どうも、ひのきですm(*_ _)m
未明の大阪天満宮に始まり、御霊神社、安倍晴明神社、阿部王子神社、住吉大社、大鳥大社と巡って参りました大阪参拝の一日もこちらが最後となります
こちら、百舌鳥八幡宮!!!
鳳の次にやって来たこの 百舌鳥 という地名
仁徳天皇がこの地 石津原を陵の場所と定め、その造営工事が始まったところ突然鹿が走って来て倒れ死んだという
不思議に思い鹿を調べようと近づくと耳から百舌鳥が飛び出し、鹿は百舌鳥に食べられていた
それにより百舌鳥耳原と呼ばれた、、、という非常にエグい話が堺市の説明から出てきたのですが…(⌒-⌒;)
この説は日本書紀に書かれているそうでそれより前となる古事記には毛受、または毛須、日本書紀より後には万代と書かれていた頃もあるそうです
創作するにしてももっと明るい話にすれば良いのに…と思ったりもしますが既に食べられている鹿が飛び出して来たというのが御神威とすることも出来ますが意外とこれが事実だったのか…はたまた実際に起った事の暗喩でしょうか
さて、百舌鳥駅から歩くこと数分
えっ?!?!?!Σ(OωO )
まさか道路に参道鳥居があるとは思いませんでした、ご由緒は簡単にしか見ていないけれど思っていた以上に凄い神社だったのか。。。
と、鳥居を潜ることなく手前の路地を曲がり住宅地の中へ入って行きます
さらに真っ直ぐ歩いていくこと数分
。。。。。。。。。。。。。。。絶句
中学生の頃だったか、社会科見学で古墳へ行った覚えはあるのですが奈良だったかな?こうしてお堀が囲む古墳は初めてでその凄さに震えます
こちらは百舌鳥御廟山古墳
推定 応神天皇陵!!!
この時の私はちゃんと調べて居なかったので勘違いしていましたが、現在応神天皇陵とされているのは羽曳野市にある誉田御廟山古墳の方でこちらは陵墓参考地なのだそうです
ただ、誉田御廟山古墳が応神天皇陵と推測されている中で被葬候補地として百舌鳥御廟山古墳が参考地に指定されたというのはこちらである可能性が少なくないということとも言えます
大きさから言えば古墳の中では小さい方になるようですし駅の反対側にある巨大な仁徳天皇陵(応神天皇の子)と比べると、、、という気もしますが、大きければ良いというわけでも無く、またその時々の事情もあるでしょうから規模だけでは確定は出来ませんね
実際に御遺骨が残っていたのかどうか、今も残されているのかどうか、そしてそれが応神天皇なのかどうか、神聖なる天皇墳墓として発掘許可が出ておらず分からないままなのですがそれでも感慨深くて涙が出そうになりました
こちらが円の方ですね
ルート的に私は北側を通りましたが南側には簡素な遥拝所のようなものがあるみたいです
まさか古墳に感動して涙ぐむ未来があるとは。。。
そしてちゃんと勉強していなかった私は今さら気が付きましたよね
なんであの図にするんですかね? 前方が後ろで円ってどういう意味じゃぃ、って思いつつそのまま ふーん と流していましたが、前が方形で後ろが円って意味だったんですね!!(馬鹿ですみません)
前=上だと勝手に思っているので丸が前なんだと思い込んでおりました、方形の方が前なんですね!!
ただ、お墓になっているのは円の方で方形の場所で祭祀を執り行っていたようなので図の向きとしては間違いでもないのか、、、ややこしい
ん? 前ってのは手前って意味だとしたら合ってる? なら前方奥円墳やないかい!(もうええて)
ちなみに鍵穴として見るか、逆さまにすると某壺の形になってやはり円の方に神聖なもの(御遺骨)が納められているとも考えることが出来るようですね
と盛大に話が逸れましたが、とにかく、とてもとても感動しました
まぁ、応神天皇がこちらに眠られていたのかどうかはわかりませんが、いつか、誉田御廟山古墳の方にもご挨拶出来たらいいな(*^^*)
さて、ここからまた住宅地の中を抜けていくとこちら
門柱に注連縄!! なんと古来の形!!
って、また絶対に横参道ですよね
というわけで、さすがに応神天皇陵候補地に近い八幡宮ですから一旦境内を抜けて正面へ周りました
少しカーブしつつもほぼ正面に見える石段と社殿がどんどんと近付いてくる素晴らしい参道
これぞ、八幡宮!! といった感じです
目の前に明らかな弁天社と水神様、さらにお稲荷様もいらっしゃるのは見えていましたがここはさすがに脇目も振らず真っ直ぐ本殿へ
としっかり決めていたのにも関わらずなぜかめっちゃ呼ばれるので蓮池に掛かる赤い橋を渡り弁天島へ
ほんと、なんでだろ?
こちらが弁財天 市杵島姫命を祀る市杵島社、凄く素敵です
弁天島、、、凄く居心地が良いぞ
西側の池中に水神様が祀られています
お気付きになられましたでしょうか
この時の私は全く気付いていませんでした
賽銭箱の後ろは少し降りることが出来るようになっていまして、こちらの窪みは祭祀用でしょうか
水、空、太陽、そして心地よい微風、、、最高です
参拝を終え、、、たのになぜか足が本殿へ向かず暫くここで落ち着いてしまいました
さすがに数分が過ぎ、、、ん? なんでこんなのんびりしてるんだ? いや、素晴らしいけども、、、なぜ?
うーん、さすがに本殿へ向かおう、と階段を上がって賽銭箱前へ戻り、ありがとうございましたと再拝して頭を上げたところでようやく目が合った
ウソやん(声が出た)
おまん! いつからおったんじゃいっ!!
めっちゃ凛々しいんですけどっ!!
そう、最初からずっと彼(彼女?)は居たのだ(気付いてなかったけれど見切れて写っていますね)
時々、少し首の角度を変えるだけで全く動くことなくじーっと佇んでいる、、、寝て、、、るのか?
そりゃぁこんなにも動かなかったら気付かないよ(ノ∀`)
こうして見ると小さいけど真下で見ると意外と大きいんですよね、調べてみたけど多分アオサギでしょう
周りに誰も居ないのを良いことに話しかけたり真下に行ったりしたけどハシビロコウのように動きが少ないアオサギさんでございました
うん、とっても素晴らしい蓮池です
それでは
うわぁぁぁぁぁっ、、、、、、、凄い御神気
もうとにかく父神として崇敬する八幡様の中でも大事な大事な八幡宮ですからそれはもう心を込めて感謝をお伝えさせて頂きました
三韓征討を成し遂げた神功皇后がこの地で休まられた際に 幾万年の後までもこの所に鎮まり天下泰平民万人を守ろう と誓いを立てられた
後の欽明天皇の代(西暦550年前後)、八幡大神の託宣を受けこの地を 万代(もず) として八幡宮を創建したそうです
百舌鳥の由来は 万代 だった?!
しかもちゃんと調べていなかった私はこの時何故か神功皇后が八幡大神を祀ったと勘違いしていましたが、年代的にも神功皇后の方が先に崩御されていますからありえませんでしたね(´-ω-`)
欽明天皇の代とありますが八幡総本宮である宇佐神宮の御由緒では571年に示顕され社殿が造営され創建は725年ということになっています
となると創建年としては百舌鳥八幡宮の方が古くなる?! さらに調べてみると最古の八幡宮とされているのは誉田御廟山古墳に隣接する誉田八幡宮で古墳の神廟として祀られた559年が創建とされています
そうかぁ、総本宮だからって創建が最古になるわけでも無いんですね
さて、その説がいつ語られたものかによっても変わって来てしまいますが欽明天皇の代に 万代 として創建された八幡宮ですが百舌鳥とされている日本書紀の成立は720年です
年代から想像すると、鹿と百舌鳥の話が もず の響きから作られた話だった可能性もありますし、実話だったけれど同じ響きで神功皇后の御誓願と掛けたのかもしれません
ただ、万代を調べても もず という読み方をされるのはこの由来しか出てきませんが(´・ω・`)
境内に戻りましょう(*^^*)
いやー、、、ほんとに素晴らしい御社殿です
本殿脇に境内社が鎮座します
若宮社と招魂社
若宮とは多くの場合御子息が祀られておりまして、こちらではそう、仁徳天皇が御祭神です
いやー、もう最高の氣が満ち満ちています
この日巡った神社は全てが素晴らしい氣で満ちていましたがその中でも群を抜いています
そしてなんと言ってもこちら!! 御神木!!
樹齢800年を超えてもしっかりと力強い楠
この存在感ですよ
ゆっくり、しっかり、御神気を頂きました
後回しになってごめんよ、狛犬さんもとっても素敵でした
こちらは稲荷社、由緒等は不明です
正面が玉垣で塞がれており横から参拝する形
空気感が少し違って ピシッ としているお稲荷さんでございました
こちら、結構新しそうだな?と思ったのですが以前は石段のすぐ脇に鎮座されていたようで数年前に少しだけ離れた今の位置に遷されたようですね
うん、百舌鳥八幡宮、本当に素晴らしかったです
御廟山古墳が応神天皇の陵墓だとしたら、目の前に陵があるわけですから素晴らしいのも当然、そうでなくとも神功皇后の誓願が息づいた場所ですからしっかりとご利益も授かれることでしょう
これにて2022年の参拝、終了!
と名古屋へ帰り着きまして夕飯を食べてまったり、、、しようとしたのですが突然の予定変更を余儀なくされまして、年明けに予定していた参拝が急遽翌日、大晦日になりました
次回予告
2022年大晦日の参拝納め、スタート!!
というわけで飯テロ!!(どういうわけだ)
帰省したら絶対に食べる名古屋名物 山本屋の味噌煮込み!
かやくご飯とか~丼セットなどは別として、基本的に名古屋人には うどん定食 という文化はありませんが味噌煮込みにはご飯が必須です
何故かというと、味が濃いからご飯で中和するというか、ご飯が合うのです
山本屋はご飯を付けるとオカワリ自由ですので、まず一杯はうどんと共に、そしてオカワリ
そして、こうじゃ
こぉ~れがうみゃーがね!⸜(*ˊᗜˋ*)⸝
あとがき
百舌鳥八幡宮、実は当初は参拝候補社に上がるどころか存在を知りもしなかったのですが大鳥様から大阪駅へ戻るルートを検索していた時のこと
神功皇后が創建に関わっている!←早とちり
むむっ
応神天皇の古墳もある?!←誉田~の存在に気付いてない
むむっ
まぁルート的に最後になってしまうし途中で時間が無くなったりしたらその時はもう仕方がないかな、というリストアップでした(失礼です)
しかも前夜に無理やり御霊神社を予定にぶっこんだ時点でかなり黄色信号だったんですよね
さらに足が疲れてたら諦めよう、的な感じ(ほんと失礼)
なんなら、それなりに歩きそうだし時間的に少し読めないから別の神社(数社候補があった)に寄る事にしてもいいかなとさえ思っていました(しまいにゃ怒られるで)
結果、途中で無理に急いだりすることもなくそれでも時間に若干の余裕があり、そして疲れが出始めて少し迷った所で食事がとれたことで、よっしゃぁ行けるぞぉ!!となったわけです( ˙꒳˙ )
そしていざ向かった百舌鳥の地
それはそれは、とても素晴らしい参拝となりました
八幡大神である応神天皇もまた、その存在が疑われている神様のひと柱であります
母である神功皇后の伝承が余りにも神憑り過ぎており、応神天皇の出自もさることながら功績も素晴らしい事から創作された英雄なのではないかというのです
ただ、父君である仲哀天皇までもが 存在が不明確 だなんて言われていてもうそうなってくると実在したと証明出来る古代の神様(天皇)はゼロなんじゃないか、っていうね
有り得ないような年齢においても当時は現代の半年が一年と数えられていたという説もありますのでそうであれば極普通の年齢ということになります
この辺は歴史家さん方にお任せするしかないのですが、個人的には産土神様でもいらっしゃるので父神的な存在だと思い慕っております
ただ、だからといっておしるしとかが特に強く頂けるという事は全く無く、特別な現象には滅多に当たることが出来ません(´>∀<`)ゝ
それでも、雄大でどっしりと構えられている八幡様にご挨拶すると気持ちが、身体が、ちょっと楽になる気がするんですよね
皆様はどちらでお宮参りされましたか?
本来の氏神様とは生まれた姓を遡る氏族が祀る祖霊、つまり御先祖様のことです
ですが一部の家系図が残るような名家を除くと御先祖様を辿ることの出来る人が少なくなってしまった現代、名字による氏神様というのが明確では無くなってしまいました
私も、名字だけで言えば氏神様が想定出来るのですが多数存在する姓なので実際に僅かでも血が繋がっているのかいないのかが全くわかりません( ̄▽ ̄;)
現代の氏神様は住んでいる土地を纏める神社を氏神としてその地域に暮らす人々を氏子とするのが主となっています
中心が氏族から土地へと変化したんですね
別に、生まれて初めてご挨拶をするお宮参りの神社を氏神様、住んでいる土地を守る神様を土地神様とする考えもあるようです
確かに、現代では引越しを多く経験する人も多くその都度変わるのは土地神様として、一生に一社だけの産土神様こそ現代の氏神様とするのもわかる気がします
古来、産土神として参拝するのは祖神が祀られる氏神様というのが多かったでしょうしね(*^^*)b
今の時代で考えてしまえば、御先祖様を辿っていくと最初の神様へと辿り着き、でもその祖神も神様でその祖神もまた神様で、、、お祀りする神様が凄い数になってしまいそうですよね(*´ 艸`)
もし、家系図や苗字などから氏神様が辿れるようでしたら是非とも自分の祖神を調べていただくと、ご挨拶する時に今までとちょっと違う感じがするかもしれませんね(*^^*)b