どうも、ひのきですm(*_ _)m
導きって凄いものですね
とりあえず半月掛けて考え書いたので暫くおやすみかなーなんて思っていた勝手に記紀考察ですが、もっと読みとけ、書け、というお導きを頂いてしまいましたので続けますw
ただ、今回は6までとは違い都市伝説寄りとなっておりますのでご了承くださいm(*_ _)m
記紀を読みといていくと、あれ?スサノオの扱い多過ぎない?あれ?天孫降臨ってアマテラスとスサノオ両方の系譜?あれ?なんで出雲の祖がスサノオではなくてオオクニヌシなの?ということで、要は同族(民族)の力関係が問題だったという独自解釈へとたどり着いた前回までがひと区切りでした
まず、記紀の記述から読みといていきます
既述のようにアジスキタカヒコネはオオクニヌシとタギリビメの子として産まれ、妹のタカヒメはアメノワカヒコに嫁ぎますがアメノワカヒコが天孫族に放った矢が戻ってきて命を落とす
妹の旦那の葬儀に出席したアジスキタカヒコネはアメノワカヒコが蘇ったと勘違いされて激怒(当時は死者と間違われることは縁起の悪い冒涜だった)、葬儀屋を破壊して去ったとしてそのまま出てくることはありません
そう、突然アメノワカヒコの義兄として登場していきなり大暴れして姿を消すともう出てくることが無いのです
しかも夫の葬儀をぶち壊して出ていった兄に対し、妹が美辞麗句を並びたてた歌を詠むという結び付きです
何の系譜も功績も書かれないまま、ただ死人と間違えられて暴れまくった人としてはあまりにも不自然です
その後、神武東征において次に突然出てくるのがナガスネヒコです
ヤマトの地方豪族だったナガスネヒコは後の神武天皇となるヒコホホデミと戦い一旦は退却させますが、ヒコホホデミは八咫烏の導きによって再び南からヤマトへ攻め込みます
この時、ナガスネヒコの主君であったニギハヤヒがヒコホホデミに帰属する(同じ天孫族と知ったからといわれる)と主張、猛反対するとなんと主君に騙し討たれる形でナガスネヒコが亡くなります
こちらの場合、東征する天孫族と戦った地方豪族なのでその場面で急に登場してもおかしくはないのですが、問題はこのニギハヤヒに嫁いでいたナガスネヒコの妹であるトミヤビメなのです
これはちょっと臭いませんか?
そして同じように、オオクニヌシの子にして重要なポジションでありながらほぼ登場せず印象的なワンシーンのみという神がその間を繋ぐように存在する
国譲りで天の逆手を打って姿を消すオオクニヌシの子でタケミナカタと共に国を任されていたコトシロヌシである
数少ない記紀の情報だけでストンと繋がった勝手な考察です
高天原から指示を受け降りてきたアメノワカヒコはオオクニヌシの子と結婚し定着してしまう、そこへどうなってるんだろ催促が届く、それに対しお告げで矢を放てと言われ打ってしまい、結果的に返ってきたその矢に当たり死んでしまうのである
そこで登場したナガスネヒコは義兄の葬儀に出るも余りにそっくりでアメノワカヒコが生き返ったと勘違いされ激怒、その勘違いしたのが両親なのである
いくらなんでも両親が両親とも自分の息子を間違えますか?!
そんなんで大暴れする?の理由として当時は死者は穢れとされていて生き返ったと言われるのは無礼千万だったわけですが、そこには驚く程に暴れなければならなかった理由があったとしたら?
アメノワカヒコはシタテルヒメとの出雲生活に馴染んでしまい、高天原からの催促に困ってしまった、それこそ王道中の王道ですよね、死んでしまったことにする
じゃぁなぜ本人なのに葬儀に出てしまったのか、それはちょっと無理やりかもしれませんが、遺体として死んだフリをして行かなければならなかったから、だって遺体無しじゃ信じて貰えませんよね
でもそのままでは埋められてしまうのでこっそり抜け出して、実は義兄ですと姿を現した、でもバレそうになったので誤魔化す為には必要以上の大激怒を演じて逃げ出すしか無かった
恐らく、じゃぁ貴方は誰なの?!こんなにそっくりなのに!と死んでしまったおちうお腹を痛めたわが子を前にきっと詰め寄ったことでしょう、咄嗟に出てくる葬儀に参列してもおかしくない立場の名前とは、、、嫁の義兄だった!!
そうです、私の兄です!! 私は兄を尊敬していて、その尊敬する兄と重なったから妻となったのです!!的な
ほら?(何が ほら じゃw)(ちょっと待って、突然自分が思っていたのとは違う方向に流れていくw)
妹は亡き夫を悼む場でそれを蹴立てて帰っていった兄の名を知らしめる歌を詠む(夷曲)、、、これはまことに不自然極まりない、無礼は貴方たちで彼は悪くありませんと庇うのは良いですがその麗しき威光を詠むのはかなり場違いです、つまり彼はワカヒコではなくタカヒコネですよ!と印象付けたかった
では本当のアジスキタカヒコネとは誰だったのか、それが、コトシロヌシではないでしょうか
でも母が違うじゃないかって? 都合の良い逃げを使えば、当時は同一人物に違う呼び名が多いのは普通のことでそれは出身地や支配地域に由来するものから立場を示すもの、そして役職名と多岐に渡ります
でも結局コトシロヌシだってほとんど描かれてないじゃないかという事になるのですが、コトシロヌシの娘トミヤビメはニギハヤヒに嫁いでおり、その兄がナガスネヒコとされています
コトシロヌシの母は古事記でカムヤタテヒメとされていますが日本書紀ではタカツヒメとなっており、それはタギツビメの別名だとされており、妹がシタテルヒメ、、、おやおやおや?
もう混同しまくっていますが、つまり、オオクニヌシの子アジスキタカヒコネの役職名がコトシロヌシである!!
そしてさらに繋がる
死んだことにしてアジスキタカヒコネのフリをして戻ってきたアメノワカヒコはニギハヤヒでもあると書かれているのです
そうよねーーー!! 天孫族のニギハヤヒって急に出てきたもんね!
アメノワカヒコの妻はオオクニヌシの娘タカヒメでその兄がアジスキタカヒコネ
ニギハヤヒの妻はオオクニヌシの娘でコトシロヌシの妹でありながらナガスネヒコの妹でもある
同じじゃないです???
とはいえ、アメノワカヒコが名を変えてニギハヤヒというのもアジスキタカヒコネとナガスネヒコとコトシロヌシが同一とするのは繋がるのですが力関係にのみ謎が残るのは事実
オオクニヌシの子であるナガスネヒコは義弟のニギハヤヒに仕えていることになっているのです
これ、書き換えられてません? あ、これ、都合の良い解釈じゃないと思います
和訳ではナガスネヒコは主君であるニギハヤヒの裏切りにあって、と書かれています(誤訳かもしれませんが)
はて、どこの世界に主君が臣下を殺すことを 裏切り と言うでしょうか、意見の不一致で主君が間違っていたとしても、普通は 誅する を使うのではないでしょうか
つまり、出雲の主権を棄てさえすれば手を出さないという約束(過去の考察による)により職位を捨てたコトシロヌシは諏訪へ移ったタケミナカタ同様にヤマトへ移っていた
一度は撃退したものの再度攻め込まれこれは先が無いと見たニギハヤヒは突如、主君であるコトシロヌシを暗殺し、同じ天孫族であるヒコホホデミの味方に付くことにした
なんなら、顔を知られていた為に実は生きていたという弱みを握らたのが理由かもしれない
一応、日本書紀の方にはアマテラスから十種神宝を授かって神武東征より先に降臨したと書かれており、確かにその場合だと成否が分からず二陣として来たヒコホホデミを敵と勘違いし、後続であることを知って手を結んだ可能性も無くはないのですが、それであれば十種神宝を携えたニギハヤヒこそ主君となるべきなのですが、、、これもまた、勢力的に血筋的にヒコホホデミの方が上だったと言えばそれまでなんですけどね(おぃぃw)
さて、どうまとめたものかね、と思案しつつちょちょいと検索していると、、、おっ?
下鴨社と呼ばれる鴨都波神社の御祭神は積羽八重事代主命と下照姫命、中鴨社と呼ばれる高鴨神社の主祭神は御年神ですが、相殿に大歳神と高照姫、そして下鴨社の高鴨神社には複数で書かれているのですが、阿遅志貴高日子根命、事代主命、阿治須岐速雄命、下照姫命、天稚彦命とオールキャストです
この共通性!!
そして下鴨社の社殿には、アジスキタカヒコネの御魂を鴨の神奈備に坐せ、という御神託で創建されたとあるのです
ひとつの神社に御名が並ぶということは別名であるとも言えるのですが、複数名全てを祀ったという考え方も出来るわけです、なぜなら荒御魂和御魂を共に祀る神社もありますし、何よりも上述の考察通りであれば、その時その時で立場を変えているので人格、つまり神格が違うとも考えられるわけです
唯一、アジスキハヤオノミコトという耳馴染みの無い神名があるのですが、こちらもアジスキタカヒコネの別名とされています
これは果たして、都合の良い考察なのだろうか
つづく
あ と が き
ほんと、考察しながら書き進め、長くなり過ぎて途中から記事を分けて切られた部分の体裁を整え、次の記事に回した部分のはじまりも体裁を整えつつ調べながら書いていくと新たな組み立てが、、、というループを記紀考察6回で一旦まとめてひと息吐いてから僅か5日後のことでした
突如として思いつきます、そうだ、糸魚川へ行こう
結構前からやってみたかったことだったので、よし、折角ならば神社巡りも、と調べるとなんとヌナカワヒメが祀られている、ここで糸魚川行きが確定w
折角の旅ならば一泊したいね、と翌日の候補を探し次の日の参拝地を決定、その近くを探すとなんとアジスキタカヒコネを祀る神社が、さらに当日参拝をしていく途中でもしかしたらシタテルヒメを祀っているのではないかと考察出来る神社まで
スサノオに始まり出雲とオオクニヌシに結び、その続きはやはり出雲の系譜、、、これはいったいどういうお導きなんでしょうね、でもこれは調べるしかない、と今回の記紀考察シリーズが始まったわけです、いや、今回も一回完結のつもりだったのですが、、、w
実際、巡りに巡っていますのでその参拝記事が上がるのは年明け1月中になるでしょう、それまで今回の考察は寝かせておくつもりだったのですが、ここからさらに導かれるのか、それともただの偶然でここが終わりなのか、それを確かめたくて(*´ω`*)
とりあえず11月上旬現在の現状は、あと三社ほど既参拝社の記事を描きあげれば執筆待ちの神社は無くなり、次の参拝予定は今のところ年末年始までありませ、、、あ、嘘を吐きました、一社か二社、予定がありましたw
というかつい先日、やっぱり急に出来ましたw
それが今回の件に繋がるか否かは調べていません<( ¯﹀¯ )>