どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日は喜多院から北へ歩いて3分ほど
浮島公園に鎮座する浮島稲荷神社です
南端の鳥居から北端のお社までが参道となっていて脇の少しが公園といった感じで自然多き住宅地の神社という景色です
次の目的地までの通り道だしお稲荷さんだからと気軽に立ち寄ったけれどこれはどうも雰囲気が違う
実は脇の公園から入ったのですがここはそれではいけない場所だ、と感じ正面へ回り佇まいを正して入り直しました
左手側が公園になっているのですが大きな石碑、御神木と言っても良いような氣を放つ木
抜け道になっているのか手前の道は車が多かったけれど平日昼下がりとはいえ住宅地を歩く人は極僅か、そして公園には人影無く物凄い神秘的な雰囲気です
参道を進むと池があり小さな石橋を渡ります
木々に囲まれた左手の池は小さな島状の草地があったりしてとても清らかな氣を放っています
その池の写真を撮り忘れたのは彼が来たから
橋を渡ろうとしたその時に カシャッ と上から降りてきた鴉
威嚇ではなく観察の雰囲気でこちらをじーっと見る鴉
お邪魔しますね、ご挨拶に来ましたよ
そう伝えると彼は奥へ向かい、お社の上で急上昇し空の向こうへ飛んでいった
そのお社がこちら
檻に守られた狛狐と御堂のような本殿です
小さく鳥の声を聴きながらご挨拶、、、やはり! 木々に囲まれた静かな境内にちゃんと風が来てくれました
お稲荷さんの日だ(*´ω`*)
しっかし、特に何がというほどでも無いようで池の存在感、浮島という名の通りか石橋もありただ事ではない神社
由緒書きを確認すると共に調べてみるとそれもそのはずの歴史がありそうです
創建年は不詳ですが慈覚大師が喜多院(星野山)を開いた際にこの地へと移されたという説、川越城築城の際に城守護として創建されたという伝えがあるそうです
七ツ釜と呼ばれる泉湧く地で境内が浮島のように見えたから名付けられたと言われており、伊勢物語の三芳野の里がこの辺りのことだと言われるなど歴史の深い神社ですね
星野山開山前からであれば830年以前、川越城築城時の創建であっても1457年という古さで雁の場であったり様々な詩歌に歌われてきたなどとても由緒の正しい場所のようです
また池の中央に生い茂っていたのは葦だったそうでここの葦は片葉しか生えず、その理由は川越城落城の際になんとか逃げ出した姫と乳母だったが七ツ釜で足を滑らせ葦の葉を掴んだもののそのまま沈んでしまったからだという伝説があるそうです
突然のちょっと悲しい系の伝承( ̄▽ ̄;)
ただ伝えによればですがその事故より前に稲荷は鎮座されていたでしょうし、そういった伝承があると畔に石祠やお地蔵さんがいらっしゃっても良いような気がします(見えなかっただけかもしれませんが)
ここまで参拝時の感覚そのままに書いて来て特に意識をしていなかったのですが、ここで少しだけ思い当たることが
普段、こうした素敵な環境の神社で何かを感じた場合、氣があると書く場合、ほぼ必ず 素晴らしい とか 良い氣 と書くのに今回は水の氣を 清らか と書いたに留まるのです
勿論、厳しめな神様(眷属様)がいらっしゃる神社などで感じる氣は癒しとかではなく威厳なのですが、ここではそういったものとも違い、かと言って嫌な気、怖い気があったわけでもなく、何か世界が違うかのような雰囲気でした
七ツ釜による、磁場というか何かあるのかもしれませんね
わかりませんけども( '-' )