どうも、ひのきですm(*_ _)m
しばらく大人しくしていた反響か、ここに来てお導きが連続してしかも腰が軽いのは暖かくなったからでしょうか
特にそこまで考えていたわけではないのですが、これから雨季に向かい(今は5月の終わり)思い立ったとしてもなかなかでかけづらくなるのでちょうど良かったんですね
というわけでまずはこちら、瀧神社
不思議なもんでして大人しくしていても呼ばれる時というのは自然とぽんぽんっとお名前が出てくるのです
珍しく平日ではなく日曜の神社巡りとなったこの日、京王線東府中駅で多くの人に混じって降りたわたしは向かい側の電車(競馬場線)には乗らず駅を出て住宅地の中を南下していきます
驚きました、この辺りは結構な高台になっていたんですね、前方に多摩川が見え始めたところで辿り着いた瀧神社
この日はとっても風が強く、気温も高いけれど丁度良いやと歩いて来たのですが空には輝く太陽、そして流れる雲、、、これは彩雲が期待出来そうだと上を見ながら歩いて来たのですが
まさかの神社到着と同時に彩雲が出た!!
真横に靡く紙垂が風の強さを物語っています
珍しや降り参道
と思ったのも一瞬、お社前の下へと続く階段がすぐに見えました
一旦下まで降り、こちらが正面参道ですね(*^^*)b
いや、これまたなんと立派な御神木なことか
小さく質素ながらも素晴らしい御社殿
大國魂神社の末社として600年前に創建されたといわれており、例大祭神事ではこちらの瀧で身を清められるのだそうでお社には大國魂神社の烏団扇が供えられていますね
ご挨拶すると耳に当たる風音がぼうぼうと鳴るほど強くなりましたがいつものようにお印と感じるには自信が無いほど強風の日でした(*^^*)
そういえば私は賀茂神社さんとのご縁がまだそれほどありませんので御祭神名と社名くらいしか存じ上げていない、そもそも瀧神社というからには祓戸大神か龗神が祀られていると思い込んでいたのでびっくりです
はて、なぜ強くお呼ばれしたのか? それは玉依姫命の名から少し想像がつきましたが都市伝説系も混じるので後述します(*^^*)b
びゅぉぉぉ、、、空からは大きな風鳴りが響いていますがどういうわけか地上は先程のような強風ではなくなりました、とっても気持ち良いし居心地が良い
下まで戻ります、やっぱりこの御神木、凄いなぁ
参道右手側が瀧となっていますが残念ながら御神域としてフェンスが掛かっています、ただ左下の側溝みたくなっているところに少し水が流れて来ているので触れることが出来ます
網の向こうには太めの木に綱が渡されており、左には水神様と思われる石祠が鎮座してます
中央からはちょろちょろと想像より優しく御神水が流れでていますが昔は付近の方々にとって大切なお水だったようなので流量が大分減っているのかもしれませんね
御神水には触れられず小さな末社ですが祭祀で神馬が清められることからも騎手の方や競馬をされる方々に崇敬されているようで参拝時にも何組かがぽつぽつといらっしゃって熱心に祈願した後、駅や競馬場へ向かわれている様子でした
なんとも不思議な
あとがき
ひさしぶりに?調べて ぬおーっ!! となってのめんどくさいグダグダあとがきになりますw
暫くご無沙汰してしまっているのですが、大國魂神社を何度か参拝させていただいているのに瀧神社という存在は全く気付いていませんでした
公式HPなどで境外末社として目にしていたはず(微妙ながら記憶にある)で、本来ならば瀬織津姫大好きマンとしては今回のように 瀧 という文字で必ず連想してすぐに参拝へ向かうはずなのになぜかその連想をしなかった謎
今回ふとその社名が上がってきたのは大國魂神社例大祭である くらやみ祭り の記事を読んだ時でした
神事に出る神馬を清める瀧 と紹介されていたのですが、そういえば何故 瀧 と付く神社なのに参拝してなかったんだろう、、、と思ったにも関わらずそのまま数日が過ぎ、また存在を忘れてしまう
そんな頭に突然 そうだ、瀧神社に行かなければ という想いが浮かんだのです
きっと瀬織津姫様がお呼びだ、と思ったのでした(違いましたw)
賀茂別雷神命は阿遅鉏高日子根命であると言われており、玉依姫命は神武天皇の母となったお方
あれ?下照姫じゃなくて玉依姫?
上述のように、ここ最近都市伝説系と言いますが推察系と言いますか歴史の真実と神々の正体についてをいろいろ見てきていた中でアジスキタカヒコネとシタテルヒメ辺りにはとても興味を持っていたのです
こうして参拝は記事にして来ているのでより分かるのですが、それまで知識が無くて気にしていなかったというのと知識を持った途端にご挨拶する機会が訪れるというのの違いは自分でハッキリと分かります
にしても、、、ここでお呼ばれするというほどのご縁があるものだろうか? ここから繋がりが始まるのだろうか? と考えつつ
で、賀茂別健角身命とはどなただろう、と調べて小さく唸りました
ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って、情報量多い!!順番!!
玉依姫で調べると父神として綿津見説と健角身説が混在している?! 一応、賀茂氏説の方は 活玉依姫 ってなっている場合もあり名の似た別神のようでどちらも神武天皇の母となっている
あー、、、ダメだダメだダメだダメだ、ごっちゃごちゃ!!
タケツノミの子がタマヨリヒメだとすると、矢から雷神の子を解任して生まれたとされるワケミカヅチは一体?!
そうなってくると綿津見と豊玉姫の子である玉依姫が神武天皇を産んだという説の方がシンプルで分かりやすいのですが、そうなると一大勢力である賀茂氏の存在が曖昧になり過ぎる
つまるところの、都市伝説系の方が大好きな言葉 隠された が当てはまるわけでしょうか
これはまたもうちょっとしっかり勉強しなければ無理だ(>_<)
で、違う違うそこじゃない、一番 えっ てなったのはそこじゃない
八咫烏!!( ✧Д✧) カッ
時系列で言いますと、、、
→瀧神社の存在を思い出し、行かなきゃと思ったのに忘れる
→突然思い立って川越に行く
→熊野さんでカラス天狗像にやたら惹かれる
→数日後、突然思い出して急遽瀧神社へ行く
→神社に着くと強風と彩雲
→瀧神社が瀬織津姫では無かったことに驚く
→参拝を終えると強烈な彩雲
→数日後、突然お付き合いで川越再訪が決まる
→なぜか烏天狗(御守)を連れ帰らなければならないと感じる
→川越の記事を書き、瀧神社の記事を書いていて驚く←イマココ
こじつけでもなんでも良いです、繋がったんです
不思議だったんですよ、確かに大阪阿部野神社で黒の八咫烏さんをお迎えしていたので川越で金の八咫烏さんか鴉天狗さんをお迎えしようかとも考えたのですが物を増やさずの精神で辞めたのに、なぜ再訪で神社に着いた瞬間に烏天狗さんを連れ帰らなきゃと急に決めたのかが
あ、、、れ、、、まさか、大阪から始まって、、、た?!←繋げ過ぎw
このこじつけを正当化する為にも、そして賀茂氏という大きな存在と賀茂神社やこの瀧神社の御祭神からしても!
賀茂氏の祖とされるタケツノミと娘のタマヨリヒメ
タマヨリヒメから雷神の子として産まれたワケミカヅチ
タマヨリヒメはウガヤフキアエズと結ばれ神武天皇を産み、その神武天皇は義父の導きだからこそ従って橿原へ辿り着いた
三本足の鴉となったのは…黒布に身を包み杖をついていたから?!
という具合にいつも調べたものをあーでもないこーでもないと組み合わせながら勝手な考察遊びをしているわけですが、これがまぁただ遊んでいるわけであなく実際のところはどうだったんだろうなぁって我々の祖先を想っておるわけです
神代においては記紀をキホンのキとされる傾向がありますが、そもそもが古事記と日本書紀で書いている内容が違うわけですし古事記の時点で政治的(勢力的)思惑も入っているし日本書紀においてはそれをベースにしつつ海外に対しての思惑が入っている、そして何よりどちらも小説のような書き回しが多すぎて実際のところが全く分からないのですから、記紀が史実!とするのは無茶なのです
いやー、参拝時に御祭神が想定外だとは思いましたがこういう流れになるとは思ってもいませんでした
さぁ、滅多に来ないエリアへ来たのでこのまま神社巡りです!