※ 古事記を中心として日本書紀、旧事本紀、ほか神社や地域等の伝承をまじえながら私の感覚だけを元にして勝手に読み解いていくだけの記事なので裏付けも整合性もありませんし、勿論着地点も用意せずに突っ走ってきました
まとめるまとめる詐欺氏、どうも、ひのきですm(*_ _)m
途中途中で次々と浮かんで来る 気になるポイント の大半をとりあえずどこかにメモって流しつつスサノオについて考察してきました
高天原は大陸のどこかにあった、追放されたスサノオが出雲に降り立ち一大勢力を作りますが子の代になってアマテラスに迫られ譲ることに、ただし出雲と高千穂に別れ共存する形となりました
どちらもイザナギの子、アマテラスだけでなくスサノオの血を引く天孫族とスサノオから続く天孫族によって作られていったのがこの国だった
力関係で上となったアマテラスが皇祖となり、血は繋がっていても負けた出雲側のスサノオは皇祖となれなかった
スサノオは新羅の王と言われることが言われますが、記紀そのものに高天原から根の国(葦原中国)へ向かう途中に新羅を"通過"していることが書かれています(もしかしたら一時滞在はしたかもしれませんが)
一応の終着点に辿り着き締めを書こうとしたところで大事な事に気が付きました
なぜ出雲の皇祖神スサノオではないのか
出雲大社の主祭神はオオクニヌシが祀られていますが本殿内にはさらに六柱、天地開闢の神々が祀られていますがそこに父であるスサノオは祀られておらず摂末社である素鵞社に祀られています
これはもう一度その部分を読み直してみる必要がある
スサノオは八岐大蛇を倒して迎えた櫛名田比売とヤシマジヌミノカミを産み、その玄孫がオオクニヌシということになっている、そして全て男系である
オオクニヌシは多くの兄弟 八十神 と共に因幡のヤガミヒメへ求婚しに向かうが、有名な因幡の白兎を経て根の国に住むスサノオの元でその娘、スセリビメを娶る
六代の子孫なのに娘を娶るという時代のズレの方が気になって根の国というところを見逃していました(´>∀<`)ゝ
帰ってきたオオクニヌシはヤガミヒメをも嫁にしたのですがスセリビメが怖くて因幡に帰ってしまいます
懲りないオオクニヌシは続いて越国でヌナカワヒメに求婚、またしてもスセリビメが怒り、大和へ向かう(逃げる?)時に歌を捧げて仲睦まじくなる
...はずが今度は宗像のタキリビメを娶ってアジスキタカヒコネ、シタテルヒメを産み、カムヤタテヒメとの間にコトシロヌシを、トトリとの間にトリナルミを産みますがスセリビメの怒りはもう書かれていません
旧事本紀ではカムヤタテヒメはタギツヒメのことだとされていますがトトリの父ヤシマムジノカミは不明、ただしアジスキタカヒコネとコトシロヌシが後に重要な立ち位置として出てくるにも関わらずトリナルミは鳥取の祖という感じでしょうか
小さく繋がりました
本妻として側室を立て続けに排除したスセリビメは嫉妬深いと書かれていますが、歌を唄いあった後は同じ元天孫族であるタキリビメ、タギツヒメ(カムヤタテヒメ)を娶っても怒っていない
よくわからないトトリを省きましたが、唯一、その子だけが他の子ほど出世していないように思えるのです
天孫族の血を残したかった?!
スサノオの子ヤシマジヌミノカミ以降、子を産んできた神々にはたどればどこかで繋がるにしても天孫族の名が出てくることなく書かれています
オオクニヌシの時点では既にスサノオを祖とする天孫族の誇りが薄まっていた? しかも兄弟は八十神です
古来八というのは多いということの比喩としても使われ、八十とはかなり多いという意味でも使われます、つまり子孫が増え過ぎて権力争いが起きていたと考えることが出来ます
スサノオ亡き後、出雲はひとつにまとまることが出来ず元の豪族達が勢いを取り戻していたんじゃないでしょうか
そんな中、娶れば因幡を中心として優位に立てるヤガミヒメを奪い合う王子達をよそにオオクニヌシはなんとスサノオの血脈であるスセリビメを娶ることで天孫族を後ろ盾として大きな力を得る、さらに因幡をも手中に収めて出雲の王となった
おおおおおおお!!
オオクニヌシはさらに勢力を拡大すべく各地で豪族の娘を娶って血族を増やそうとするもスセリビメとしては天孫族の力を借りたのにまたそれが弱まってしまうことを危惧していたのでは?
歌詠みはそのあたりを話し合ったということじゃないでしょうか
タキリビメ、タギツヒメとの間に子を産んで有力ポストに就けることでスセリビメもご機嫌、ただしこっそり紛れ込ませて手を付けた豪族との子孫にはやや地味なポストが与えられた
まぁ系図で男系を辿ればオオクニヌシからスサノオに繋がることにはなりますが、スサノオの統治が長く続かずバラバラになっていたとしたら、あくまでも出雲の祖は最初に八十神を統べたオオクニヌシということになるのでスサノオを祖神として祀るよりも相応しい
出雲で一時期、オオクニヌシからスサノオへと祭神が変更されていた時期があるのですが、恐らくその頃は神仏習合でそれこそ牛頭天王と習合されたスサノオの人気は凄まじく、全国で広がった牛頭天王信仰の波は出雲をも飲み込み、オオクニヌシからスサノオへと祭神変更されるほどだったのでしょう、後にちゃんとオオクニヌシに戻されていますからね
えーと、、、泥沼を覚悟で日本書紀の方も確認してみたのですがなんと、スサノオのヤマタノオロチからオオクニヌシとスクナビコナまで話が一気に飛んでいるんです
そうか、対外的には出雲騒乱は不要だったというか不適切だったということで省かれてしまったのかもしれません
確かに出雲も高千穂も、そして大和も天孫族が治めているとした方が効果的で古代出雲の勢力が今も残っているというのをハッキリと書いてしまうと弱みになってしまいますものね
えーと、、、うーんと、、、うん!! 気になることは多々残っているけれどこの流れにおいてはスッキリした気がする!! やっと締めれるw
いやー、スサノオが気になったのに最終的な着地点がオオクニヌシになるとは思いもしませんでしたが、それもこれも全て、やっぱり古事記の読み解きはスサノオが鍵だったなぁ
いやね、勿論私にも個別の推し神はいらっしゃいますけど、その他八百万の神々は等しく崇敬しておるわけです
なのでアマテラスもスサノオも八百万のひと柱として捉えていたのですが急に古事記の中でスサノオの存在感だけが照らされて読めてしまい、その血族を知らなければならないと感じたんです
これはスサノオ様の思し召しか? お告げのようなものか?と読み解き読み解き、頭を悩ませながら読み解いてきたのに進めど進めどストンと落ちるところ無く謎だったのですが、実はオオクニヌシを知るべきところだったという衝撃!!
こういった所を理解せずして出雲大社参拝は時期尚早だった、ということなんだろうなぁ、と勝手に納得
つまり、、、潮が満ちてきた!! 出雲参拝も近い?!
日本の創始が描かれる最古の書 古事記 ですから当たり前ですが、ほんとに深い!! 私のように正誤は問わずどう読み解けるかだけで考察して来てもここまで考えることが出来てしまう
これがさらに別書での記述や記紀による違い、当時の時代や文化、言語や名前の意味、別の書物や神社などの伝承、実際の遺跡調査など様々要因を絡めていってしまえばもうとんでもない沼ですね( ̄▽ ̄;)
卑弥呼は九州を治めていた祭祀王で混乱極まる大和の統治王(天皇)に請われて祭祀を執り行って大乱を鎮めた
国としての統治王はヤマトに、祭祀王は大陸との外務大臣を兼ねて九州を治めており、大陸側としては倭国、つまり邪馬台国で実質的に接しており国の政治を司る卑弥呼こそが女王、戦う統治王は将軍という位置づけで記録されていたと考えることは?
そして今回は書かれていることを中心にしてきたのでアマテラス女神化を主としてきましたが、アマテラス男神説を採用して考察するとそれもまた違った見方が出来るでしょう
うーん、終わらない考察( ˊᵕˋ ;)
今までは識者の方々が考察している話を聞いて へぇー、ほぉー、それっぽい!! でもこっちっぽくもある!! なんて適当さでしたから、やっぱり自分自身の意見を持った上で聞くというのも大切ですね
記紀でまだまだ気になることは多いですが、きっと、これから神社巡りを続けていく中で少しづつ解していくことになるんでしょう
ただでさえ "記事が長い" 私ですが、出来るだけ 秘技 後述 と 奥義 別記 を駆使していこうと思いますwww m(*_ _)m
いらっしゃるのかわかりませんがw 六回にも及ぶ長い長い自己満足考察を全てお読み頂いた方
お付き合い、どうもありがとうございましたm(*_ _)m