日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

勝手に記紀考察 = 最終篇 = ~私説・神代記~

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

では、総仕上げです

 

 

勝手に考察して来た結果、私的な神代記がどのようになったのか

 

 

折角なので妄想空想満載にひとつの神代記として纏めてみました

 

書いていくうちにこれまでの考察からさらに飛躍統合されていったほぼフィクション神代記ですw

 

 

古事記をベースに日本書紀を交え、よく分からない部分などを勝手に考察してぎゅっと纏めてみたものなので当然ながら事実でもなければ各地の遺跡や伝承に合わせたものではありません

 


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イザナギはアマテラスを高天原の祭祀王に、ツクヨミを統治王に指名し、スサノオには海原の向こう、外国の統治を命じた

 

遠征軍を引き連れたスサノオは姉へ別れの挨拶をしに向かうが攻て来たと勘違いしたツクヨミは軍を率いて襲いかかる、そしてスサノオツクヨミを倒してしまった

 

統治王を殺されたアマテラスは武装して待ち構えた

 

「貴様、我が国を奪いに来たな!」

「私は母の元へ行くのに挨拶に来ただけだったのだ!貴方を攻める理由は無いのにツクヨミが攻撃して来たから仕方が無かった! されば誓約で産まれた子のうち男は全て置いていく事で身の潔白を証明しようではないか!」

 

この誓約により男神と女神が産まれた

 

「よろしい、男神は私の子としてこちらで預かり統治王とする、女神はそなたが連れて行くが良い」

 

だがスサノオ元服するまでは子に両親が必要だとなかなか出ていかず、確かにそれも一理あるので無下に追い出すわけにもいかず、、、スサノオは王であるかのように振る舞うようになり、その粗暴さは遂に度を越したため耐え切れなくなったアマテラスは洞窟に隠れてしまった

 

祭祀王が隠れてしまっては災禍を治めることが出来ぬ、神々はなんとかアマテラスを呼び戻し、スサノオから天孫族としての資格を全て奪い取って追放した

 

全てを取り上げられ追い出されたスサノオは子達を連れてまず新羅へと降り立ったが「ここは住むべき所ではない」と五穀と木々の種を手にさらに海を渡り九州へと至り国を築き統治王となり、誓約の子を祭祀王として宗像の興津宮に住まわせた

 

「そうじゃ、ワシは母に会いたいのだ」

 

やがてスサノオイソタケルオオヤツヒメツマツヒメに開拓を任せて出雲と伯耆の間にあるという根の国へ向かい、出雲までやって来た

 

そこで荒ぶる八豪族の話を聞き平定し、神剣と妻クシナダヒメ、そして子オオナムチを得る

 

剣は贖罪としてアマテラスの元へ、つまり誓約の息子たちへと送られ、出雲の須賀に王宮を建てクシナダヒメの父に統治を任せ後継者にオオナムチを置いて九州へと帰った

 

やがてスサノオ崩御すると祭祀王であった娘が国を統治した、これが女王卑弥呼の誕生である

 

出雲のオオナムチは各地を平定しようと奮闘するが豪族が強く苦戦していた、その中でも強大な勢力を誇る因幡の姫を娶り勢力を広げるも豪族の抵抗が強くなかなか統治が進まない

 

悩んだオオナムチは既に根の国へと渡ってしまった父からの助言を得るために宗像へと向かい、そこで祭祀王タキリビメの神託を受けスサノオによる数々の指南と天孫族統治王の証を受ける、そしてタキリビメを妻スセリビメとして娶ることで統治王を継ぐことになった

 

魏志倭人伝では卑弥呼の弟が国政を助けていたとある、オオナムチはタキリビメから見て異母弟である

 

正式な統治王としての資格と祭祀王を妻に迎えたオオナムチは九州の軍勢を得て出雲から高志を平定し父の遺言に従い大国主という王の座に即位、ヌナカワヒメとの間に産まれた子はタケミナカタとなった

 

まだまだ国を豊かにせねばと奮闘している時に出雲へ現れたのはなんと誓約の子アメノホヒであった

 

騒乱を平定しに来たのに既に国が出来ているではないか、しかも彼は異母弟である、そこで彼は国王を助け出雲に仕えることにし、やがて様子を見に来た息子タケヒナトリも同じく仕えさせ主に関東地方へと出雲の支配地を広げていった

 

各地で平定は進んでいたがどうも治世が上手くいかず困っていたところに現れたスクナビコナは医療や農耕に精通していたため国造りが一気に進んだ

 

彼もまた高天原から葦原中国を平定するよう派遣されてきたアメノワカヒコであったが先遣され国王に仕えていたアメノホヒ父子も居たので同じく協力して豊かな国造りを進めることにした、そして彼はオオクニヌシタキリビメの娘シタテルヒメを妻にしてアジスキタカヒコネと名を変えた

 

そう、アジスキタカヒコネは天孫族アメノワカヒコでありオオナムチの義理の息子であったが祭祀王の後継者を娶った事で彼は統治王を継ぐ資格を得て出雲国大国主 の次代 大物主 となった

 

だが突然高天原より使者が来て状況を問い詰められたことで慌てて殺してしまい、天孫族よりさらに詰問状が届いた、その返答次第では天孫族が大挙して出雲へ攻めてくることになる

 

策を練ったアメノワカヒコは責任を取って自刃したように見せかけることにしたが遺体が無ければ信じては貰えない、そこで自ら亡骸を演じて高天原へと渡り、葬儀の隙を見て抜け出そうとしたが見つかってしまう

 

これを誤魔化すには別人を演じるしかない、出雲で名乗っていた名を使い、我はオオクニヌシの子アジスキタカヒコネであり別人である! と強弁し、喪屋を破壊し怒り狂って誤魔化すことでなんとか出雲へと戻ることが出来た

 

シタテルヒメは彼が自分の兄であり本当は素晴らしい人なのですと歌を詠むことでその嘘がバレぬよう念押した

 

 

だが度重なる身内の離反に業を煮やしたアマテラスは軍神であるフツヌシとタケミカヅチを将軍に据え大軍を派遣した

 

スサノオ亡き九州をすぐに陥落させ出雲へ迫ると老齢の大国主は次代事代主とタケミナカタに聞けという

 

次代は大物主であったが高天原にて死を装った忌みを嫌い事代主となっており大物主としての御魂は三輪山に祀られていた

 

二大将軍率いる大軍に日本海側と太平洋側から攻め込まれ、出雲の武神タケミカヅチは諏訪まで押し込められ武蔵のアメノホヒ・タケヒナトリも降伏、その間に策を練っていたアジスキタカヒコネは事代主の地位を降り国を解体することに同意するが国が崩壊した事で各地の豪族が次々と蜂起、天孫族はその平定にかなりの時間を費やした

 

漸く葦原中国を平定した高天原の武神は大国主に国譲りを迫る

 

「さて、葦原中国がどれだけ広く荒れやすいかお分かりになられましたでしょう、我らが負けると方々で蜂起が起こりましたし今後もそうなるでしょう、貴方ならばその都度勝利するのは容易いかもしれませんがずっとそれを続けるには骨が折れます。初代国王である私を天孫族のように宮殿へ祀り高天原の威光を示せば豪族達も従い続けるでしょう。事代主は我が宮の斎主として出雲は高天原の属国となります、あなた方にはこんな騒乱絶えぬ地よりも我らが父スサノオが平定した豊かで安定した地を御直轄なされませ」

 

恐らくこれは事代主による策である

 

 

その案を受け入れたアマテラスはオシホミミの子であり統治王の継承者であるニニギを高千穂へと降らせ葦原中国の統治を命じた

 

ニニギは祭祀王としてオオヤマツミの娘サクヤヒメを妻に迎えるが義父の配慮を無視して真の祭祀王イワナガヒメを拒否してしまったために九州を安定させることが出来なかった

 

天孫族が九州平定に手間取っている間、斎主として隠棲していたアジスキタカヒコネは天孫族ニギハヤヒの名を使って再度復活を目論み自身の御魂が祀られる地の近くで建国した

 

その動きを察知した高千穂のイワレビコは大慌てで進軍、それを迎え撃ったニギハヤヒは相手がどこぞの豪族だと思うも天孫族、つまり高千穂からの派遣軍であることに気付いた

 

今回は撃退出来たがこちらはまだ復活を始めたばかり、天孫族に降った武蔵のタケヒナトリがこちらに味方するかも分からぬ中で天孫族が大群を率いて再来すれば我らに勝ち目はない

 

彼は天孫族ニギハヤヒとして生き残る道を選んだ

 

恭順の証として抵抗した部下ナガスネヒコ(つまり自分のことであるが)を誅した事にし、さらに平定に手間取る高千穂の祭祀王としてスセリビメの娘である妻を宗像へ送り、正統血族の祭祀王イチキシマヒメが現れた九州もようやく安定を取り戻した

 

つまり、アメノワカヒコ大国主の義理の息子アジスキタカヒコネであり、二代目国王事代主であり、ナガスネヒコであり、ニギハヤヒである、そして大物主は事代主の御魂である

 

 

倭国初代国王となったイワレビコも即位にあたり相応しい正妻、つまり正統血族の祭祀王が必要であることを知っていた

 

皇后に迎えたニギハヤヒ(事代主)の娘ヒメタタライスズヒメはアマテラス、タキリビメ(シタテルヒメ)の血を引く正統血族である

 

これによりニギハヤヒは現祭祀王の夫であり皇后の父として倭国初代国王を補佐しつつ王朝内での権力拡大と出雲族の中央進出を目指した

 

 

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天皇という称号は即位当時には使われていなかったが、記紀を編纂するにあたり、大国主、大物主、事代主として先に葦原中国国王が存在していると天孫族が後塵を拝した事になってしまいよろしくないとして新たな称号 天皇 とすることで初代としたかったのではないだろうか

 

九州を収めたスサノオについては存在を消すわけにはいかない、九州での功績は全て消されてしまったが出雲族としては初代国王大国主の事績が残れば問題なかった

 

そう考えなければ誰も手を付けていない九州に突然三女神が降りていたことになるし、出雲でも宗像でもなく高千穂へ突然降りて来た天孫族が何の苦も無く都を築いたとは思えない

 

古事記における一連の話は国譲りとして有名ですが、「国譲り」は最後の最後、勝利したタケミカヅチオオクニヌシとの間で行われた交渉部分の文節だけのタイトルであり、アメノホヒ派遣から国譲りまでの大題は「葦原中国の平定」なのです

 

 

そして何より、出雲もアマテラスの血を引く由緒ある血族でありるだけでなく皇祖の父スサノオが直接統治に関わり、正統な祭祀王継承者までもが出雲に居たとなれば反乱の大義を与えかねないとして隠されたのではないでしょうか

 

ただし出雲族の影響力は大きく敵に回すわけにはいかない、どこまで書き換えどこまで残すかは協議され、或いはこっそりと書き加えられたことでしょう

 

とりわけ、諸外国に対し権威を示す目的で編纂されたはずの日本書紀に 別説 として内容の異なる説が複数記載されまとまりがなくなってしまったのは長きに渡る編纂中に日向系と出雲系のパワーバランスが崩れ、また別の氏族が力を持つなどして統制が取れなかったのではないか、もしくは協議が進まないことからそれぞれの説を全部載せてしまうことにした可能性も拭えません

 

 

古代史においては当然のように勝者によって歴史は都合良く書き換えられ、そうでなくとも一方的な視点で書かれるので完全公平な記録は難しく、また口伝においては長く伝える為に物語調・神話調へと変えらてしまう、そして後世、それを読み解く人によってまた更に解釈が変わっていく

 

記紀は相対しながらも協力する勢力双方の思惑が絡み合って編纂された事によりさらに難解な内容となってしまったのではないか

 

 

実際、昨日書き上げた考察10までで完成したと思っていたのにこうしてひとつの話としてまとめ直しただけでアジスキタカヒコネの正体にニギハヤヒまで加わって実は四人が同一人物だった、さらにヒメタタライスズヒメが事代主の娘であったという記紀の記述まで加えたという大きな変わり様でしたw

 

 

あ、そうなんです、この記事は冒頭から最後まで、若干戻って修正くらいはしましたが基本的に手元の自作系譜図だけをヒントに、原文を読み進めながら記紀に照らし合わせて一気に書き上げています

 

なので細かい部分は端折って(全部盛りはさすがに凄い長さになりそうだしそこからさらに分岐するはずなので無理w)書いてみました

 

 

なので別説として、海の向こうから来た光り輝く存在こそがニギハヤヒであり大国主は大和を治める王にした、それが大物主、やがて天孫族に敗れた出雲からタカヒコネがナガスネヒコと名を変えニギハヤヒの元へ逃れた、とかもう広がり放題ですw

 

じゃぁニギハヤヒって誰やねんって話ですが三貴神で唯一名前しか出てこない、そう、ツクヨミ葦原中国を目指したスサノオ新羅ツクヨミの氏族と出会ったのではないか

 

そうなれば、秦氏の神とされる稲荷神が系譜に入っている事も合致するし、まさに保食神系が絡んでいることになる!! ではなぜツクヨミの氏族が徹底的に隠されているのか?

 

それは"ナニか"があったからですねー( ̄▽ ̄)←ナンヤネンw

 

となれば、謎のオオゲツヒメ記述、重要な神のに名前だけのカムヤオオタテヒメ、オオトシ、ウカノミタマ、突然現れるニギハヤヒあたりが繋がってきちゃいますね~

 

アマテラスと共に伊勢に祀られているのに謎多きツクヨミ、それは大和でイワレビコに恭順し国造りを助けたニギハヤヒの祖神だったからと考えることも出来ます

 

ではなぜ隠されたままだったのか、やはり表に出さざる理由があったとしか思えませんが、結構推しなこの説は記述が無さ過ぎて空想にしかならないのでここでやめておきます(*´ω`*)

 

 

勿論、他の文献や実際の発掘、地勢などからより正確な歴史を紐解こうと多くの学者様方が日々研究されており、最近ではペトログリフの発見により新説が真説となり最早記紀どころの騒ぎではなくなる可能性すら否定できません

 

学者さん達でも意見が割れるくらいなんですからこんな無知の私個人が真実に近付けたとは思っていませんが、ただ純粋に記紀を読んだだけでここまで裏物語を考察出来てしまうというほどに素晴らしい書物だと私は思います

 

ぶっちゃけ、個人的にはヤマトの縄文人が世界中に散って文明を作り、この島を母なる聖地として各地から返って来ていた、それが記紀の元となる話だと(いいな、とw)思っています

 

永く平和だったとされる縄文時代が終わると世界は勢力争いに明け暮れ、何度も痛い想いをして来ながらも人類は学ぶことなく戦争を繰り返してきた

 

次の大戦が起これば人類滅亡の可能性まで出てきてしまった今の時代に古代の謎が解き明かされることで、時代、地域、文明、人種、信仰が異なっていも皆が同じ故郷を持つ同族としてお互いを尊重して生きていた記憶を呼び覚ますことが本当の世界平和へと向かう最後のチャンスなのかもしれない

 

 

さて、今後さらに神社参拝が増えていくにつれてまた今回とは別の見解が生まれていくかもしれません( *´艸`)

 

ちなみに今回はシレッと魏志倭人伝邪馬台国卑弥呼まで絡めてしまいましたが、諸説あるように国が九州から出雲~高志~関東にまで及んでいたことから邪馬台国卑弥呼畿内に移って倭国としていた可能性も十分に考えられるし、祭祀王という役割的に畿内から近い島である四国に居た可能性も考えられます

 

四国にはオノコロ伝説や剣山のアーク伝説がある事からもその可能性は結構高く、最初九州を中心としていたけれど日本海を渡り海沿いを平定していくに従って畿内へ遷都、邪馬台国を中心に魏との交流を持ちつつ四国を祭祀の地にしていたとかいう欲張り全部のせも出来ちゃうわけです

 

この場合においても、記紀から卑弥呼邪馬台国の話が一切抜け落ちている理由が正統祭祀王の存在を隠す為だったとすればそれも合致しちゃいませんか(*´ω`*)

 

 

上では大物主=事代主の解釈を中心としましたが、スクナヒコナを失い悩んでいるところに海の向こうから来た光り輝く存在を祀った、それが自身の和御魂であるというならば優しさや慈悲を三輪山へ祀り厳しさをもって国造りにあたったからこそ出雲国平定が成し遂げられた、従って荒御魂が祀られている出雲大社は封印するかのような祀られ方がされているという解釈も出来ます

 

大物主の祟りを鎮めたとされる直系子孫オオタタネコは事代主の子孫とされているのですが、そもそも事代主の父が大国主なので全て直系なんですよね

 

あぁ、もう考察が止まらない(≧∇≦)

 

皆さんも是非、小説として記紀を読んでみてください、そして自分の中での仮説を立ててみると歴史が面白くなる、神社参拝が面白くなる、と思います(*´ω`*)

 

 

 

といったところで結びとしようとしたのですが、本日の神様カードがかなりお久しぶりの磐長姫命様でした

 

一連の考察で気になっていたところの神様が出られたというんじゃぁ考えなさいって言われていると判断せざるをえない(´・ε・`)

 

はて、イワナガヒメから繋がるところはヤシマジヌミの架空の妻がコノハナチルヒメとされているところ

 

オオヤマツミの娘コノハナサクヤヒメはそれはもう美しき女神だったそうでニニギもゾッコンだったわけですが、姉イワナガヒメは見にくかったから突き返されてしまいました

 

イワナガヒメは命長く、サクヤヒメは短命だったことからサクヤヒメを選んだことで天孫族(人間)の寿命が短くなったと書かれています(日本書紀ではイワナガヒメが呪ったとまで書かれていますw)

 

はて、でも天孫族もしっかりと代替わりしていることが書かれていますし、恐ろしく長い寿命は天上神の頃までですよね(以降に100歳前後で書かれているのは複数代がまとめられているとか年数算定基準が違ったとか諸説あり)

 

となると記紀編纂の主である天孫族としても書き残すことにしたあまり良い話ではないこの部分が意味するところは何なのでしょう

 

1. 神代記は相当に年代を結構ちょろまかして書いてあるので以降はちゃんと年代に沿って書いていますよアピール

 

いや、にしてはニニギのイメージ悪いですよね

 

2. やはり正統祭祀王である事を無視して返してしまったことでその後の九州平定に支障が出た事が事実だった

 

サクヤヒメに対してチルヒメというあまり良くはない名前にされてしまったのは事実か創作かわかりませんがイワナガヒメが呪詛したというが影響しているのかもしれません

 

また、天孫族が咲く姫を娶って失敗したけど出雲族は散る姫を娶って末永く繁栄するんですよ、という主張が込められているのかもしれません

 

ただ、コノハナチルヒメはヤシマジヌミの妻とされますがイワナガヒメには夫も子も記されていないことからそもそもイワナガヒメ自体の存在が微妙になってきてしまいますが、私としてはやはり存在していて欲しいw

 

岩、、、古代祭祀における大切な存在を名に持ち少ないながらも神として祀られる存在

 

あっ、もしかしてサクヤヒメの嫁入りに磐座を持たせたのにデカくて邪魔だから要らね!って返したっていうお話だったとしたら?!

 

磐座、つまり神を失った祭祀王からは力が失われてしまった

 

その磐座は出雲族が譲り受け守っているとしたら?

 

あぁ、やはり分かりませんでしたw けれど勝手な仮説はいくつか出来ました(*´ω`*)

 

 

まぁここまで語っておいて、、、ですが、最終的には記紀そのものがミスリードを狙って書かれたものであり、記紀の記述を解き明かすことで逆に本当に都合の悪い真実が隠れてしまうように仕組まれている可能性すらあるのです( 'ω')

 

 

巡拝を始めた頃は記紀を読み解き始めると御祭神の正体とかが気になってしまって、そうなると敵だった味方だったと純粋な参拝の邪魔になると避けていたんですよね

 

ただ、やはりこうして経験を積んで来たことで、真実は分からずともある程度の流れを推察して理解することでより近いところでご挨拶出来るような気がする

 

解釈が間違っていたとしても、その姿勢は見ていただけていると思うしなんなら正しい方向へ導いてくださるかもしれない

 

つまり、また新たなステージ(神社・御祭神)へと向かうことが出来るんじゃないかという期待を込めて(*´ω`*)

 

 

といったところで、今度こそ本当に 勝手に記紀考察 の結びとなります、ありがとうございましたm(*_ _)m

 

 

ー 結 ー