二度目の新年、よろしくお願いします☆
どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら!! 穴八幡宮!!
~昨日の記事より~
一陽来復守りを求め新宿方面から穴八幡宮へと歩いて来たひのきは放生寺と出会う
寺であることに疑問を持ちつつも一陽来福創始という文字と地図の位置(近いだけ)により境内へと誘われる
素晴らしいお寺と一陽来福守りに満足したひのきだが、そこで漸く最初に抱いた疑問を受け止める
そういえばこの鳥居って...
放生寺の隣に立つこの大きく立派な鳥居
よく見ればこんなに立派な鳥居なのに最初に目にしていながらなぜスルーしてしまったのか
玄武が施された金板が素晴らしい鳥居
まるで狛玄武のように右側が口を開き左側が口を閉じた阿吽になっています、やっぱり凄いぞ
ただ真正面が石垣、そして両側に別れた細い階段で何があるのか見えない、しかも右側に城のようなデザインのトイレ
もう城址公園かなんかだと思ったんですよねぇ
とりあえず登ってみますけどね
ほらぁ、やっぱり広場になってて城址公園みたいな感じだねー誰も居ないけど
おや、あれは、、、放生寺の御堂ですね
上が恐らく広くなっt、、、、、、あ、あれ?
あ、あ、あ、あ、あ、あ、穴八幡宮!!!!
噂通り?お守り用の行列対応ルートが作られていて既に夕方にも関わらず50人ほどが並ばれていたでしょうか、平日のこの時間にしては確かに多い!!
またレアな脇参道から入っちまったぜぃ...ふふ
私はお守り御札はご挨拶より先に、御籤は後にお受けしたいタイプなのでまず列に並びつつスマホで検索して漸く放生寺の記事に書いたような事情を飲み込んだわけです
ここは1062年に源義家が八幡様を勧請した東北鎮護の社であり、1641年に山裾の神穴から金色の御神像が発見されたことで後に高田八幡宮から穴八幡宮へと名を変えられたのだそうです
こちらは明治12年に大正天皇の御虫封を拝命されていて、元別当寺である放生寺と共に蟲封じのお力が強いようです
といったことを調べながら15分ほど待った頃に順番がやって来まして遂に手にしました、一陽来復守り
こちらについても後述にします
では改めまして境内を巡ります
正面参道から階段を上がってくるとこの立派な隋神門が迎えてくれます
外側の柱には隋神が、内側の柱には馬が居ます
本殿へと向かう真っ直ぐな参道の右側に手水舎があるのですが初めて見ました
なんと大きな布袋尊の石像が座し、その御手で福袋から浄水を注いでくださっています
なんと素晴らしいことか...しかも蟇股には鶴と亀、さらに天井の模様も美しい
お目が高い!! 奥に見えます、こちらも手に足に腹にと撫でられた布袋様
そうなんですよ、穴八幡宮、、、すっごいです
戦争により社殿等を消失しており現在のものは再建ではあるのですが、これだけ拘りの詰まった姿で再建されるほどの崇敬を集めていらっしゃるということです
ただ豪華なだけじゃない、この場に立たないとわからない、写真だけでは伝えきれない凄さが満ち溢れています
そして、拝殿
御祭神は品陀和気命 応神天皇、帯中日子命 仲哀天皇、息長足姫比賣命 神功皇后
おわかりでしょうか
拝殿内は撮影禁止で写せないのですが、この威圧感というか緊張感というか荘厳さ
暗く、洞の中に入って参拝するような、、、そう、穴八幡宮の名の通り金色御神像が眠られていた神穴がイメージされているんです
その雰囲気たるや、身がビシッと引き締まり、空気がビッと張り詰め、参拝者一人一人の気持ちが空気を震わせ、そしてそれをお受けになる八幡様の息遣いが聞こえるような
お寺に近い、そう感じました
ここは、凄い ここは、凄い ここは、凄い
大切なことなので三回言いました(*´ω`*)
拝殿の柱裾も荒波に乗るかのような亀
また、拝殿を守るようにしっかり根を下ろす両脇の木が結構凄いです
特に向かって左の木は有名なのか皆さん根に触れたり念じたりされていました
確かに向かって右の方が凄いのですが、私には右も素晴らしく感じましたしどちらかと言うと二本合わせてのお力な気がします
いやー、、、ガチで凄かった
心震えました
今期の一陽来復は2月3日で終わってしまいますが、一陽来復でなくとも是非是非是非是非ご参拝ください
そして次の冬を待ちましょう♪
素晴らしかったなぁ...
隋神門越しに一礼し、階段を降りて、、、行く気にならないんです
なんなんだ? といってもう一度門を潜ろうという感じも無い、、、はて? なにか忘れ物でもあっただろうか...と門の脇から境内を見回そうとしたのですがその必要はありませんでした
驚くほどスムーズに、ただ一点へと目が吸い寄せられたのです
一陽来復守りを求める列があったので分かりづらい写真になっていますが、左下の石鳥居が見えるでしょうか
この前ギリギリのところまで整列用のロープが張られており、実は最初に私も並んでその前を通過していたはずなのです
なのに気付かなかったんですよ!!(そりゃそうだ、並びながらスマホで八幡宮と放生寺について調べてたもの!!)
どなたが祀られているのかわからないが、これは行かねばなるまい
なんだこの人? と並ぶ方々に見られながらせり出す松とロープの細い隙間を身を捻りつつ進み、鳥居で一礼、足を踏...み...
なんだこの凄い空気感はっ!!
深呼吸をし、再び一礼、そして神域へ
呼吸が重く、でも苦しくはなく、風は無いのに全身に緩やかに暖かい風が来るというか圧の波が来るというか、もう神々しい、という一言で片付ける他ありません
石柱に刻まれた文字は 神武天皇遥拝所
後に調べてみると、各地によくあるらしいのですが私はこの時、初めて、気付きました
神武天皇は日本の初代天皇であり、天照大神の五代目の孫にあたり彦火火出見尊とされています
神武天皇を遥拝するとはどういうことか、とこの時は理解出来なかったのですが、正面から押し寄せる言葉にならない御神威にただただ頭を垂れるのみでした
ご挨拶を終え、一礼し、深呼吸し、そして鳥居を出てそこで初めて、一枚だけ写真を撮らせていただいたのですが、今この記事を書きながらその写真を見て驚きました
石柱と特徴的な狛犬は記憶のままなのですが、記憶の中では正面生垣の中央部分だけが開けていて空が見えていたんです...
いや、長閑な街並すら見えていた気がしていたんですが、、、そうか、よく考えればもし見えていたならばこの方面には戸山公園はあるものの新宿方面だからビル群があったはずだけどその記憶は無い
いや、低いところが見えなかったにしても中央正面から上はすっぽり空が...えぇ...
うーん、不思議である
神武天皇遥拝所とは即ち神武天皇陵を遥拝するということなので恐らく奈良県の神武天皇陵・橿原神宮の方角を向いていると思われます
隋神門から正面参道へ向かい階段を降りてきました、見上げると素晴らしいですね
トップ画に使ったのは最後に撮った写真でしたw
鳥居脇には流鏑馬の像
なんと平安鎌倉の武芸稽古として有名な流鏑馬が穴八幡宮における疱瘡平癒の神事として制定されたのは八代将軍吉宗の命によるものだったんですねー
高田馬場、そういうことだったのかっ!!
というわけで、穴八幡宮でした!!
上でも書きましたが、ほんと、こちらかなり素晴らしいので是非ご参拝ください!!
さて、既に長ったらしいのに後書きも長々と
一陽来福守りですね
穴八幡宮、放生寺、揃いました♪
放生寺と比べ穴八幡宮の方が厳しめです
・冬至、大晦日、節分の終わる夜12時ちょうど
・部屋の中心から亥子の方へ文字が向く対角に貼る
・壁に糊などで直に貼り、画鋲やテープで上から貼り付けるのは厳禁
・一度外れたら一時的に神棚へ収め、早めに穴八幡宮へお納めする
そして注意書きがしっかりとありましたのでその部分だけ全文書き写します
「この御守は、長い傳(伝)統のある御社宝から由来し、江戸時代の元禄年間より行はれた穴八幡宮だけに傳来する特別の御守であります。近年、他の寺社で類似の御守を出して居る様ですが、穴八幡宮とは一切関係がありません。御参拝の方は間違いのない様、穴八幡宮の御社殿で御受けください。」
確かに、私が知ったのも四谷須賀神社でしたし、それ以外にも各地で大きな神社さんなどでも領布されています
真似するなとまでは言わずとも、他所とやり方が違ってもうちはうち、そしてうちが元祖ですっていうのは当然かと思います
が、違和感を感じたのは放生寺との気温差です
方や、
うちが元祖ですよ、でも元はひとつだったので一緒にお祀りしてください、その場合は神社さんを上にしたらいいですよー
一方、
うちが元祖で他の寺(放生寺も含む?)や神社で出してるのは無関係ですよ
ここだけ考えると、あれ? 寺の方は仲良くやろうとしているのに神社の方が突き放してる感じ?
ですが、放生寺さんが配布してらした紙の方が中々に手厳しかったのです
(長ーいけど打ちます)
「境内を隣り合わせる光松山放生寺と穴八幡宮は、江戸のむかし、神仏習合により、寺社の区別はなく、別当とよばれる僧侶(当山住職)が社務をとり、およそ380年の歴史のうち230年程は光松山放生寺八幡宮として一つのものとして発展し、特に当山開創良昌上人は、三代将軍徳川家光公の尊崇篤く爾来、徳川家代々の祈願寺として多くの尊信を得たものと考えられます。明治新政府の神道国教化政策の一環として神仏分離が布告され、明治2年当時の放生寺第十六世実光上人お従弟景明房が復飾し、高田近江と名のり、穴八幡の神主となり、寺・社を分割し現在に至って居ります。尚、一陽来福のお守りは寺・社を分割する以前(天保年間)より当山が除災招福・金銀融通の祈祷を修して信徒に授与したのが始まりです。」
ちょっと待ってください、お守りの祀り方にはファジーながら結構攻撃的な印象を受けます
いずれにせよ、関係が良いのだとしたらお互いにお互いを尊重し合い、共に祀ってくださいと双方がおっしゃるはずですし、わざわざ角の立つような言葉を配布するとも思えません
関係が良いのに、であるとしたらそれこそ不思議でなりません
こうなるとやはり仲が悪いんでしょうね。。。であれば一陽来復と一陽来福を共にお祀りするのも考えてしまいますよね
神道の国に仏教が入っても仲良くやれていたのが明治の神仏分離によって仲が悪くなった(させられた)うちのひとつ、なのでしょうかねぇ
ともあれその辺は 人 が決めたもの、神様も仏様もそんなに心狭き方々ではないと信じますので、私は共に祀りたいと思います
もし、寺社の仲が悪いのであれば、共に祀ることでいつか仲良くなりますよう祈念したいと思います
八幡様を目指していてお寺さんの方とも巡り会い、そしてこうして記事にしているということも何かの御縁であると思いますから( ^ω^)
それにね
これまで沢山の寺社を回らせていただいていますが、放生寺と穴八幡宮、どちらも物凄く素晴らしかったんですから間違いないです!!
明後日、2月3日は節分ですので、豆まきをして歳の数だけ豆を食べます(恵方巻きは食べませーん)
そして0時前になったらうちは柱に貼るので木工用ボンドをお守りの裏面に塗り、スマホで時報を鳴らしながら ポッ ポッ ポッ ポーン! の瞬間にペタッ!!
後は笑顔で楽しく一年を送るだけで~す♪
まだご用意のない方、明日明後日でお受け出来れば是非♪
家の壁に貼れないという方は懐守りだけでも良いと思いますよ~( *・ω・)