どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、車返福徳弁財天
車返稲荷神社から南下してしみず下通りという道を少し西へ戻った通り沿いに鎮座されています
綺麗に整備された境内です
鳥居の手前が石橋になっており、水が流れているのかは見えませんでしたが島の体を成しています
境内右手に遷宮碑がありました
私にしては珍しく現地で読んだところ、こちらは元禄の頃(1700年頃)より崇拝され明治期までお堀に囲まれ鎮座されていたのですが明治の都市計画により反対の声虚しくこの地へと遷座されたそうです
神聖な地が失われてしまったことへの悲しみが強く伝わってきますが、こうして今も残り祀られているということからも、しっかりと神社を守られている方々にはきっと大きなご利益がおありになることでしょう(*^^*)
その事がしっかりと伝わってくるお社です
綺麗な注連縄、開けられた扉は開けっ放しというわけではなさそうでお酒やお水が供えられています
少し不思議な空間だったのですが、碑を読みご挨拶したことでとっても居心地の良い空間へと変わったのは私が同調したからかもしれません
由来からして当然ですが、小さくともこれだけ綺麗な境内なのに何か周りの景色と馴染んでおらず、でもその御神域はしっかりと良い気が降り注いでいる
御祭神は市杵島姫命でいらっしゃるか、弁財天そのものでいらっしゃるかわかりかねましたが、こうしてとても大切にされているというお社に出会うと心が暖かくなります(*^^*)
古き時代より新しき時代へと変化するのは世の常であります
古き良きを残す事も大切ではありますが古いものだからと残せば良いというものでもない
その加減というのはとっても難しいものです
国が発展し、民が増え、開発しなければならぬとなった時にどうしても土地が必要となるわけで広大な地を有していた寺社地というのは格好の場所なわけです
だからといって御神域なんだから!!と言ってもこれだけ人が移り住む時代になってしまうと鎮守様への想いがどんどん薄れてしまう
各家庭、各お店や会社には必ず神棚があった文化も今では変わってしまい、盆踊りやお祭り、参拝の音などにすら うるさい と苦情が入る時代になってしまいました
好き嫌いも参加不参加も個人の自由なので好きにしたら良いけれど嫌ならば移り住んで来るな! と声を大にして言いたいところです
移転して残るならいいじゃん、と考えるのは間違いです
どこかから勧請された神社であっても、基本的には御鎮座されるに相応しい場所をしっかりと選ばれるわけですし、それどころかその場所自体に神が宿られるが如き神聖さがあるからこそその目安として岩、祠、社が置かれるわけです
なのでその場所自体を奪われてしまいお社だけにされてしまった神様は本来のお力が出せませんし、人々の想いを集めるお社を奪われ破壊された土地には神聖なお力は残りません
まぁ寺社が国中に広まった時代背景とは違いますから難しいところではありますが、そんな世の中においても、こうして街中で残られているお社というのは本当にお力があるのだと思います
著名で大きな神社さんと違って街中の神社はお賽銭が集まるわけでもなく、近隣の方が身銭を切ってしっかりとお掃除や修繕をしていかなければ廃れてしまう
廃れ図に残られているお社というのは、それだけの御神徳があるからということですからね(*^^*)
他所から伺わせていただく私は、そのお手伝いを少しだけさせていただき、御利益はいつも守られていらっしゃる氏子様方へお授けいただければ、といつもご挨拶しています
そのお陰で、こうして参拝させて頂けるのですから(*^^*)
さぁ、今回の神社巡りはあと一社!