どうも、ひのきですm(*_ _)m
今回は久しぶりにちょっとだけ遠征をして参りました!
今回はいつも以上に旅行記的な書き回しになりますm(*_ _)m
さぁどこを参拝しようか、なんとなく龍神様にお会いしたいな、とマップで検索したところ出てきたのが龍ではなく鷲
ほうほう、どういう神社だろうとクリックしてみるとそこには関東最古という文字
最古? それは調べてみようということで検索してみたところ、神社が『当社は出雲族の草創に係わる関東最古と言われる大社である』とおっしゃっています
ただし歴史書にその社名を綴られた最古が1251年の吾妻鏡ということでそれ以前の存在を確認出来ないとして否定する意見も多く存在するようです
そしてアニメの らき☆すた 聖地としても有名なようでもうこの時点で情報量が多い!!w 龍神池もあるようだし決めた!!
ということでやって来ました、さぁ最古とも最古ではないともアニメ聖地でもあるこの地で予備知識を得た状態の私が一体何を感じるのか!!
ゆっくりと電車に揺られるのは久しぶりです、特に街の景色から緑が多くなってゆくのも楽しいですね(*´ω`*) と言っても都心から意外と遠くはなくてびっくりしたのですが
そして神社のかなり手前から大鳥居が見え、さらに武蔵國鷲宮神社と彫られた大きな社号標がありました
それでは、参拝!!
朱の灯篭が並ぶ長い参道には素晴らしい狛犬さん達、途中で抜かして来たので参拝客はおらず神職様が玉砂利を掃く心地よい音だけが響きます
帰りに撮ったものですが素晴らしい灯篭もありました
来るまでに境内図も確認して来ていてまずいの一番に主殿へとご挨拶してそれから境内社を回ろうと決めて来ていたのですが賑やかな小集団が来たので手前で暫し時間を費やしてタイミングをズラすことに
こちらには縄文・古墳時代の遺跡があったということで古代から祀られていた可能性は決して否定出来ませんね
そして一番手前にあるのが光天之池、そう、龍神池です
これも龍神様へ先に挨拶せよというお導きか、ゆっくりとご挨拶することにしました
まずはゆっくりと御池を観察、古代より龍神棲まうと言われながらも風雨に晒され泥で埋まっていたのを1999年に整備事業として掘り起こすと水が湧き出て龍のような雲が空を覆ったんだそうです
池の畔には龍神様を祀るお社があります、こちらは御池社で彌都波能賣神、湍津姫命、市杵島姫命、田心姫命が祀られています
鳥居から参拝するとのこと、辰の日にこうしてご挨拶に来れた事を感謝していたところ、不思議な事が起こりました
この写真でいうと注連縄から垂れ下がる紐の右から三番目の先端より辺りからでしょうか、突然すーっと青白くハッキリした光の点が現れたかと思うとゆっくりと真っ直ぐ揺れることなく右手へと進み、木のところまでいくとフッと消えたのです
ご挨拶中だったのと え?え?え? という気持ちでスマホを取り出すこともなくずっと凝視しながら追っていたのですが、その光は全く揺れることなくただ真っ直ぐ、そしてゆっくり(短く見積もっても)3~4秒かけて一直線に木へと進んでいったのでした
そんなのを見たのは初めてのことで、きっと太陽を反射した虫かなんかだろう(*´ω`*) と思おうにも周りと沢山飛ぶ小さな羽虫、トンボ、蝶、どれをとっても一切揺れることなくゆっくり並行に飛ぶ虫なんて居ないんです
驚きのままにご挨拶を終え、そして礼をして二拍手をしたのに続いて拍手と同じ間で、カン!ジャッ! と音が響く
恐らく木から何かが落ちて一旦屋根かなんかに当たり、砂利に落ちたんでしょうけれど光の後にこのタイミングで二度打つ音は余りに出来すぎてはいませんか!?
光が消えていったのはこの手前側の木の中なんですが暫く見ていても何も出てはこないし同じように飛ぶ光も虫も居ない
というか、家を出てからずっと先程まで青空だったのにこの時だけ雲が空を覆っている(ちなみに本殿上には雲が無い)ので虫が光を反射した説は完全に却下だな。。。
なんだったんろう、、、。もしこれを機に開眼したら!なんて思ったのですがその後には、、、。
さて、先のご挨拶は龍神池だけにして主殿へと向かいます
と、その前に手水舎です、左側は井戸でしょうか
小さなよくある手水舎なのですが物凄く大きいと感じさせるほどの迫力ある龍神彫り、、、いや、美しいけれど普通と言えば普通、なのに凄い迫力なのは龍神池の後だったからでしょうか
それでは、、、こちらが拝殿
とても立派ですね、特に賽銭箱上の屋根と柱は再建か増設か真新しくなっていて木の香りがとても良く神聖な気持ちでご挨拶が出来ました
さぁ、お気付きになられるでしょうか
そうなんです、本殿が二殿あるのです
大きさも鰹木の数も異なり、奥が鷲宮神社本殿で天穂日命と武夷鳥命、手前が神崎神社本殿で大己貴命が祀られています
また建御名方神、伊邪那美神、大山祇神、宇迦之御魂神、大山咋神、天照皇大神、迦具土神、素戔嗚尊、菅原道真公が合祀されているそうです
ただどちらの本殿も記載(年代)によって御祭神が異なるようで一時は神崎神社本殿に天穂日命荒魂が祀られているとされていたこともあるそうです、と長くなるので後述で(*´ω`*)
社殿前のこちらの木、根元全体が瘤のようになっていてとっても素晴らしかったです
拝殿前にはこちらの神楽殿、なかなかに劣化が見られますが素敵です
神楽殿の横に鎮座するのが姫宮神社、事代主の妻にして媛蹈鞴五十鈴媛命の母とされる活玉依姫命が祀られます
一説では大物主=大国主とも言われており、であれば神崎神社の前に祀られていることに意味があるのかも?
境内奥が広くなっており、こちらが八幡神社
木々に光を遮られた奥に鎮座するお社はやや古くその姿が逆に存在感を出しています
後ろから見る本殿、素晴らしいですね(*^^*)
ここから杜の遊歩道?になりますが境内社が二社並びます
そうなんです、神社としてよくあることではあるのですが出雲氏草創に係わるというので祀られているとは思っていませんでした
お隣は急に雰囲気が変わって質素なお社、そうです、立て札を見ずとも雰囲気だけで分かるお稲荷様ですね、倉稲魂神が祀られます
この見た目じゃ当然といえば当然なのですが、凄い迫力ですよね
扉に空いた宝玉形の穴がまるで目かのようにお社自体からの気が凄い、そしてそれだけではありません
御嶽大神は國常立尊、大己貴命、少彦名命、猿田彦大神、天鈿女命のことで八海山大神は國狭槌命、三笠山大神は豊斟淬命、御嶽山岳信仰ですね
また右側にはこの小さな石祠、なんと彫られているのかはわかりませんがその存在感たるや、といった雰囲気
後から調べると弁財天、三寶荒神の祠もあったとか?
そういえば蚊に囲まれなかったのはここまででした、この先はずっと遊歩道になってぐるりと本殿右裏の方まで繋がっているのですが立ち止まっていると蚊に襲われるw でもそれほど急がすサクサクと空気感を味わいながら歩いているととっても素敵な小路でした
、、、と、奥にお社がある!!
いやー、杜ですね、ちょっと鹿島神宮を思い起こさせます
ちょうど本殿裏辺りだったでしょうか、急に風も無く上から沢山の葉が静かにパラパラパラパラと降ってきました
ん?上だけ風吹いてるのかな?と暫く見上げていたのですが枝も葉も揺れず、ただ枯葉だけが次々と落ちてきていました
ちょっと写しきれなかったのですがしっかりとした蜘蛛の巣があちこちにあったのですが大好きな蝶が捕まっていなかったのが幸い(*´ω`*)
っていうか蜘蛛さん、蚊も狩ってくださいよm(_ _)m
出てきた所には大きな御神木とお社
大きなのは神輿殿、こちらの二社は八坂神社で右手は八坂神輿殿になっています
境内社の中でも唯一専用の神輿蔵があるのはやはり山王様だからでしょうか、隙間から覗いて見ると壁との間もほとんど無いほどギリギリに収まっていました
そしてその後方がこちら、立派な木も鳥居のようになっています
こちらは社殿ではなく石碑になっていて厳かな雰囲気です
あら?あちらは? と覗いたら御神鶏がいらっしゃいました
でも一羽しか居なくてちょっと寂しそうだったかな
やっぱり素敵な主殿が目を惹きますね(*´ω`*)
さて、と、、、参拝を終えましたが何か寂しい気分
というのも、光天之池での不思議な光と音以来、とっても素晴らしい神社なのに特に何も感じられ無いんですよ
私のアンテナが悪かったのか相性の問題か、ほんと寂しいくらいに
というわけでもう一度、こちらがカン!!ジャッ!!と音がした辺りだなぁ、と見てみたらこの木凄いですね
何本もの幹が集まって一本になっているようで根元は枯れた根の部分でしょうか、何か棲んでそうですね
そうでした、忘れてはいけません池の向かいに鎮座するこちらは久伊豆神社、御祭神は神崎神社と同じ大己貴命
そして先程とはうって変わってその名の通り光射す龍神池
特になにも起こりません(*´ω`*)
うーん、、、うーん、、、なんだろうこの寂しさ
とりあえず今回は初めてに近い単独参拝で他の神社の予定は一切無くここのご挨拶を終えれば帰るだけという珍しさ
何か感じる事を求め過ぎたかなぁ、、、にしてもこの寂しさはなんだろう
暫しゆっくりした後、もう一度、と本殿前へ行ってみるも特になにも無く、また龍神池へと戻り、仕方なし、今日はそういう日だと帰ることに
したのですが、やっぱり何か後ろ髪を引かれる、何故だ
まぁ後はご飯食べて帰るだけだし、ともう一度だけ本殿前へ、やっぱりこの木は素晴らしいなぁ、と思いつつ本殿を一周して帰ろうとしたその時である
、、、、、!!!!!!!!!!!!!
なんと、回ったルート的に完全に見落としていた一社があった!
参拝前に地図を見て本殿裏に一社あることを知っていたのに諏訪さんがそうだと思い込んでいたのだ
あっぶねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ( ̄▽ ̄;)
さて、こちらは、、そうそう、粟島さんだ、、って御祭神が!!
祭神は授田毘古神、武内宿禰、天太玉命、豊宇気毘売神、大年神、天種子神、木花開耶姫命、奥津日子命、奥津比売命、軻遇突智命、湍津姫命、市杵島姫命、田心姫命、八千矛神、大己貴命、大山咋神、なんと16柱も祀られてらっしゃる!!
神額は石製でしょうか、合祀社の名が彫られています
あぁ、なんということでしょう、隠れても居ないお社を見過ごすだなんて一度もなかったしいつものような参拝だったらまずそのまま帰ってしまっていたでしょう、申し訳ありませんでした、そしてこうして気付かせていただけて本当に感謝します
ここからの並び立つ本殿のお背中が本当に美しかったです
では!! これにて!!
では!! これにて!!
そうそう、駅から真っ直ぐ進むと左手に御霊社がありました
恐らく鷲宮神社の神職様方の祖霊舎ですね~と横から見ると一般的なお墓と同じ感じになっていました
兎にも角にも、全体的に素晴らしいながら御神威を受けられるほどの修行が私に足らずでしたがその時だけ雲が空を覆った一番での光天之池でのあの光はやっぱり凄かった
車であればこの周りの神社がいくつか巡拝出来るでしょうから足のある方は是非☆
いやー、長くなりました( ̄▽ ̄;)
けど、後述ですw
HPや御由緒では天穂日命、武夷鳥命、大己貴命とされているのに遺跡碑脇では大己貴命が筆頭に書かれているのに違和感を覚えたのでした
HPを引用します
- 神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。-
おっと、これは難しいところが出てきましたね
記紀によりますと国譲りは、アマテラスはこの地を支配せよと天忍穂耳尊に命ずるも断られ、弟である天穂日命を向かわせますがなんと大己貴命側についてしまう、次に遣わした天若日子に至っては大己貴命の娘 下照姫と結婚してしまう、満を持して使わされたのが剛勇である武甕槌命となっています
つまり、高天原から遣わされたにも関わらず大己貴命に従うことにした天孫が祀った神社ですって!?
そして更に後になってその両名も別宮として祀られたのがいつの間にか逆転してしまって天穂日命、武夷鳥命の方が主殿になってしまったんですね
いや、本殿二社といっても明確に社の格が違うし社名も鷲宮ですからね
ではなぜそうなってしまったのか、それはもう後詰めを出され出雲に封じられた大国主と消えた事代主、諏訪に封じられた建御名方、さぁ高天原を裏切った天穂日命一行は逃げに逃げてこの地に隠れ棲んだ、という考え方も出来るでしょうか
記紀から離れてみると、当の出雲では各地で荒れた神々(それぞれの国王でしょうか)を天穂日に派遣された武夷鳥と経津主が平定し、それで大国主が国譲りを了承したとあります
うーん、そうなると助けに助けたもうたというか主導した側の天穂日が大己貴命を祀るというのも考えづらい気がしますね
なんとも難しき神代の歴史!!
いずれにしても神武天皇即位が紀元前660年ですからそれよりも古くに創建されたのが神崎神社で後に建てられたのが鷲宮神社ということになりますね
ただやっぱり、それだけの古社でしかも創建者が天津神とされるほどの神社でありながら吾妻鏡までなんの書物にも登場しないというのは確かに不可思議と言わざるをえません
社名が違っただけとしてもそれならそれでとうの昔に記載事実と現実を照らし合わせて同定されているでしょう
謎多き神代の歴史に触れられる参拝でございました(*^^*)
※ 勝手に記紀考察よりも前に下書きした記事です