どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、五十鈴神社です
当ブログを立ち上げてから初めて、トップ画に鳥居から境外を写した写真を選びました、いろいろと思い入れのある神社です
鎮座地は宮城県気仙沼市の神明崎、東北参拝旅 二日目に選んだのは10年ぶりの気仙沼でした
今回はいつものような あとがき形式 ではなく、五十鈴神社と気仙沼の街の二部構成に致します
ー 第一部 ー 五十鈴神社
気仙沼港に小さく突き出た神明崎、その上に鎮座して港と街を見守っているのが五十鈴神社です
実はこれで三度目の参拝になるのですが以前は"神社巡り"では無かったので由緒等は知らないまま、というわけでいつも通り下調べ無しの参拝でございます!
気仙沼唐桑線の道路に面したところに鳥居と参道がありそちらが正面参道ということになるのでしょう
気仙沼魚浜公園側から南下してくるとこちらの赤い欄干の橋へ
神明崎をぐるりと囲む神明海道は綺麗に作り直されています
二代目お恵比寿さまと浮見堂が見えてきます
浮見堂もしっかりと再建されています
浮見堂の少し手前で力強く気仙沼港を見守ってくださる三代目お恵比寿様はなんとマグロ抱えてます!!w
とっても美しい港です(*^^*)
市の天然記念物に指定されているモクゲンジ群生のところから境内へ上がります(恵比寿様の横からも上がれましたね)
岩の力を感じます
この鳥居から港を見たのがこの写真です
鳥居から正面に主殿がありまずいの一番にご挨拶と思っていたのですが手前の境内社から呼ばれる呼ばれる、というわけでこちら(*^^*)
あっ、あれ?! 恵比寿様が居る!?
なんとこちら、二代目!! 津波により海中に没し、いくら探しても見付からず諦めていたところにサッポロビールさんが寄贈してくれたのだそうですが、、、なんと浮見堂と三代目が完成する直前に二代目が発見されたんだそうです!!
こちらの猪狩神社は社殿が物凄く美しい!! 柱にまで素晴らしい彫刻が施されています
こちらはこの地で養殖を始め気仙沼の発展を産んだ猪狩新兵衛を地元の方が祀った神社で1877年に創建されました
そして左下に見切れてしまっているのですが静かに石社が鎮座されています
目の前の説明板には何も書かれておらず、にしては存在感があったので心を込めてご挨拶させて頂いたのですが撮っていたと思った写真がありませんでした(・-・)?
最近呼ばれている流れを考えると龍神様かとも思うのですが、、、でも石祠に呼ばれたというよりこのエリアに呼ばれたというか。。。こちらについては少し後で触れます(。-_-。)b
意外と広い境内、社殿手前に手水舎があります
そしてこちらが五十鈴神社 拝殿
様々な想いが溢れます
こちらがご由緒
主祭神は天照皇大神、八雲神社の素盞嗚大神、龍神社の大海津見大神が合祀されています
1400年頃、村ごとに天照大神を祀るよう義務付けられ丸森の地に創建、1700年頃にこの神明崎へと遷座されたそうです
927年の延喜式神名帳には計仙麻神社の論社として龍神社が記載されているということなので龍神社の境内に神明社が遷座し、龍神社は合祀とされたのかもしれません
湾を見渡す場所ですから古くから海を司る龍神 大海津見 が祀られていたのでしょう、となると実際の創建としては更に古くだったと思われます
あっ、先程ご挨拶した石祠は天御中主、高皇産霊、神皇産霊の造化三神を祀る産霊神社(妙見神社)だったんですね!!
こちらを龍神社だとされている方もいらっしゃるようですが由緒板に境内社として猪狩神社と並び記載されており合祀の八雲神社も境内に見られないことから龍神社も本殿内に合祀されているのではないかと考えられます
祭神名を変えたという可能性も無くはないのですがそうであれば元の御祭神は残さないでしょうからね(´・ω・`)
やっぱり、石祠の招待はわかりませんでしたが湾が見渡せる立地的に元から造化三神(妙見菩薩)が祀られていた可能性が高く、龍神社は本殿に合祀されているのではないでしょうか
この街の発展を産んだ猪狩神社、そして古来よりこの街を見守ってきた造化三神(妙見菩薩)、そして帰ってきた二代目お恵比寿様、、、そりゃこの場所がとっても素晴らしい気に溢れていたわけです(*^^*)
すーーー。。。はー。。。。。。うん、最高だ!!
素晴らしい天候に恵まれ、10年ぶりに来ることが出来た気仙沼の街、そして五十鈴神社、とっても感慨深いものがあります
社殿左手にはお社や像が並んでいますが祀られているといった感じではないので恐らく持ち寄られたものかと思います
ここから本殿が見えますが
右手側からの方がしっかりと見えます(*^^*)
こちら側が上で触れました正面参道になりますので狛犬さんがいらっしゃいまして鹿折地区の方が見えます
こちらもとても想うところのある景色です
折角なので授与品を、、、と思ったのですが社務所に人が居ないようでしたので窓外に置いてあったおみくじにしました(*^^*)
自分のというよりこれからの気仙沼に幸せを、と思い引いたこちら
まさかの だーいーきーちーーーーーーーーーっ!!!
自慢じゃありませんが私、おみくじはいつも大吉を引く方なのですが今年はひとつも大吉が無く(でも内容は良かったんですよ(*^^*) )そういう年だと思っていたのですがここで大吉が出るというのがまたグッときました
先程登ってきた階段を降りて少し右手へ、神明海道が終わったところにこちら
あれ? こんなところあったっけ? 気付かなかったのは辺り一帯が荒れていたからかもしれません
こちらは管弦窟と呼ばれる鍾乳洞だそうです
かつては奥に鍾乳石が見え、塩の満ち干きによって変わる不思議な音もあったそうです
ちょっと露出を最大にして撮ってみたのですが特に何があるわけではなく奥深く続いているようですが中央やや左側に若干 台座 のようになっているように見える場所があります
この場所にかどうかはわかりませんが洞内には弁財天と親子地蔵が祀られている(祀られていた?)そうです
この時はそんな由来を知らないままにこの場所の不思議さに惹かれ暫ししゃがみ込んでいました
位置的には本殿の真下と言っても良いでしょうか、不思議と拍手ではなく目を閉じ手を合わせたのも何か感じていたのかもしれません
ふと脇を見ると、、、折れてしまった座像のように見えました
よし!! 飯を食おう!!!
というわけで気仙沼グルメコーナー!!\(^o^)/
まさにこの対岸、真正面にある気仙沼お魚いちば、いつもお土産を購入させていただいているのですがレストラン 鮮 もあって食事も出来ます(*^^*)b
一度目は復興屋台村で、二度目はこちらで復活(フカかつ)バーガーを、三度目となった今回はこっちらーーー!!
じゃん!!! ハーモニカ煮定食!!!
さすが港町と言うべきお刺身はこれだけでも十分メインになれる美味しさ
そしてふかひれと並んで The気仙沼 と言っても良いのではないかというハーモニカ煮はメカジキの背ビレ付け根です!!
骨の隙間にしっかりと詰まった肉は歯ごたえがありながらも柔らかくメカジキの旨味の塊状態、勿論裏側にもビッシリ詰まっていて食べるのも箸でぐいっと抉るとスルンと剥がせるので食べるのも面倒ではありません
この大きさのハーモニカが二枚に美味しいお刺身と小鉢も付いていて1500円でお釣りが来るんですから最高です(*´ω`*)
あぁ、、、お腹が鳴る。。。。。
あ、気仙沼はお土産も充実しているのですが個人的には毎回リピートしているホテル観洋監修のスープシリーズ!! ふかひれスープ二種にクラムチャウダー三種類、どれも美味しいので喜ばれますよ d('∀'*)
行けない方は通販もあっりまーす\(^o^)/
さて、神社巡りでありながら旅の二日目は干支をひと巡りした震災の日を前に10年ぶりの気仙沼というのが目的でした
三度目の五十鈴神社で初めて涙を流さない参拝になりました(*^^*)
この後は過去二回と同じように南気仙沼へと向かったのですが偶然知った神社がありましてとっても素晴らしったので次の記事にします
つづく
注:以降には震災に関する内容や被災後の写真が含まれます
ー 第二部 ー 気仙沼の街
初めは2012年1月に気仙沼から南気仙沼、二度目は翌年2013年の1月に鹿折から南気仙沼、そして今回の三度目も鹿折から南気仙沼へ
行きはそのままBRTに乗り駅から出なかったので帰りに撮った夕方の写真ですがこちらが気仙沼駅、屋根に描かれた絵、魚のオブジェ、そしてメカジキの後ろには大きな灯台(のオブジェ?)があります
駅入口でピカチュウがお出迎えしてくれますよ(*^^*)
一ノ関駅からのドラゴンレール大船渡線 鉄道線は気仙沼で終点となりここから先はBRTとなります
着いたホームを前の方へ歩いていくとこちらでもポケモンがお出迎え(*^^*)
可愛いモンスター達の目の前が陸前高田・森方面のBRT大船渡線ホーム、駅舎側ホームが志津川・柳津方面のBRT気仙沼線ホームとなります
BRTが始まった頃は駅前ロータリーから出発して道路を走り途中の一部区間が専用レーンになっていましたが今では元の線路部分が改修されていてほとんどが専用線になっているようです
当時はBRTが始まったばかりだったので時々走るバス専用区間が新鮮でしたが駅のホームにそのままバスが入ってくるというのもまた不思議な感覚です
まぁ慣れてしまえばでっかいバス停ってことになりますね
BRTは鉄道に比べると輸送量が減るものの旅行シーズン以外は予算が削減出来るし大半が専用レーンということで交通渋滞の影響もほぼ無く定刻で目的地まで行けるので安心して乗ることが出来ます
単線となので時々こうして待ち合わせがあります(*^^*)
トンネルを抜けた先がどうなっているのか、脳裏に焼き付いている10年前の記憶
家がある、たくさん家がある!!!
厳密には、当時はここは線路のままだったはずなので全く同じ景色を見たわけではなく手前の家々はあったと思うのですがこの坂の先に見える景色は違っていたはずです
辺りの様子は変わっていましたがこの裏手の山は記憶にある、10年前、二度目の気仙沼にして初めての鹿折で呆然としたあの場所です
2012年1月に見た景色はこうでした
駅から少し先へ歩いたところから見たあの日の景色
瓦礫は一年後で既にほぼ撤去されていましたがこの時は二年経ち崩れそうな建物なども無くなっており、立つ場所によっては高い場所でなくとも海が見える、そんな状態
被災地への旅では基本的にこちらから人に話しかけることは無かったのですが、このすぐ近くにあった復興屋台村の酒屋さんで店主さんが話しかけてくださり色々話してくださいました
「子供の頃から住んで来たけれど二年経ってもやっぱりこの場所から海が見える事には慣れない」
駅前には駐在所が出来ていました、いや、再建されたのかもしれません
位置が変わっていなければ、10年前は巨大な船が打ち上げられていた駅前の交差点がここ
一本二本脇へ入ってしまうと空き地が目立つものの通り沿いには沢山の家や団地、そしてお店が出来ていました
港へ向かう途中になるとまだまだ空き地が目立ちます
公園の小高い丘にはホヤぼーやが(*^^*)
港には船がいっぱい!! そして陸閘が出来ていました
2012年1月の神明崎です
欄干は所々で破壊され
あの時は気付く事が出来ませんでしたが、ここは二代目お恵比寿様がいらっしゃった場所でしょう
浮見堂は柱が無くなり屋根だけが海に刺さっている状態でした
お気づきでしょう、海面がとてもとても近い
地盤沈下の影響で海面が上がり、満潮になるとこの場所も海の中になってしまう状態でした
逆光で見づらいのですが、鳥居から見た気仙沼港
こちらは鹿折地区方面
こちらが似たように撮影した現在
意外と建物は多くあるように見えますが海沿いは水産工場が多く頑丈だったことで建物が残ったようですがその全てがそのままというわけではなく建て直したところもあったでしょう
こちらの建物はとても綺麗で再建されたのか修復されたのかわかりませんが屋上の看板は当時のまま、この他にも何ヶ所か建物は綺麗なのに看板が当時を思わせるところがあり、勝手ではありますが、その想いが強く伝わってくる感じがしました
右手側をぐるりと回っていくのですが正面 フェリー乗り場には新しく大きな建物が二棟も出来ています
遠目からも見えていてとても嬉しかったのがこちら
男山 の二文字輝く三階建ての建物
男山といえば京都男山八幡宮を元に名手の代名詞として各地の日本酒銘柄となっていてサッと調べると出てくるのが北海道と山形ですがこちらは㈱男山本店さん
1・2階が潰れてしまったこの状態から華麗なる復活を遂げてらっしゃいました!!
同じ2012年、この近くで見た 瓦礫に花壇 は今もハッキリと胸に残ります
角度と方向は違いますが満ち干きとは関係なしに如何に海が近くなっていたかお分かりになるかと思います(上:2023、下:2012)
綺麗になった船着場もあの時は浮桟橋は沈み、海面が近いせいでフェリー出港の際にはスクリューに押し出された海水がバシャバシャバシャーッと陸へと押し寄せていました(上:2023、下:2012)
2012年には港前に開設されていた復興屋台村で はまらん焼き を食べ、そして思い出のお魚屋さん
「にぃちゃん、ホヤ食えっか?」「だよな、ダメだよな。もし良かったら買わなくていいから騙されたと思ってそこの試食、ひと切れ食ってみな、きっと食えるから。美味いとは思えないだろうけどなっ」
えー。。。(´・ω・`) でも折角だし。。。
にーちゃんを信じ、意を決して口に入れたホヤ、、、やっぱり美味しくない(´・д・`) けれど、、、食べれた!! こんなに違うんだ!!
ホヤが食べれたんだからこのにーちゃんのならウニもアワビも美味しいんじゃないか? と ウニのおにぎり と アワビのおにぎり を買って帰りの新幹線で食べることにしたのです
今思えば、安い、安すぎた、コンビニでちょっと高いおにぎり程度の金額なのにやや小ぶりとはいえふたつでお茶碗1杯よりはしっかり満たせる大きさでウニはベロンと大ぶりの身が中央に、そしてご飯には至る所にウニの欠片がそぼろのようにたくさん、、、これが激烈に美味しかった!! 人生で初めてウニを美味しいと思ったのがこの時
今でもウニは産地直送の新鮮モノでも、あぁ本物は違うね、と感動出来るけれど 美味しい!! とはならないのですがあの時のウニおにぎりだけは何度でも食べたい!!
そしてこちらも興味の無かったアワビ(今では美味しいと思う)のおにぎりもウニには負けるけど超美味しくて同じくアワビを初めて美味しいと思ったのがこの時でした
現地でもたーくさん泣いてきたのに帰りの新幹線でもこの美味しさに泣いた事はしっかりと心に刻まれています
そしてその時から気仙沼お魚いちばが営業再開していたというのも凄いことです
つづく