どうも、ひのきですm(*_ _)m
今回も二部に分けて書かせて頂きます
ー 第一部 ー 一景島神社
こちらが一景島神社です
南気仙沼に入ったところで地図に社名を見つけ、そちらへ向かってみました
第二部で書きますが、南気仙沼周辺も建物が多く建っているのですが大通りを少し逸れると空き地が多く広がっています
この海に近いところにまだ神社が?
...あっ!!
朱色で背の高い鳥居が見えます!!
10年前はこの奥までは来なかったので気付いていませんでしたが調べたところによると2011年7月には既に一部修復が始まっていたそうです
やはり神社仏閣は人々の心を強く支えてくれるんですね
一景島神社です!!
なんと珍しい下り参道、と思ったのは一瞬のこと
参道を下りながら盛土されて周りが高くなったのだと悟りました、そしてとても綺麗なのは再建されているからですね
さすがに急遽の参拝なので由緒書きを読みました
その名の通りここは埋め立てられるまでは魚取島と呼ばれる岩礁でいつの頃からかこの島に祀られていた伊津伎島姫に因んで一景島と呼ばれるようになったのだそうです
水鉢は随分綺麗なのですが微妙に欠けがあるのは津波の影響でしょうか
その脇には雷神の碑
ここからこの神社の凄さをヒシヒシと感じていくことになります
物凄く、なんというか、エネルギーを感じるような気がするのですが今までの神社とは違い、凄く安定感のある感じなのです
その理由がすぐにわかりました、境内には岩や石、石碑などが大量にあってただそれらは並べられたものだけでなく、もうとにかく凄いんです
ここ、もしかしてすっごいパワースポットなんじゃないですか?
大神宮の碑、鹽竈神社の碑、そして供養塔
これらの碑はただ置かれているのではなく巨大な岩の上にあって一体となっているのです
日頃石碑系にはあまり興味を示さない私でもさすがにこれには凄い力を感じます(。。。ような気がします)
こちらの石祠には明神の文字が見えます(上に 大 があるかも)
見上げれば石碑の乗っていた巨岩は不思議な形に抉れていて人の手によるとも自然の造形ともとれます
細く背の高い朱色の二の鳥居
可愛らしい狛犬に守られた社殿
不思議なことに社殿の前に立つとそれまでのような不思議な感覚はなく ストン と素の状態になる感じ、これはいったい?
え? 再建? 津波の影響は? と思うほどに新しさは無いにも関わらずとんでもなく美しい彫刻
左に龍、右に虎、とっても素晴らしい
社殿は素晴らしいのになぜか社殿前だけが、言うなれば 普通 の感覚になり、社殿前をズレると重力が違うような重みがあり、安定感と安心感があるにも関わらず何かわからないけれど凄いと思わせる空気、なんなんだここは!!
社殿左手、この凄い岩からも引っ張られます
なぜ社殿の後方に社名の立て札があるのか、、、それはすぐに気付きましたが進めそうにないので社殿前から反対側へ
社殿の真後ろも巨岩になっており、こちらにはダルマなどが供えられています
岩に囲まれた境内に赤赤と賑やかに供えられたダルマ達、一見するとやや不思議な空間ですがここは安らぎに満ちている、その理由は格子戸の中を除くと分かりました
なんて素晴らしい笑顔に溢れているんでしょう
物凄く胸を打たれるお像たちの笑顔はきっとこの街の人々の想いがこもっている、そしてその想いを受け輝いている
暫くこの場所から動けませんでした
そして先程反対側からチラリと見えた社殿の真裏がこちら
自然とこちら側に回ったのは何かしらの理由があったのでしょう、土に埋まる巨岩がまるで参道のようになっています
凄い緊張感に、失礼します、と中へ
ここは凄い、凄すぎる。。。本殿のような造りですが巨岩の中に御神体が収まる、まさに岩窟です
ご都合主義で申し訳ないのですが、余りの神々しさにスマホはしまったままご挨拶させて頂き、そのまま下がろうかと思ったのですが目を見ていると赦されている、と感じました
岩屋には想像以上に大きな御神体 石像が鎮まっていらっしゃいました
片手に宝玉、片手に剣の弁財天坐像、わかりますか? 優しい笑顔をしてらっしゃるのです
頭には帽子にも見えますが蛇のようにも見える、つまり宇賀神様ですね
宇賀神は弁財天とも宇迦之御魂神とも、また蛇というところから龍神、さらには瀬織津姫と同神であるとされる事もある神
岩窟、岩屋では特にピシッと張り詰めたような緊張感と御神威を感じる事が多いのですがこちらでは、まぁ自分が窟外に立っているということもあるかもしれませんが、とっても安らかで柔らかくもありながら非常に強い御神威が感じられるのです
ちょっと、、、ちょっと想像を超え過ぎている凄い神社過ぎて言葉が上手く紡げません
こちらの御神体は再建だとしたらそれはまた凄いし、そうでなくともこの場所にあってあの津波から無事に残られたのだとしたら驚異的です
もう何もかもが凄くて軽く脳内思考停止状態にいました
境内、、、というか一景島はその奥も続きます
まさに岩礁だったということがハッキリとわかるこの岩の大きさ、途中が土と草で埋もれていますが社殿前から裏まで全て土中で繋がっている巨岩そのものが島だったんですね
まさにパワースポットでありそうな自然が作り上げた空間はやはり恐れ多くて入れませんでしたが、凄い! の一言
奥から見た境内はもうここがどこなのか分からなくなるような異世界感です
やっぱりここ、凄いわ
先程の石碑群の裏手はちょっとした公園のようになっているのですが、いやぁ、、、なんとも味のある
凄い岩の力と人々の想いの力を頂いた、そんな満ち満ちた参拝になりました
これほどの神社に偶然ながら参拝出来た事に心から感謝、、、したのですが、これは偶然では無かったのかもしれません
さて、由緒には書かれていませんでしたが往古より祀られていたと言われており創建年は不明、ただ一説には金華山小金山神社と同一の弁財天が祀られているとも言われているそうです
同年代かもしれない、と調べてみたのですが小金山神社の創建は750年頃と伝わるようですが弁財天は途中から祀られたとも取れる記載だったのでやはり不明でした
また、こちらはやはり震災の津波で壊滅的な被害を受けたそうですが再建に携わった方の書き方によると御神体はやはり流失してたものの発見されて元の坐へ鎮まることが出来たようです
また慶長16年(1611年)の大津波でもやはり壊滅的な被害を受けつつも再建されていたようで、この地域の方々の並々ならぬ崇敬心は震災から僅か半年で再建に動き出しこれだけ素晴らしく守り続けられていることからもしっかりと伝わります
また、この地は皆鶴姫伝説の地でもありました
いや、皆鶴姫を知らなかったのですが調べてみるとビックリです(諸説アリ)
鞍馬寺に預けられていた遮那王が陰陽師 鬼一法眼の元で修行をしていた頃(おおっ、二ヶ月前にその場所へ行ったばかりです!!)、鬼一法眼の娘である皆鶴姫の協力を得て兵法書を入手、平泉へと向かいます
すると義経は夢を見ます
大事な兵法書を盗んだ皆鶴姫に激怒した法眼が姫を器船に乗せ九十九里から流し、本吉のゆりあげ浜という場所に打ち上げられた、という夢
驚いた義経は馬を走らせその場所を探していると松岩母体田の海岸にて人だかりの中に器船と共に耳鼻を削ぎ落とされた女性が倒れており、その傍らには義経が姫に贈った行基作の観音像があったという
その観音像は観音堂に納められ菩提が弔われているそうです
観音堂?と調べてみると海岸山観音寺というお寺にある御堂のことだそうで場所は不動の沢付近の。。。えっ?! あれっ?! この方向...
実は参拝と街を歩いた後、南気仙沼駅からBRT気仙沼線に乗って気仙沼駅へ向かったのですが大川に架かる橋を渡り始めたところで突然 写真撮らなきゃ と思いスマホを取り出して川の写真を撮影したのです
撮った後に何故か 間に合った と思った事と、なんで急に撮ったんだろうと不思議に感じた事がハッキリと記憶にありました
その写真がこちら
水量豊かな川ではありますが特に寺社仏閣が見えるわけでもなく瞬時に撮らなければと思うような特徴的な建物や山があるわけでもありません
観音寺の写真を調べて見比べてみると、、、あっ!!!
拡大してみるとここです!!
中央の大きな赤茶の屋根が本堂でしょう、写真が遠くて色が分かりづらいのですがその左側に見えるのが皆鶴姫の観音像が納められているという観音堂のように見えます
いやー、ただの偶然とはいえさすがにこれは驚きました( ºロº)
義経皆鶴姫伝説には諸説あり、ぶっちゃけ会津説の方が起承転結もハッキリしていて真実味を感じるのですがこちらには義経本人が来た(と言われている)ことと観音像が今に残るという部分の説得力があります
さらにぶっちゃけ、完全公平に両説を比べるとやはり会津説の方が信頼性高く感じますが、偶然参拝した神社と偶然観音堂を写したというちょっと次元の違う部分があったことが私にとってはデカいですね(。-_-。)b
機会があれば藤倉の難波沼にも行ってみたいところですが駅からもなっかなかに遠いですなぁ(´-ω-`)
というわけで第一部も長くなってしまいました
私でさえ上述の通りだったので恐らく感じる力を持たれる方であれば物凄い地と岩のエネルギーを感じられるんじゃないかという凄い場所、気仙沼へ行かれたら五十鈴神社と共に是非ともご参拝ください(*^^*)
注:以降には震災に関する内容や被災時の写真が含まれます
ー 第二部 ー 南気仙沼の街
気仙沼お魚いちばの前にはたくさんの船が並びます
とっても美しく輝いて見えるのは建造後10年未満の船が多いからかもしれません
対岸の造船所では大きな船が作られているところでした
おっ? 見た事ないタイプの船があるぞ? とよく見たら 水産庁 の文字が、調べると漁業取締船なんですねー
その後ろに写っている船はなんと遠洋マグロ延縄漁船だそうです(*^^*)
波が乗り上げていた漁港前も防潮堤の建築が進んでいました
シャークミュージアムも復活していたのですが氷の水族館というのも併設されたようですね
ここからが南気仙沼地区です
特徴的な建物を見つけて思わず、あっ、と声が出ました
シャークミュージアムの写真で残された漁船の後ろに少しだけ見えている建物で、素敵なデザインの建物は1・2階の内部が破壊されていました
当時は河北新報の看板になっていましたが今では中央公民館になっているようで調べたら河北新報さんから市に無償譲渡され改修されたのだそうです
ここから先はより被災状況が酷かった地域、内容となります
2012年、初めての訪問時は駅から神明崎、そして港を回ってこちら南気仙沼の方までを歩きました
河北新報のビルから先はさらに酷い状況であり、自然に海から離れれば離れるほど被害は少ないという常識を持っていた私は進めば進むほど酷いという状況に呆然としました
狭まった気仙沼湾の奥深くまで押し寄せた津波は行き場所をうい際、そして平地であったこの地区へとなだれ込み、破壊された石油タンクから流れた油は海となった街を燃やした
揺れ、水、炎とみっつの災害に立て続けに襲われた人々の恐怖と混乱は想像を絶します
被災から10ヶ月が経ち大きな瓦礫は撤去されていたものの1・2階が酷く破損した大きな建物だけが残りあとは何も無い状態
砂利を積んで固めただけの道路、脇には何も無い、いや、家の基礎だけが並んでおり辺り一面は田んぼのようにグチャグチャ、壊れた下水管や残ったマンホールからは数百mも離れた海の波打ちに合わせ海水が噴き出し、その海水が溜まった部分が腐って独特の臭いを放つ
燃えてしまったであろう建物などは既に撤去されていたものの時々海水の腐った臭いに混じって焦げたような臭いもする
台形に高く積まれた道路は走行面が狭くなっており人が歩くのは車の邪魔になる、かといって斜面はずるずると滑り落ちてしまうのでやむなく平らな所を歩くのだけれどただただ溢れる涙を拭いながら潮だまりや残った瓦礫を避けて歩いていると気付けば基礎の中に足を踏み入れて閉まっている事に気づく
あっ、と見渡すとそこは玄関だったと思われる場所で慌てて脇に避け潮だまりの中へ、、、呆然として周りを見渡すと、きっとずーっと家々が並んでいたはずの場所には延々と低い低い基礎だけが残り、そして遠くの山の裾が見える
来たことは無いけれどこの位置からあの遠くの山裾まで綺麗に見えるなんてことが如何に異常な事かは分かる
悲しいとか苦しいとかそんな理由のようなものなんて頭にも浮かばず、ただただ喪失感で留めなく涙が溢れ続けて止まりませんでした
一年後の2013年、残った建物もほぼ撤去され道路も舗装されており基礎もほぼ見えなくなってはいましたがそれこそ 何も無い 状態となっていました
盛土の話は出ていたものの、何m積めば安全だと言うのか、それだけの土をどこから持って来るのか、何も決まらず、何も出来ない状態だったといいます
一部では個人で盛土をして家を再建されている方もいらっしゃったようですが、それでも後になって周りよりも高い分にはいいけれど低かったらどうしよう、と再建に踏み切れず待っていた方が多かったそうです
あれから10年
綺麗な街になっていました(*^^*)
あっ!! と再び声が出たのは後ろの可愛い宮脇書店さんの看板です
周りの惨状とこの可愛い看板とのギャップがとても痛かったのです
ただ現実はそう優しくありません、通りに面した部分はお店や団地が並ぶもののその後ろには広大な空き地が広がっています
この中でもすぐに再建が始まった一景島神社を参拝出来たことを本当に嬉しく思います(*^^*)
BRT南気仙沼駅へ向かう途中、、、あっ!!!
ただのバス車庫ですが、胸にグッと来ます
あの日
こちらは南気仙沼駅です
BRT気仙沼線の駅として生まれ変わりました
専用線区間なのですがバス車庫との出入りの為か一般道との連絡道がありました
10年振りの気仙沼の街
新しい街になっていた感動もありながら未だ広大な空き地が残る現状に胸が痛くもありました
あとがき
もう十分長いのにまだ書くのかよ、って感じですがw
当時は毎年1月に青春18切符を利用した東北旅をしていました
震災翌年の2012年1月、迷いに迷いに迷いに迷い、当日の朝決断して行ったのが岩手県宮古市
阪神大震災を名古屋で経験、といっても今では時々それくらい揺れるよねーという感覚に麻痺してしまった震度4ですが当時は生まれて初めてという大きさの揺れでした
燃える街、倒れた高速道路、1・2階が潰れた沢山のビル、あれだけの災害だったのですが数年後に私が所用で神戸に行った時にはよく見れば駅の階段に亀裂がある、時々不自然な空き地が僅かにある、というほどにまで復興していました
この国の出来事であり距離的にも決して遠いわけではない場所であれだけの災害があったというのにテレビの中の映像でしか知らなかった、という事に思うところがありました
それから16年、起きてしまった東日本大震災
約1年後、今季の東北旅は被災地へ、、、と考えつつも観光(楽しむつもりではありませんが)などと言う気持ちで足を踏み入れるわけにはいかない、そう考えつつもまたテレビの中の出来事にしてしまって良いのか、という葛藤がありました
途中の宿だけを決めて訪問先は決めないままの旅 二日目 未明
決断を後押ししたのは検索していて出て来た復興屋台村の存在
そうか、行っていいんだ
2013年 岩手県陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、松島海岸
それぞれの街で目にした様々な現実
そして人の心の温かさ
その全てが、決してこの胸から消えることは無いでしょう
2年目になってもまだ心の隅に残っていた葛藤を消してくれたのはとある街の復興屋台村で頂いた言葉
あなたみたいにこうして来てくれる人が居るから私たちは頑張れるの、ありがとう