大好きな両部鳥居は意外や意外、真っ赤に塗り直されたのか建て替えたばかりなのか、物凄く美しいですね
正直、高岡中心地へと遷ってしまったのでこちらは、、、ストレートに言えば、やや放置され気味になってしまっているのかとも思っていたけれど違うようで安心しました
御神馬像には祈祷所とされていた前田家の家紋
こちらの地域では歴史はあれど規模の小さめな神社であっても御神馬像が奉納されていて午年男としては嬉しい限りです
参道右手の斜面は隣接するお寺へと続いておりお地蔵さんが並んでいます
手水舎がこちら、意外な事に今回の巡拝でオーソドックスな水盤が使われているところがほとんど無かったので逆に新鮮です
手口を清めた後、この場でしばらく佇んだ理由が果たしてこの写真から伝わるでしょうか...凄いんですよ、御神域感が
山と一体になれる、無になれるそんな感じがして物凄く心地よいんです
そしてね、美しいんです、美しいんですよ、もうずっと見ていたくなるほど美しいんです、黒く見える屋根瓦が赤黒く、そして虹色に輝いているんです
まだご挨拶していないのに、なぜこれほどにこの神社に惹かれていたのか、その答えが出ました、物凄く氣が合うんですね、もう立っているだけで心身が喜んでいるんです
参道左手に三本の御神木が並んでいました、それほど極端に太く大きいわけではない、にも関わらず存在感があって何か謂れがあるのでしょうか
瘤が凄い!!
近くの建物には築山資材庫と額が掛かっています、普段はあまり倉庫類の写真は撮らずに進んでしまうのですがなぜか凄く惹かれて撮影しました
この決して高くない石段がすーっと山上まで繋がっているかのうな、社殿が山のように感じます
左手にも一社鎮座されていますね
いやー、、、ほんと、見惚れてしまいます
御山に包まれている安心感の中、ご挨拶...柔らかなそよ風の音、揺れる木々の音、鳥の声、、、かい越ながらこの自然を構成する中の小さなピースに加われている、そんな感じがします
にしても、なんと美しいことか
左手のお社には男神坐像の額
こちらに坐像と社の御由緒が書かれていました
古来より山を祀っていたところ720年頃に行基が養老寺を建立して二上神を祀ったとありますね、そこから権現信仰の地となったようです
そう言われればこの落ち着き感は神というよりも仏に寄っているけれど寺とはまた違う、そして権現という感じでもなく、、、やはりこの感じはやはり山そのものだ
坐像は書かれていないので作者不明なのでしょうか、ちょうど参拝日の1週間後が年に一度の公開日だったようです
狛犬さん達もとっても居心地が良さそうです(*´ω`*)
境内を散策していると天乃眞名井と立札が立っていました、井戸のようには見えませんがよく見ると湿地のような雰囲気があって左手の方へ水が滲み出ているような感じになっていました
なんでもないような景色が物凄く美しい
うーん、満喫(≧∇≦) しつつこの後向かうバス停へのルートと時間だけ確認しておこうと思ったらすぐ近く?に神社を発見
最大のアップにしないと表示されなくてルート検索の時に気付かなかったんですね!!
参道途中にあった横道からかな?と一旦境外へ出て少しだけ山方面へ歩くと、ありました!! 大杉神社!
社殿手前に専用の鳥居が建てられた杉が祀られているのですが、失礼ですみません、、、こちらも決して大木ではない、やはりこちらも境内の三本あった御神木のように何か特別な事があるのでしょうか
存在感はあるのですが、低い鳥居を潜ってやさしくそっと触れてみたのですが特に何も感じられず
御社殿には雪避けでしょうか、が設置されています
神前へと進みましたが社内は見えず、戸の僅かな隙間からは厳粛な拝殿が見えました
ただなんというのか、空気感は日陰に入ったからというだけではないようなひんやり感
気付いていなかったのですがこうしてご挨拶させて頂いてありがとうございます、というご挨拶が神妙になったのはその空気感があったからですが、それ以外には特に何も無い
最後、二拍手、、、をすると
ガタン
んっ?!
明らかに左側の扉が内側から何かしらあったような音
すると続いてもう一度 ガタン
んんっ??
もしかしてこちらも開くかな、と最初に扉へ触れたからだろうか、でも動かなかったのでそれが戻ったということは無さそうだし、一度目も二度目も扉を見ていた時だけど全く揺れていない
人が開けようとした?っていうくらいしっかりした音だったのでさすがに隙間から覗いてみたけれどやっぱり人や動物は居なさそうだ
ずっとほぼ無かったおしるしがここで?!
いや、でもきっと風だろう、、、けど吹いてなかったな、、、高岡に着いてからずっと城跡の上であってもそよ風程度しか吹いていなかったのである
暫く様子を伺ってみるとタイミング良く木々がざわめくような強い風が山向こうからこっちへと流れてくるのが分かった
チャンス!! と目と耳を凝らす、、、風が来た!!
けれど戸だけでなくお社の隅から屋根までも、僅かな音すら立てることは無かった
あの音は風のせいじゃなかった...ありがとうございますm(*_ _)m
再び境内へと戻り散策を続けていると築山行事の由緒板がありました、やはり三本杉は大切なものだったんですね
院内社、日吉大神、そして二神大神が三本杉前の祭壇へ降臨され春季例大祭が行われる
院内社とは隣のお寺でしょうか、日吉様はどちらからかいらっしゃるのでしょうか、この辺りは謎ですが末尾にも書いてありますように古来祭祀として山の神を降ろす神事がやがて神輿や曳山として町を練り歩くように変わっていったのかもしれませんね
いやー、、、ほんと、ここは凄い、凄かった
深く深く礼をして、ちょっと早めだけれどもしかしたらご飯を食べられる場所があるかもしれないし、と進もうとしたその時
道の傍らに大きな看板がある事に気づいた、もう参拝を終えたし、と素通りしようとしたけれど急ぐ必要は無い、と見に行くと、、、霊水所、、、霊水所?!Σ(゚д゚;)
裏に遊歩道なんてあったかしら...と参道を戻り、坐像庫の左奥を覗くと、そうだ、裏に抜ける短い道しかない、さっきちらっと見たもの
とそれを進んでみると木陰に隠れていた右手に屋根が見えた!!
ここだ!!
うわー、清浄感が凄く素敵です
石上に龍口はありますが下からだけ霊水が出ています
いやー、ゆっくり時間を使って境内を全部見たと思っていたのでその帰りに境内図なんて普段だったらわざわざ見に行かなかっただろうな、教えてくれてありがとうm(*_ _)m と感謝
うん、二上射水神社、とっても素晴らしかったです!!
では、調べてみましょう!!
公式HPは無いようなのであちこちで集めてみました
上述のように古くから山を御神体とする祭祀があったと思われますが、勅令により行基が建立した養老寺が二上射水神社の別当で今も残る慈尊院がその一院、高野山真言宗で聖観世音菩薩が本尊ですが、行基説には異論もあるそうです
元は越中国二宮だったのが能登国が分離したことで一宮になるもすぐに気多神社が勧請されると一宮争いが起こり、一般的には気多神社の方が一宮とされたようです
また、名神大社においても射水神社が参照する延喜式の出雲式写本は誤記があるとされており、実際に名神大社とされていたのは気多大社であるとか、実はどちらも違うといった説があるようですがどの説が正しいのかはまだ分かっていません
また以降、便宜的に二上社と高岡社と書きますが、明治の遷座にはいろいろあったようで大きくは神仏分離により二上山大権現から射水神社へと変わった事だとされていますが一説には永く続いた寺主導の体制との軋轢が根源にあると言われているようです
当然のように二上では古来祭祀の場としても反対したが結局遷座が実行され、二上山には高岡社の分社として二上社が残され、戦後に越中総社射水神社として二上社が高岡社より独立したそうです
実際はどうかわかりませんが、私には、だからといって今も寺が隣接する二上社が権現色を強く残しているという感じはしませんでしたし、そんな流れがあっても祭神を変えずしっかりと二上大神を祀り残っているというのも逆に凄いな、と感じました
うーん、、、知りたくなかったような、でも知っておかねばならなかったような、まぁつまり、、、人ですね
と言ってもそもそも神仏はそもそも 人 が祀るものですからやむを得ない部分もあるというのは理解していますし、そういう意味では神社あるあるとも言えます
ひとつづつ言えば、神仏習合というのはあらゆる物を否定せず融合させて良いところを取り入れる 和 の良さであると思うのですが、やはり上手にやっていけるところもあれば別当システムによる軋轢が生まれてしまうところもある
神仏習合も政治によるものであれば神仏分離もやはり政治によるものであり、やれ混ぜろやれ分けろ、廃せというのは不条理ですし、それぞれの考えにより人も分裂してしまいます
そして民主主義ですから多くの支持を集めればそちらが正となる、方や越中総社と名乗ればもう一方は越中総鎮守と名乗る
そういうことではないんですよね、、、でもやはりそれは外野から見て感じていることであり、その地に住む方々にとってはまた違うものとなるので何が正で何が誤かというのは一概には言えません
少なくとも、私にとっては二上社(というか山)の氣が凄かった、高岡社では凄い氣は感じられませんでしたが、上述のような歴史があるにも関わらず、そしてその内容を知りませんでしたがそれでも二社の間には何かしらの繋がりを感じました
恐らく、二上山から離れた高岡社に御力が受け継がれていなければ参拝時の不思議な感覚は得られなかったでしょう
そういえば、、、最近何故か党に意識するでもないのに権現様への参拝が続いているのですが、二上社では確かに神とも仏ともつかぬ感覚を受けそれというのは権現様である事が多いのは事実ですが、二上山で感じたそれはまた少し違いました
やはりそれこそが、古来祭祀の場であったということなのだと思います
山そのものの持つ御力
なんでしょうね、言葉にするとちょっと違う気もしますが会えて言うなれば、古来祭祀は純粋に山そのものの御力、権現進行はその山から力を得た山伏達の念、神は偉大な祖先の御力とそれを信奉する人々の念、仏は先達を手本にした自己研鑽の念
うーん、やっぱり文字にすると大分感じている事と違う気もしますが、、、まぁそんな感じですかねぇ
どれが良い、悪いは存在せず、その人にどれが合うかということであり自分に合わないものを批判する権利は誰にもありません
悪であり批判されるのはそれらを利用する 人 団体 ですね、それはもう、ほんとに、悪です、はい
いやぁ、、、凄い参拝になりましたが、今回、片方だけではなく二社を参拝出来た事は凄く大きかった、と思います(*´ω`*)
では、、、次の参拝地へ!!
と歩き始め子矢部川に差し掛かったところで素晴らしい眺め!
最初は雲がと思ったら立山連峰が見えているんですね(≧∇≦)スゲ-
そして高岡市と氷見市に跨る二上山、調べてみると標高は274mと結構低いんですね
そういえば高岡城址からも見渡しが良く二上町バス停からも綺麗に山が見えました、それもこの地が栄えた理由なんでしょうね
二上山に登ると山頂には日枝社があり街から湾、連峰が綺麗に眺められるんだそうです(*´ω`*)