どうも、ひのきですm(*_ _)m
繁華街のお稲荷さん参拝を終えて一旦ホテルへと戻りひと息、さぁ午後の参拝に向けて出発だ!!\(^o^)/
と駅までの道を検索すると、少し脇に神社があるぞ、と寄ってみました
それがこちら、錦町公園の正面に鎮座する瀧澤神社です
さぁこちら、どちら様がお鎮まりになってらっしゃるのか、、、と思えばなんと!! まさかの瀬織津姫!!Σ( ̄□ ̄;
瀧澤、、、瀧、、、!! そういうことか!!
創建年は不詳ですが伊達政宗入府の1601年には既に川内瀧澤という地(現在の亀岡八幡宮)に鎮座していたそうで1683年に梁川八幡宮との社地交換として同心町へと遷座したそうです
元の地である川内瀧澤という地名も御祭神からつけられているのかもしれませんね
火防瀧澤神社との社号碑があります
その同心町は政宗が城下地割りに使用いた縄などを焼却し街の防火を祈念したという清浄の地であったそうで、そこに災厄祓除の神にして水を司る神である瀬織津姫を迎えたことで、火防神として崇敬を集めたといいます
そしてこの神社は仙台空襲においても社殿が焼け残り、その御神徳が示されたといい、終戦後に都市復興計画においてこの場所へと遷されたそうです
また、経緯は不明ですが1800年に和歌三神とされる住吉明神、柿本人丸(柿本人麻呂)、衣通姫(玉津嶋明神)が合祀されています
スッキリした境内に白を基調とした社殿が美しいですね
どなたが供えたのか、松ぼっくりが積まれていてとても愛されているのが伝わります
ご挨拶するとすーっと優しい風が流れ、心がとても休まる素晴らしい氣で満たされています
境内右側はとても綺麗に整備されており石碑や像が調度良い距離感で並んでいます
と、左奥へ踏み石が続いていることに気付いて行ってみると奥に陶器のお社が鎮座されていました
お狐様が供えられているところからお稲荷さんかと思われますのでもしかしたら瀧澤神社が遷される前にご鎮座されていたのでしょうか
時々見掛けるこうした陶器製のお社ですが、前に階段が付いていてお庭に繋がっているのでお狐様や神様が時々この素晴らしい境内を散歩されているんじゃないかな、なんて思ったりします(*^^*)
いやー、まさかここでもご挨拶出来るとは思いませんでした、今回の旅は龍神様とも瀬織津姫様とも御縁が続きました(*^^*)
さて、こちら和歌三神についても調べてみました
代表的には上述の三神とされるそうですが神社や地域によっては菅原道真、山部赤人らを含めるとされる場合もあり、また祭神としてではなくそれぞれを祀る神社のことをさす場合もあるそうです
住吉明神は住吉大社神代記において軽皇子に和歌で答えたなどの伝承があるほか、住吉大社自体が古来より歌枕として多く読まれてきたことから和歌の守護神とされているそうです
柿本人麻呂は住吉明神の現人神とも言われておりそれこそ和歌の神として崇められています
衣通姫は記紀にも登場し本朝三美人のひとりともされる美しい女性で允恭天皇の皇女
ちなみに軽皇子と衣通姫は異父兄弟でありながら通じ合ってしまったことで軽皇子は流罪に、後に再開するも共に果てるというという伝説が記紀に書かれており、そのやり取りに和歌が多く用いられています
一説によると、元々衣通姫を祀る神社と住吉神社があるのだから人麻呂神社も祀ろうということになり、恐らく和歌三神として併せ祀られるようになったのは江戸期頃ではないかとされています
いやー、これから旅の締めくくりとなる最後の神社巡りへ、というところで瀬織津姫様にご挨拶出来た事で気仙沼土産で重い背中もなんのその、足取りも軽く目的地へ向かうことが出来ました(*^^*)
しかも泊地を決めた後に近辺の神社検索をしたはずなんですが全く目に入ってなかったんですよね
旅立つ前の寛ぎ珈琲時間に駅までの最短経路を調べて見つけるというミラクル⸜(*˙꒳˙*)⸝
さぁ、次はどこへ