どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、三輪山!
起源は大国主が国造りをしていた頃、少彦名神が去り途方に暮れていた所に 三輪山に我を祀れば国造りは成功するだろう と大物主が現れ、その通り祀られたのが始まりといいますから神代が創始ということになります
崇神天皇の代には深刻な疫病に悩む中、我の子孫に三輪山を祀らせなさいと神憑りによる神託、そして天皇の夢にも同様の託宣があったことからその人物を探し出し祀らせたところ疫病が治まっただけでなく豊作になるなどのご利益があったという
これを創建としても紀元前50年頃となる日本最古の神社で、今でも日本古来の祭祀型のまま三輪山を御神体として山と磐座を祀っています(最古については諸説あり)
また、三輪山の語源としては神奈備(神宿る場所) 三諸山だと言われています
こちらが二の鳥居
なんと神々しいことか
御祭神が祀られているのは山の上の方ですが山自体が御神体ですので麓ではありますが御神体の上を歩かせて頂いているという事になります
素晴らしい参道を進み御手洗橋を渡ります
御神域の橋は鳥居と同じく浄化の役割があるとされていますが、鳥居は門としての存在が強くその内にあり川の上を通る橋はより浄化の力が強いと言えるでしょう
橋を渡る際は歩きながら軽くで構いませんので一礼してから心を鎮めて渡らせて頂くと良いと思います(*^^*)b
こちらが祓戸神社
境外、一の鳥居の前に鎮座していた綱越神社、鳥居、橋、そして祓戸神社、その先の手水舎としっかり祓い清めてから入らせて頂くべき御山ということでしょう
こちらは夫婦岩
古来より寄り添う大物主大神と活玉依姫を顕すとされてきた磐座です
すばらしい手水舎です
なんと、神蛇が水を吐き出しています
樽でしょうか井戸でしょうか、注連縄が巻かれており宝珠を抱いた蛇が巻きついています
なんと素敵なことか
実はこの時なぜか少し思考がぼーっとしており、背後の御神木に引っ張られて裏側に来た時に初めて蛇手水に気付いたのです
こちらは しるしの杉、三輪七本杉の一だそうです
七本、、、お会いしてないな(´・ω・`)ショボーン
さぁ、、、いよいよです!!
といっても緊張し過ぎてもいけませんのでひとつ深呼吸
石段の上は門柱に注連縄という古来の形
そういえば狛犬も居ません
そしてこちらが、大神神社 拝殿
拝殿だけで本殿は無く、この裏手には門にもなっている三輪鳥居があり、その後ろこそが禁足地たる御神体の三輪山を守る結界にもなっています
残念ながら現在は拝観中止となっています
では御祭神はどちらに宿られているのかというと、山頂の磐座に大物主大神が、中腹の磐座に大己貴神、麓の磐座に少彦名神が座られているとされているそうです
深い緑に囲まれ真っ青な空を見上げているとふたつの世界の真ん中に挟まれているかのような感覚に陥ります
無事に来させて頂きありがとうございます、これから御神域を歩かせて頂きます、宜しくお願い致します 、とご挨拶
拝殿から左手に向かうとこちら、なでうさぎ
来年(参拝は大晦日でした)の干支だから大人気だなー、でもなんでウサギが、、、あっ、そっか、大国主神の幸魂奇魂とも言われていますからね
なんとも言えない人間臭い表情をしていますね
意外と因幡の白兎伝説は 卯 に繋がる氏族の話だったりして
そのまま左手方向へ行くとこちら、くすり道
この登りきったところから右後方へ折り返す分岐がありますがそちらは後篇にて、順路は左方向です
暫く歩いて行くと磐座神社があります
御祭神は少彦名神
なんと!! 登拝しないと拝めないと思っていたのですが麓の磐座はこちらでご挨拶出来たのですね!!
岩 といってもそれほどの大きさではないのですがやはりとても存在感があります
その先に御鎮座されているのがこちら、狭井神社です
正式名称は 狭井坐大神荒魂神社 だそうで
さいにいますおおみわのあらみたまじんじゃ
なるほど、現代における神社の名前というのはこうした元が長い名称が縮められた形なんですね、名称というよりも説明です
ちなみに前回の記事からかと思いますが、大神 が おおみわ だったり おおかみ だったりしますので文脈でご判断下さい
大神大神 は おおみわおおかみ ですね
こちらの創建は垂仁天皇の代といいますから紀元前20年頃、大神荒御魂が祀る神社が建てられ、後の大宝律令では大神神社と狭井神社で行う祭祀のひとつが疫病除けの国家祭祀と定められていたそうです
他神社でいえば奥宮と位置づけられるであろう狭井神社
少し上がってきたからか神聖感が増している気がします
御祭神は大神荒御神、配神に大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多々良姫命、事代主神
勢夜多々良姫は玉櫛姫の事で大物主の妻、媛蹈鞴五十鈴媛は大物主と勢夜多々良姫の娘であり神武天皇の后です
こちらは木々に囲まれた少し狭い境内になっていますのでより濃密な三輪山、御神体の存在を肌から感じることが出来るとても素晴らしい場所です
この裏手(というか左奥)に 狭井 の由来となった御神井があり太古から薬水として崇められてきました
キン、、、、コン、、、、キン、、、、
微かに聞こえる音色、、、脇を見ると水琴窟がありました
コロナ禍によるものか年末年始だったからか、こちらでお水を頂くことは出来ませんでしたが社務所脇から階段を降りた所で御神水を頂くことが出来ました
ペットボトル等を持参いていれば持ち帰りも可能ですし社務所では御神水が入ったペットボトルが売られておりますので持ち帰りや知人などにも衛生的に持ち帰れますね
そして忘れちゃいけない、御社殿右手の山側にあるのがこちら、三輪山登拝口
なんと、禁足地たる御神体に立ち入ることが出来るのです!が、事前に承知していましたがコロナ禍以降の登拝は中止されているとのこと、いつか、、、いつか必ず!
登拝には社務所での申請が必要で登拝料300円を納め申込用紙に必要事項を記入、鈴付きの襷を掛け大幣を使って身を清めてからの入山
御神体ですから一切の写真・動画撮影は元よりメモ、スケッチに至るまで全てがNG、さらに下山後も山中の状態や様子、起こった事などを無闇に他人に話してはならないと定められています
御神体に立ち入ることが出来るだけで凄いことですから、コロナ禍が落ち着いた頃に再開される事を祈ります
少し右側のこちら、背の低いお社というか祠はなんでしょう
狭井神社の手前に鎮座するのがこちら、見た目からして説明不要の市杵島姫神社です
こちらはちょっと不思議で、大神神社の末社である桜井市茅原に鎮座する富士神社・厳島神社より勧請された神社だそうです
御神井から流れる御神池の守り神とされたため、勧請元よりもしっかりと祀られています
さて、御神水で元気を頂きましたのでさらに先へ進みます
石が敷かれていたり階段になっていたりで結構歩きやすい箇所もありますがこの先はトレッキング道になります
暫く歩くと木々の隙間から現れる参道
貴船神社です!!
少し離れてはいますが御神井が近いこともあって祀られているのでしょうか、御祭神は淤加美神
二日前に貴船さんにご挨拶したばかりですが、それで選んだ訳では無いのに翌日の大阪、そして急遽の奈良と三日続けて貴船社にご挨拶出来るとは凄いご縁です
物凄く心地が良く、水音は聞こえませんが目を閉じて風と葉音に集中すると心身が癒されていきます
と言いたいところですが、いや、それは事実なのですが全身癒し状態の中で右後方から流れてくる独特の御神気が凄すぎます
こちら
もうね、石段を上がった所から背の低い玉垣が視界に入ってもしかしたら井戸かとも思ったのですが隙間から薄ら見える状態からしても完全に磐座と分かりました
嘘やん、、、こんなとこにこんな無防備に磐座って!!
末社のひとつでポツンと祀られている貴船さん、と思っていたので磐座の登場に驚きました
小さめでありながら絶対的な存在感、そして美しさ
目の前にあるので龗神を祀る磐座でしょうか、それともそれより古くからの磐座でしょうか
この周りはそのままの山で柵などはありません
素晴らしい 以外の言葉が出て来ませんよ(*´ω`*)
さぁ、もう少し先へ進みます
次の一社は大神神社とは別記事とします(。-_-。)b
あとがき
いろいろ調べている中で面白い説がありました
大物主は饒速日命である、というもの
古事記において少彦名神が去って途方に暮れている大国主の前には海から大物主が現れるとありますが、後から書かれた日本書紀に大国主と大物主は同一であると記述されたことによりそちらの説の方が主となってしまった感があります
先に書かれた嘘を真実に書き換えたのか、はたまた都合の悪い事実を多い隠そうとしたのかは定かではありません
勿論、主祭神として荒御魂を祀り配神に和御魂を祀ることもあるでしょうから説としてはどちらも有り得ます
そこで一番の謎だった所に繋がってきます
その昔、神 とは素戔嗚尊の事をさし、そして 大神 は饒速日命だったという説、だから大神神社という名になったというのです(ちょっとその由来がわかりませんでしたが)
また、崇神天皇が祀ったというのも饒速日の祟りを鎮めるためであり、、、おお?!
さらに調べると、やはり饒速日ではなく大物主としての話でも原因は祟りでありそれを収めるために直系の子孫を探す必要があったというのです
崇神天皇が即位するやいなやこの国を襲った疫病は人口の半分を死に至らしめるほどの猛威を奮ったといいます
天変地異は八百万の神に縋ることになりますがそれが異常な連鎖となった時や当時としては全く原因不明対処不可能な疫病が蔓延すると祟りであると考える傾向にあったようです
そして繋がりました
ちょっと混同してしまいがちだったのですが、方や史上最大級とされる祟り(疫病)に遭った天皇、方や日本三大怨霊とされるほどの祟りを起こしたとされる天皇、どちらも祟りに関係しているから名前に 祟 が入っているというのです
いやいや、崇める あがめる の意味だってあるじゃないか
と他に 崇 のつく天皇を調べてみると
日本史上初めて臣下に暗殺されたという崇峻天皇
崇道天皇...? はなんと早良親王のことだそうで怨霊として有名中の有名なお方、既に亡くなっている親王に対し祟りを恐れて天皇の称号を送ったというのです
道真公に対する死後の大臣復職はこれを真似たのでしょうか
そして崇光天皇
昨年の大河で大きな話題となった鎌倉時代のすぐ後に即位した崇光天皇もまた、南北朝に別れた戦乱によりなかなかに酷い扱いを受け続けたようです
歴史に翻弄された天皇は複数いらっしゃると思うのでその限りではないとも思いますが、即位から最期までずっと酷かったからでしょうか、もしくは、、、ただおひとり、苦境の中を耐えられたということであがめる意味の 崇 があてられた天皇だったのでしょうか
と、まぁ あとがき なのを良いことに書きなぐっておりましたらとうとう 祟り 御霊 中心の話までいってしまいましたw
でも、ある意味、それが信仰の本来の姿なんでしょうかね
神頼み そして 祟りを鎮めること、つまり人の手ではどうにもならない事を神の手に委ねるということですね
祟りに関して言えることは、その故人に対して 祟りじゃ!! という罪悪感を感じる、感じさせるような事をするな、っちゅーことですよねヽ(`Д´)ノ
でも、、、待てよ?
まぁこうして様々な考察があり、そのどれもが可能性ありそうなのですが、いずれにしても三輪山はとても素晴らしい山でしてとても厳かに大切に守られている山でした(*^^*)
あれ??? あとがきの大半で言ってたことと締めで言ってることが違うぞ???
そうなんです
怨霊を祀った、というには余りにもかけ離れた過去最強レベルの居心地の良さなのです
これはどうしたことか???
お時間使ってここまでお読み頂いた方は是非、後篇のあとがきもお読みいただければ幸いですm(*_ _)m