日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

江戸城西方守護 市谷亀岡八幡宮

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

というわけで、亀岡八幡宮です!!
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石段を上がり茶ノ木稲荷神社を過ぎると素晴らしい青銅鳥居、しばらく進んでもう一段上へと上がる石段があります
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向かい合って素敵な笑顔の狛犬さん、鳥居の内側には赤いベンチがあってのんびり空間が素敵です
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と、こちらに金刀比羅宮が鎮座されておりました
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御祭神は大物主神崇徳天皇でいつ勧請されたかは定かでないようですが海上守護として祀られたと考えれば目の前の外濠が内濠や東京湾と繋がり海上輸送が盛んだった江戸期と言えるでしょうか、大黒天とも習合されているそうです

 

そうか、そう考えれば上の境内ではなくこの場所であれば外濠が見渡せるんですね

 

 

さぁ、階段を上がると、、、あぁ、素敵な広い境内ですね(*´ω`*)
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と、先客がいらっしゃるし右手に境内社も見えるのでそちらへ先にご挨拶(^^)

 

そうなんですよねぇ、参拝順を主殿が先か境内社が先か通る順番かはその時の感覚や流れ次第にしていますので、今回のようにここはまず主殿にご挨拶だと決めていても自然と境内社から導かれたりするんですよねぇ

 

こちらは出世稲荷神社さんですね
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おっと、お社の写真を撮っていなかったようですがとても質素ながら存在感があって、背筋のピンと伸びるような素晴らしい御神威を感じるお稲荷様でした

 

HPを見ると京都伏見の稲荷大神(宇迦之御魂大神)と書かれていて少し珍しい書き方と思ったら書かれている歴史にその理由がありました

 

この丘は元々茶ノ木稲荷神社を主神として数多くのお稲荷様が祀られ稲荷山と呼ばれており、「自分は伏見の稲荷大神じゃ! これまで以上に日参せよ!」という夢枕を見て自ら日参出来ない日は家来に代理させるなどするとどんどん出世して大名にまでなったので御礼に祀られた神社だといいます

 

あ、後述にします!!w

 

こちらが手水舎
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向かい側には百度石がありますが拝殿と近いのでもしかしたら石段下から移設されているのかもしれませんね

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あ、いや、別に近くちゃいけないってこともないのですがこれほどの神社で長い石段があると、っていうイメージですw

 


そしてこちらが雄大な存在感の拝殿です
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御祭神は誉田別命、気長足姫尊、與登比売神の三柱

 

誉田別命応神天皇、オキナガタラシヒメは神功皇后の別称ですがヨトヒメ?と調べてみると応神天皇のお后様でらっしゃいまして仲姫命のことでございました

 

創建は1479年、道灌により江戸城西方の守護として鶴岡八幡宮より分霊を勧請し、鶴亀から亀岡八幡宮としたそうです

 

当初は市谷御門内に、外濠が完成すると外郭に、そして茶ノ木稲荷神社の境内へと遷座されてきました

 

うん、、、これぞ八幡宮!!といった雄大さのある気持ちの良い御神域ですね(*´ω`*)

 

なんでしょう、八幡様はほんと、広く大きく強さもある優しさで包み込んでくれる雰囲気の神社が多いですね

 

そして、、、これは!! 拝殿の後ろに外殿内殿が二棟並ぶ八幡造!
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旧社殿は東京大空襲で焼けてしまった為に戦後の再建だそうですがいやいや美しいですね(*´ω`*)

 

いやー、、、ほんと、気持ち良い

 

八幡様の社殿周りに居ると凄く落ち着いて心身を委ねられるので大好きです

 

社殿左手前には力石が並んでおり、その左は車路、右奥は裏参道になっていました
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とっても穏やかな心地に浸りつつ暫しのんびりしていると百度石の裏側に曼珠沙華が一輪咲いていました(*´ω`*)
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はい、それでは出世稲荷です

 

大名にまで出世したという侍は武蔵国稲荷山大明神縁起に実名が出ているというので読んでみました、その名は粟津民部豊重

 

調べてみると出世稲荷関連ばかりが出てきて大名絡みの記載が一向に見当たらず調べていくとこれがまたなかなかに決定的な私の歴史勉強不足が発覚したのである

 

いや、お恥ずかし限りなのですが、ここまで導かれたのも お前それくらい知っとけよ、、、 ってタイミングだったんでしょうという前向き思考で恥を晒していきますので長くなります(*´ω`*)

 

まずまずまずの大恥な思い込み、江戸城は徳川の築城じゃなかったの巻!!

 

もうね、ほんと恥ずかしいですね、ですから築城を主導し各地に神社を置いた太田道灌は徳川家の家臣だとばかり思い込んでおりました

 

家康が入る前の江戸は扇谷上杉家関東管領として収め、千葉氏に対する為に家臣であった道灌が築城した平城に始まり拡張されていったのが江戸城だったんですね

 

道灌は家康が入城する100年も前に亡くなっていました、いやはや

 

さて、話を戻しましょう、粟津民部豊重は扇谷上杉家の筆頭とも言える家臣ですからその家臣団についても記述が、、、と思ったのですが道灌の主な家臣にその名は出てきません

 

その代わりに出てくるのが出世稲荷なのですが、なんと複数社存在するのです

 

1.亀岡八幡宮境内の出世稲荷神社

  伏見の大神を夢枕に見て出世した為に豊重が祀ったとされる

 

2.余丁町出世稲荷神社

  山城国稲荷大明神霊夢を見た豊重が報告すると道灌も全く同じ夢を見たとして祀られ、粟津稲荷大明神と称されたこともあった

 

なんと、もう一社豊重絡みの出世稲荷神社が存在し、しかもそちらは山城国稲荷大明神の夢枕だというのです、さらに道灌も同じ夢を見たと!!

 

この通りであれば一介の侍であった豊重が出世を続け、遂に道灌へ夢枕の報告が出来るくらいまでになっていたと考えられます

 

まぁ、御神威を大切にされた道灌ですから家中にお告げを受けた者が居ると聞けば呼び出して話を聞いた可能性もありますが、邪推としては道灌の夢枕を聞きつけ「私も見ました!」的なゴマすりも考えられるのですがそれは他の誰でも出来たでしょうから、ここは伝承通り豊重から報告したと考えて良いのではないでしょうか

 

大名、というのはちょっと言い過ぎかもしれませんが同じ夢枕を見たことにより神社勧請を仰せつかったのであればそこでも出世の階段を上がったと言えるでしょう

 

いやはや、出世稲荷で豊重が本当に大名になっていたのか調べようとしたら道灌と江戸城の歴史を正しく知ることに繋がりました(*´ω`*)感謝感謝

 

 

さて、漸く二年越しの亀岡八幡宮参拝でしたが、うん、時ここに満ちたりという感じで素晴らしいご挨拶が出来ました(*^^*)

 

この後、本当は少し離れた西へと移動してもう一社ご挨拶する予定だったのですがここまでの素晴らしい参拝と度々の"お印"、そしてこの八幡様で満足してしまって次の楽しみに

 

じゃぁ時間もまだあるし近辺でもう少し、、、いや、帰ろう、余はもう満足じゃ←偉そう

 

その判断たるやまさかのドンピシャ、予報では18時以降というので全く考慮していなった雨雲がすごい勢いで迫っていたらしく、最寄り駅へ到着すると空には黒い雲が広がり青空は無し

 

いそいそと帰宅して洗濯物を取り込み、ささっとシャワーで汗を流して部屋に戻るとパラパラパラパラ、、、バラバラバラバラ、ザッザザーーーッと息も詰まるほどの土砂降り!!

 

いや、自分が濡れる分にはどうでも良い(財布などを守れるビニール袋をリュックに常備w)のですが洗濯物を守れたのは大きい!! あと20分遅かったらやられてましたね~

 

暫く降ったと思うと止んで雲の隙間から天使の梯子

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また真っ暗になって土砂降ったかと思うとまた天使の梯子
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うん、なんか過去に無いほどにのんびりしつつどの神社も凄く、そしてお印もあり満足感もありの素晴らしい一日でした(*^^*)

 

夏休み(参拝のw)を経てちょっとバババッと集中して巡拝し過ぎたので暫くはのんびりしようかな~と思いつつ秋の気候は歩き回るのに最高なんだよな←をぃ

 

ま、秋雨もあることだし、休みと天気と気分の兼ね合いですね(*^^*)