どうも、ひのきですm(*_ _)m
またしても続いてしまいました、勝手に記紀考察(もはや妄想w)
今回のテーマは、、、出雲の系譜? それとも、、、
今回も都市伝説寄りになっていくかと思いますm(*_ _)m
前回の考察でアジスキタカヒコネ=コトシロヌシ=ナガスネヒコではないか、そしてアメノワカヒコ=ニギハヤヒではないかと考えました
あれ?でも待って、ニギハヤヒ=アメノワカヒコだと思ったのですが下鴨社にはタカヒコネ(長いので以降アジスキを省略しますw)の別名とシタテルヒメが祀られていると考察したのにアメノワカヒコまで祀られているのです
勿論、妹の夫なので不思議ではないとも言えますが、はたして、タカヒコネの御魂を祀れとの神託に彼を殺害した相手を一緒に祀ることがあるでしょうか
あぁ、、、ダメだ、これはダメだ、都市伝説考察バリバリの想像しか出てこない( ̄▽ ̄;)
つまり、、、
撃退した敵が再度攻めてきたところでヒコホホデミも天孫族であったことを知ります
さぁ、これはまずいことになった、タカヒコネは一度天孫族を撃退してしまっているのです、、、国譲りの協定があるにも関わらずです
さぁ、このままでは出雲と諏訪に引きこもることなくコトシロヌシが名を変えヤマトへ進出していることがバレてしまう、そこで彼らは相談して同じ手を使ったのです
あの者は我ら天孫族に逆らった為に誅した!! 貴方様の方が格が上なので付き従いましょう、とタカヒコネを殺したことにしますが自分の時と同じように彼は生きていた
ではタカヒコネは一体何処へ行ったのか、そう、このタイミングで姿を現す新たな人物、それがカモタケツノミノミ、神武東征を成功に導いた八咫烏です
彼は南から攻め込むように仕向け、まんまと天孫族軍を使ってヤマト南部の豪族を滅ぼさせます、そしてカモタケツノミは山城国を治め、一大勢力である賀茂氏の祖となります
そしてここが重要、タカヒコネは死んだことになっているので当然ながら賀茂氏の祖ではありませんが、何故か、カモノオオミカミとして祀られています、なぜでしょう、つまりそういうことじゃないでしょうか
タカヒコネが天孫族を退けたのをニギハヤヒが知らなかったとは思えない、そもそも私の勝手な考察によればタカヒコネの方が主君なのである
そして一度勝利しているのに二度目は戦わずして同盟を結んでいるのは統治させたということにして水面下で国を牛耳ろうとしたのではないか、なぜなら戦い続けていると高天原から更なる応援が送られる可能性があるからと考えることが出来ます
果たして、加茂氏は一大勢力を誇り、なんとカモタケツノミを祀る下鴨神社にもアマテラスを祀る伊勢の神宮にしか無かった特別な斎王制度が導入され賀茂皇大神宮となっているのです
もう一度言います
正式に 大神 に 御 を付け加えた最上級で呼ばれるのは伊邪那岐大御神、天照大御神、そして迦毛大御神の三柱だけだそうです
正式に斎王を置き、社名に 皇 を付けて 皇大神宮 を名乗れるのは伊勢の神宮 内宮 のみだが神社史において下鴨神社のみ斎王を置き皇大神宮と、そして御祭神は賀茂皇大神と呼ばれていた
斎王制度は無くなったが、今でも下鴨神社は 皇 の使用が許されている
これはかなり重大な事で、前回の考察に繋がってしまいます
そう、スサノオの血を引くオオクニヌシとアマテラスの血を引くタギリビメの間に生まれたアジスキタカヒコネこそが実は最も濃い天孫族の血族であるということです
そしてですね、同様にここまで名前が出ていて実は素性不明なのがニギハヤヒなんです
私的にはアメノワカヒコがニギハヤヒと名を変えたと思っているわけですけれども、このアメノワカヒコは天国玉神の子であると書かれていますが、そのアマツクニタマが何者なのか一切不明なのです
でもですよ? 実際の年月が事実かどうかは別として、国譲りで最初に送り込まれたアメノホヒが帰らぬ為、第二陣として送り込まれているんですからそれなりの立場にあったはずです
よく読み返してみると、アメノワカヒコは葦原中国を我がものにしようと企んでシタテルヒメを娶り8年経っても復命しなかったと書かれています
企んで8年?! ここ、おかしいですね!! 戻らぬのはどういうことかと言われてもそれであれば普通に 今国の中枢に入り込み乗っ取りの最中ですから、もう少しで上手くいきまっせ とでも返しておけば良かったのです
何か無理やり悪者にされている感じを受けるのはスサノオの時と似ています
さらにおかしいことに、使者が戻って来ず代わりに血の着いた矢が飛んできたとはとんでもない事態ですよ? これ、映画や史実にもよくある、手を出してはならない決まりにある敵方の死者を斬って返す宣戦布告と同じなんです
なのに高天原では、彼が悪くなければ当たるな、嘘をついていたら刺さって死ね、と矢を返してアメノワカヒコは死ぬわけです、つまり嘘をついていたということになります
これ、あれですよね、葦原中国の方が魅力あって懐柔されていただなんて天孫族としては汚点ですからこういう書き方をしたのではないだろうか
そして気付きました、いや、神名はみな似ていることがあるのは重々承知ですが、大国玉と天国玉って?!
私は大国主が職位名だと思っているので天国玉も天孫族側の職位名である可能性が高いとは思いますが、大国玉と同様に考えればかなりの地位にあると言えます
そのような地位の子が裏切っていた、それはもう隠しに隠したい大恥ですが、、、オオクニヌシと同等の天津神と考えると、、、アマテラスがスサノオ?
つまり、五男神のうちのひと柱である可能性が考えられる、勿論アマテラスの子なんて書けないしスサノオの子としてはそんな裏切りそうな人物を送り込んだとしてやはり自分たちの非になってしまう
それだけの立場の人物だったからこそ、亡骸は天国玉によって天に引き上げられ葬儀も天で行われた、はい!ここでもう一つの謎!!
葦原中国から高天原に行った神って他に居ました?! そして私、重大な思い違いをしていました、シタテルヒメが葬儀で
喪屋を蹴り立てて姿を消したタカヒコネに詩を詠んだのかと思っていたのですが、シタテルヒメが葬儀に列席したとは書かれていませんでした
つまり、仲が良かった、というだけでタカヒコネだけが天に上っているのです、そして葬儀をめちゃくちゃにして消えている、そしてそのままこの話は終わり、次の使者へと移る
そんなことありえますか???
まぁ、だからこそ三度目の派遣に武神が送られ出雲に勝利することとなるわけですけれども
こうなってくると、なんでも混ぜれば良いというものではないことを重々承知していても、やっぱりアジスキタカヒコネ=アメノワカヒコだと言いたくなってしまいますね
アメノワカヒコはオオクニヌシの娘を娶り義理の息子となって、、、アジスキタカヒコネとして暮らしていた?!
となるとやはり謎のニギハヤヒは? 最初に降りてきたアメノホヒが姿を消したまま出てきていませんね、、、そっちか?!
はい、ここまででしょうかね(*´ω`*)
ちなみにアジスキタカヒコネの子孫は賀茂氏、ニギハヤヒの子孫は物部氏だとされています
考察してきた古事記と日本書紀ですが、乙巳の変にて焼失した国書を復活させるという理由での編纂を指示した天武天皇
その天武天皇を壬申の乱で勝利に導いた中に、またしても八咫烏と言われる鴨氏(賀茂氏)が含まれている、つまり出雲族に大きな借りが出来ていることになる
高千穂族としては歴史から消し去りたかった出雲族の系譜が記紀の中にヒントとして散りばめられた理由としては十分な気がします
なにしろ、編纂を命じられた稗田阿礼は出自から何から全然分かっていないのです
天皇から直々に新たな国書の編纂という超重要な仕事を命じられるほどの人物であれば天皇の側近であった可能性が高いのに素性が一切記録に残っていないなどということがあるでしょうか
なんと、五男神の三男アマツヒコネの子孫とされる高市許梅に事代主が神懸かって大海人軍に情報を伝えたというのです
コトシロヌシはこの時の大海人軍に参戦していた三輪氏の祖でもあり、賀茂氏の祖でもある私的考察でいうところのアジスキタカヒコネです、つまり八咫烏を味方に付けていた!?
それもそのはず、賀茂氏、八咫烏の本拠で援軍を募っていたのですから
そう、神武天皇を立てて裏で権力を広げたアジスキタカヒコネとニギハヤヒはそれぞれ賀茂氏、物部氏(他)となり後も強大を誇ったのです
え?なぜ天皇になれなかったのかって? さすがにそこの牙城は崩せなかったのでしょう(いろいろあったようですが)、それに天皇になることだけがチカラではありません(意味深)
いやぁ、アジスキタカヒコネとナガスネヒコ、タカヒメとシタテルヒメって同じ人物じゃない?! というところを切り口として初めてみたらこんなところまで来てしまいました
妄想バンザイ!\(^o^)/
そうですね、考察というより妄想に近かったこの二回でしたw
こうなってくると、、、賀茂神社と鴨神社を参拝したくなりますねぇ
と、ここまでが6.5より先に書いていたところになります
6.5の考察により、この先に天降ったアメノホヒは3年後に加わった息子タケヒナトリと共にオオクニヌシに仕え関東方面を平定し、次に来たアメノワカヒコは死んだと偽ってニギハヤヒとしてヤマト方面を治めていた
出雲は日本における初の国として成立していたのが国譲りによって天孫族の属国になってしまった、すると各地の豪族が力を盛り返してきたため大和を平定、そして天孫族が高千穂と遠くに居るのを良い事に出雲国の復活、つまり大和を中心として新たに建国しようとした、もしくはしてしまった
そこで天孫族は慌ててイワレビコを中心とした東征軍を編成して事実上の国譲り、むしろ国盗りを始めた
かつて出雲を中心として(諸説はあるが)広く関東までも勢力下に収めていた頃とは違い大和周辺だけだった為に抵抗にも限界があった、それがニギハヤヒによるナガスネヒコ誅殺という芝居だったのではないだろうか
やはり、結果として出雲系の血と勢力はしっかりと残っていたことで後の倭大乱が起こり崇神天皇の御代における疫病となり、だからこそ鎮めることが出来たのはオオクニヌシの幸魂・奇魂であるオオモノヌシだったのではなだろうか
いやー、スサノオ、オオクニヌシ、アジスキタカヒコネだけでなくアメノワカヒコ、アメノホヒまで繋がった考察になろうとはびっくりですが、やっぱりそこまでいっても誓約の系譜がしっかりと絡んで来ることにびっくりです
これが実際、天皇家の血筋にどこまで影響しているのでしょう、そして今はどうなっているのでしょう
まぁ私の興味は神代が主ですのでこれ以上深掘りすることは無いと思います(多分w)
まぁそれにしてもほんと、そもそも書かれていることが真実かどうかもわからないし比喩表現が多すぎるし記紀で書かれていることが違うし日本書紀の中だけでも数パターンが書かれているしで本当に読み解きが難しいのですが、本当に凄い書物ですね
とっても楽しい(^^)