どうも、ひのきですm(*_ _)m
久志伊奈太伎比咩神社
4月某日
何年ぶりになろだろうかという高速夜行バス9時間の旅
仕事疲れはどこまで取れるか、そもそも眠れるのか、足腰は大丈夫なのか、早朝から動き続ける体力は残るのか、昔はもっぱら帰省に旅にと新幹線ではなく夜行バスばかりでしたがさすがに年齢的な面からも不安があったのですが座席も進化しており、また4列ながら隣席との境にプレートがあったので気兼ねなく
夜が明けて金沢を出ると、、、海ーーーっ!!
まぁ熟睡は出来なかったけれど途中二回目が覚めた程度で無事に到着!! 七尾!! ほぼ満席だった乗客はほとんどが金沢で降りていったので和倉や七尾で降りたのは極わずか
失礼ですが、バスが停まった北側は普通に街だし駅前はローカル感がありながらもドン・キホーテや商業ビルのパトリア、そしてホテルがドーンとあってびっくりするほど栄えている
国の重要無形民俗文化財に指定されているという青柏祭のでか山が展示されていました(^^)
信号待ちをしていて気付いた、一件何の被害も無さそうだけれど真新しいアスファルトのスポットがあちこちに、、、液状化の痕か!!
全体的に街は普通のように見えましたが所々では歪んだままの建物があって爪痕が見られる、ただ相応しくないかもしれないけれど震度6弱という強い揺れとその後も続く余震の中においても多くの古い建物が無事に(見えるだけかもしれないけれど)建っているというのは凄い事だと海外の地震ニュースを見る度に思う
フレンド という地元のパン屋さん発見♪
ご夫婦さんはちょっと中華屋さんな感じもする異性の良さがあって朝から気持ちが良い(*´ω`*) 人気があるというたまごパンとあんばたをゲットです♪ 他にもおいしそうだったけれど早朝なのでね( ˙꒳˙ )
港のある北側の駅前は発展していたけれど南側は住宅地、がめ煉薬ってなんだ?! と調べてみると すっぽん なんですね~
都内ではほぼ終わりかけていたけれどこちらは真っ盛り!
さっそくたまごパンで早朝お花見タイム(*´ω`*)
うん、甘食っぽい感じでサクッとふわっが両方居て甘さは控えめ、小麦とバターの香りが凄く良くて卵の風味も美味しい(^^)
いやー、気持ち良いなーーーっ、、、っと、黒い三連星だ!!
恐らく日中は静かなんだろうなーという通学通勤で車と自転車が行き交う町を歩いて行くと、、、ぽこっと杜が見えました
...こ、古墳?
ここが参道かな?
木に紛れて最初気付かなかった社号碑がありました、こちらは久志伊奈太伎比咩神社
こちらはその社名の通り奇稲田姫命を祀る神社でさらに式内社というので歴史がある、そしてこの雰囲気である
目はしっかり覚めている、身体もしっかり動く、駅からここまでの間に心身も整っている、巡拝スタート!!
非常に美しい参道ですね、木も活き活きとしている、空気も良い意味でピンと張っている
参道途中に祀られている石祠、朱鳥居に宝珠の扉から推測するとお稲荷様だけれどお狐様は居ない、どちらとも判断つきませんがもしここが古墳であるならば元々祀られていた祠だったりするかもしれない
朝陽を受け美しい境内
巨石そのものを活かした手水がとっても似合っています
とっても清らかで静かで、そして凄くウェルカムな温かさ
奇稲田姫命を単体でお祀りされる神社はなかなか珍しいのではないでしょうか、祭祀力のある女神を単独でお祀りされるということは何かを鎮めるためだったのかそれともこの地に縁があるのか
特に何が起きたということも無かったのですが、ここから始まる三日間がとっても素晴らしい巡拝になる、と確信しました
そして大切なこと、能登の皆さんを、そして皆さんの笑顔をお守りくださいと心を込めてお願いしました
特に何ということは無いのですが妙に美しくて写真を撮ったのですが後で調べてみるとこの部分の瓦に式内社を示す文字?がある?というのに思いっきり枝で隠れててわかりませんw
そして写真を撮り忘れたようですが社殿前には階段が続いており、そちらが表参道だったようです、ほんと裏ばかりを案内するマップナビであるw←気にしてないけど
階段を降りていくと灯篭が倒れていた
木々が多いのに落ち葉や枝も無くとても綺麗に掃除されているし灯篭の根元が綺麗で並べられているのでやはり能登半島地震で倒れてしまったのでしょう
亀裂がいつのものかはわかりませんが大きな由緒碑は無事だったようです
735年、痘瘡の流行により勅祭が行われ孝謙天皇からは社料を賜り高倉天皇の代に正一位が与えられているそうです
ここは久志伊羅山と呼ばれており、735年に勅祭が行われているということはそれより古くより祀られていたと考えられますがこの山が古墳とはされていないので元々存在した小さな山だったのでしょうか
そういった社史からするととても質素な境内ですが、綺麗に手を掛けられた様子と素晴らしい注連縄からもとても大切に祀られていることが伝わってきます
鳥居は無事だったようですがやはり灯篭が片側倒壊しています
無事に見えた右側も先端部分だけが落ちてしまっています
見れば見るほど古墳に見えてしまうけど特段何も感じなかったからやっぱり普通の山なのでしょう←そんな能力ないw
美しいですね(*´ω`*)
さて、とても良い機会なのでクシナダヒメについて調べてみました
その名から 稲田の神 ともされていますが元の伝説としてはヤマタノオロチの生贄にされそうな所をスサノオに救われ、その際に櫛にされスサノオの髪に挿された事からこの名が付けられたとされています
その後の詳しい表記はないもののクシナダヒメと暮らす須賀宮を建てたとされており、櫛についても諸説ありますが私は求婚の印とされていた櫛が説話の中で混ざったのではないかと思っています
また神々の名には様々な字が当てられますが奇稲田姫命の元の名が久志伊奈太伎比咩だったともされており、ヤマタノオロチ伝承がこの七尾と関係あるとすればクシナダヒメ縁の地として祀られていた可能性もありますね
クシナダヒメと暮らした須賀宮は出雲の須賀神社になっているとされていますが、めちゃめちゃ勝手に妄想をするとクシナダヒメわー救うことが出来ず姫の挿していた櫛を形見として自分の髪へ挿しオロチを倒し、須賀宮はもともとその魂を祀る物だったのかもしれない、と
あれ?前から気になっていたところが...
スサノオとクシナダヒメの子はヤシマジヌミだけとされており、そのオオヤマツミの曾孫とオオヤマツミの娘であるコノハナチルヒメから6代目がオオナムチとされている...確かに神代は近しいところでの婚姻が普通ではありますがここは少し違和感を感じたところ
もし、クシナダヒメが既に犠牲になっていてオオナムチに繋がる部分が操作された系譜だったとしたらオオナムチの正体にも繋がってきますね
いやー、まぁ何の論拠も無く勝手に考えすぎですけども、神代の歴史は情報が曖昧かつ乏しいのでこんな論説すら繋がるように独創出来てしまうんですよね
あ、でもクシナダヒメ生誕地とされる場所はやはり出雲にありますのでこちらが出身ではなさそう、そしてヤマタノオロチ伝承の地とされる場所も出雲にある
ではなぜ縁もゆかりも無い遠く離れたこの地にクシナダヒメを単独で祀る古社が存在するのか、、、今回は時間的にも行けないけれど能登島に鎮座する伊夜比咩神社の御祭神 伊夜比咩大神は大屋津姫命だと言われています
そして海を挟んだ(と言っても距離はありますが)新潟の弥彦神社の御祭神は伊夜日子大神とされる天香山命(高倉下命)で、その別名の中には大屋彦というのもあります
海を挟んで伊夜の日子と比咩、大屋彦と大屋津姫命が祀られているのは果たして偶然なのでしょうか!! と深読みしたくなります(実は伊夜という言葉には 素晴らしい という意味があるという説もあるのでそうであれば複数の神に適用されていても不思議はありませんが)
また、私の妄想でもさすがにスサノオの妻と娘、そしてニギハヤヒ(アメノワカヒコ)の子ともされるアメノカグヤマとはさすがに直接結び付けるのは難しい(´・ω・`)
ここはやはり欲張らず、巡拝によって能登国に的を絞るべきですね
さぁこの後はどんな巡拝になるかな~(*´ω`*)
さて、今回ちょっと面白い事に気が付きました
こちら
お分かりになりますでしょうか
巡拝のため日頃からたくさん地図を見ている私はすぐに違和感を感じて気付きました
そう、地名の末尾に干支やカタカナが振られているのです
干支に気付いた時は方角を示していてその中心はどこだ!!何があったんだ!! と思ったのですが方位には関係が無くカタカナまで見付けて、こりゃ違うぞ、、、と、、、さらに周りを見ていくとひらがなまで存在するw
そう、干支は方角や年を指すので例えば城を中心に巽の方角とか甲子の年に作られたから、などよく見かけますがどちらとも関係無く地名としてこんなにも散りばめて使わてているのは初めてみました
これは明治期の土地制度改革の際につけられたそうで市町村の統廃合などが少なかった能登エリアにそのままガッツリと残っているそうですが一部には金沢市や小松市などにも面白い地名があるそうです
おもしろいですね(*´ω`*)
何も考えず普通にそう書いたのですが、あれれ? なんで越前になるか越中になるか迷うことなく加賀 って書いたんだろう???
調べてみると、元は4県全てが越(高志)國、やがて前中後で分立された際には越前、後に分立して加賀となったのでその頃には越前加賀能登越中越後の5國だったんですね~