どうも、ひのきですm(*_ _)m
突然の巡拝遠征シリーズ、越国篇、開幕!!(´◉ᾥ◉`)
始まりはこちら、天津神社・奴奈川神社です!!
※ 勝手に記紀考察よりも前に下書きしてあった記事でここからの3日間が考察のキッカケになりました
旅行記的なものは次の記事に回しまして、急遽やって来ました糸魚川、駅から南へ10分ほどの距離に鎮座されています
長閑で水の気がとっても溢れた素敵な町は始発で来たお陰か人も居らず空気も素晴らしく良いお散歩です
なんとなく分かりやすいからとマップも閉じて覚えていたナビ通りに区画をぐるりと東から南へまわりこもうとしていた北側の途中
うーん、、、気になる、、、激しく気になるけれど違う神社かもしれない、えぇぃ、感覚に従えというのが今日の神様カードの天啓、行っちゃえー(ノ゚ο゚)ノ
前日の雨で濡れた草の道がとっても心地よい
すると正面に手水舎、右手に鳥居の参道へと出た
おや?こちらはあれかな、隣に鎮座されているもう一社の神社さんかな? と進んで抜けたところは、、、天津神社!!
この近辺の清らかな気が凄い!! この木なんて太い切り株の真ん中から素敵な木が(*´ω`* )
右手は庭園のようになっていて(社務所もこちらにありました)こちらは千代の松
そして忠魂碑となんとも凄く力強い木
おや? なにやらそら豆のようなものが大量に、、、あれ? 藤棚だ
今まで知らなかった(というか意識していなかった)のですが、藤はこんなにも立派な実を着けるんですね! ただ調べてみると藤の実は有毒で食べるのであれば加熱必須、それでも食べ過ぎるとお腹を壊すそうです( ̄▽ ̄;)
ふー、、、なんの変哲も無い?ちょっとした庭園というか広場というか、なんですが物凄く素敵な気のある場所です
さて、社殿正面を一旦出て改めまして
扇形の水鉢が脇に置かれています、どことなく一宮ともされているこの規模の神社にしては質素な正面参道?
ちょっと不思議な感じです、収まりきらず二枚に分けて撮りましたが左手の建物は背中向き
右手、というかやや正面の建物も背中向き?
というか何の建物かよく分からないのですが社殿との間に謎の石垣
社殿側に扉などがあるかと思ったら壁だけで何の建物なんだろう、そして石垣はL字型
こちらの建物は衣紋所のようです、こちらで神職様方が神衣を整えられるのでしょうか
それではいざ、、、!! いやー素晴らしいですね、この広々とした境内が大きく茅葺の拝殿と素晴らしくマッチしています
天津神社・奴奈川神社の拝殿
静かで風の音、鳥の声だけが聞こえる中、太陽の温かさが心地よい、茅葺き屋根を見上げているとタイムスリップしたような感覚に陥ります
あれ? 拝殿内にも正面に天津社の社号が掛けられていますが左にも奴奈川神社の社号、さらに右の小さな住吉も社号であれば住吉三神も合祀されていることになりますね
素晴らしく圧倒される、でも落ち着きのある拝殿はとっても心地よいのですが何か落ち着かないというか、しっくり来ない
茅葺き屋根を見上げつつ社殿を回り込むと背後に本殿が鎮座されていました、そういうことだったのかっ
左手が奴奈川比売命を祀る奴奈川神社、八千矛命(オオクニヌシ)も合祀されているそうです
天津神社には天児屋根命と天太玉命も合祀されているそうなのですが住吉さんも含めこちらの御本殿に併せ祀られているのか拝殿内に祀られているのかはわかりません
心が無になる素晴らしい境内、、、ずっと居られる、、、
ただ、静か、鎮守、という空気が流れているのですが期待値が高すぎたのか参拝で風は来たものの特別と言い切れるものではなく、ただ、心地良かった、それだけでした(それ、重要ですけどね)
社殿右後ろに境内社
左手に石碑のような石があるのですが文字は読めず、石祠と共に武士のような石像が左右を守っていらっしゃってとても不思議な雰囲気です
ちょっとこちら側は仏教色があるかな?とこちらの朱の社を覗く
なんとも仏教という風でもなく神社という風でもなく、いや、でも神社なんですが、と思っているとこちらに口代が
子聖大明神と書かれています、腰に良い、、、腰、、、腰!! おいらまさにいま腰を療養中でございます!! なんとまぁありがたやありがたや!
こちら、良く他のお社とかで草履が奉納されている子之権現様でらっしゃいますね(*´ω`*) 武士のような石像も権現信仰絡みでしょうか
うーん、素晴らしい境内
この後はひすい探しが待っていたのですがそちらを急ぐよりもこの穏やかな気に触れていたい、そう思わせる素敵な神社です
境内北東の端に、、、あれ?狛犬さん達が背中向き? どゆこと?
見えていた建物は神社ではなく神楽殿?のようです
その正面にも参道が続く、、、あっ、これはっ
状況を察して歩いていくと由緒書きがありました
景行天皇の御代、西暦300年頃の創建とされていてどちらも延喜式に記載があり天津神社は一之宮だったとされているようでここの地名も一の宮となっています
なぜヌナカワヒメとニニギが共に祀られているのか不思議だったのですがこちらの説明を読む限り、崖崩れにより山崎の地から天津神社が遷って来て元の奴奈川神社よりも社格が高かった為に主座に座られたようですね
こちらの神社さん、コロナ禍が落ち着いた(という書き方にしておきます)今でも賽銭箱に御朱印は当面書きませんと張り紙していたり、一之宮です!!と言うのではなく言われているに留め、一宮会にも所属してないという
そして思い込みかもしれませんがこの説明からは本来ヌナカワヒメをお祀りしていた場所だったのに、という気持ちが見えるようで見方によってはちょっと風変わりというか頑なさが見て取れるのですがそれはこの地の大切な姫神に対する深い信仰心のように思えてなんか勝手に凄く嬉しい気持ちになりました(*´ω`*)
そう、ヌナカワヒメの子 タケミナカタは天孫族においやられたのですからその母の前で直接対決はなくともニニギが主として祀られているというのは決して気持ちが良いものではないでしょう
一宮会に属さず、一宮ですとは言わずそう言われています程度に留めているのもそのあたりが絡んでいたりするかもしれないなぁ、なんて思ってみたり
まぁ、、、神様は皆手を取り合ってこの国を守ってくださると信じていますけどね(*^^*)
あ、勝手な想像ですから!!
境内の素晴らしい空気は紛れもなく、居心地も最高でほんと素晴らしい神社だと思います(*´ω`*)
逆に、一宮という名にのっかっていけばもっと参拝者も多く人気を出すことも出来よう感じですがそういったところに媚びることなくこの素晴らしい神社を維持されているのはとても素晴らしい
越国にはヌナカワヒメの伝承が数多残されている、そこで気になるのは攻めてきたオオクニヌシに夫が負けたとか娘を娶ると聞き父である土地神が戦いオオクニヌシに負けたという話
出雲を治めたオオクニヌシは6人の妻が居るという、それはどういう事か、つまりは国を大きくするために攻め込み、その地の姫や后を妻とした
攻められ負けた方としては滅ぼされても不思議はないが、主無き後、姫や后が新たな王(征服者ということにはなりますが)の子を産み国を任されたのだとしたら、それは確かに属国化ではありますが
相手を滅ぼすとなれば相手には甚大で自分側にも多くの犠牲が必要になりますが直接対決で王を負かすだけであれば最低限で済む、上手く行けば命は取らずに済ますことも可能、残された姫を妻として地位と国の存続(属国化)を保証すれば国の人々も蜂起はしない、そして双方の血が受け継がれる
オオクニヌシは出雲を拠点に各地を転戦するので越国の実質トップはヌナカワヒメということになるのです
まぁ気になるのは伝承の中に逃げて身を投げたとか命を落としたといった話も多く見られるところですが、都合の良い解釈をすれば戦に負けた側の姫の末路としてはよくある話とも言える気がします
ヌナカワヒメの子がタケミナカタという伝承は出雲、越国、そして諏訪と関連する三国に共通するので信憑性が高いと言えるのではないでしょうか
さらに個人的には、姫の像がやたら姫姫しく美麗に作られていないところがとても親近感あって、美人では無いという伝承もあるようにリアルな感じがしてとても好きです(*´▽`)
由緒書きからもう少し進んで振り返るとこうで
立派な手水舎もあり
池もあって石祠は水神様か厳島様でしょうか
お手本のように亀も休んでおり
そうなんです、こっちが正面参道だったんですw
立派な橋もありました
社殿正面の北参道に駐車場があるので皆さんそちらから行かれるんでしょう、駅から行かれる方は右(西)側から行きましょうw
すぐ脇には苔草に埋もれた橋、その先にお社が見えます
鬱蒼という言葉がこの上なく当てはまる雰囲気
真夏であれば入ることを躊躇するほど(蚊w)
こちらは清﨑神社、御祭神は松平直堅
この辺りは堀秀治が築城したともいわれる清﨑城があり、松平忠輝の家臣 信宗が城主を務め、信直が継ぐも改易となりその後は越前松平家、さらには、、、あれ? 直堅公は?と思ったら糸魚川松平家の祖とされているようなので信宗か信直が祖先を城の鎮守として祀ったのでしょうか
城は改易により次々と城代を変えた後に幕府に接収され最終的には藩の天領となり廃城、藩庁が置かれ今の市役所となっているそうです
城代変われど神社ということで廃されることもなく関係者が居なくなり天領となっても廃城されても神社は残りといった感じでしょうか
管轄が糸魚川市であればもう少し手を掛けそうなものですから個人管轄のまま手も入れられずといった感じかもしれず状況としては少し寂しい気もしますが、、、でもここ、物凄く良い気に満ちています
なんでしょうね、鬱蒼とはしているけれど光も差し込むしとても自然と一体化いている、いつ建てられたかわからない古さの社殿もボロいということもなくまさに木々と一体化して美しい
それこそ、タイムスリップして江戸時代に立っている気分、すぐ後ろに馬が来てもおかしくない雰囲気です
うん、わたし、ここ、好きだな(*´ω`*)
というわけで、駅から向かう方は糸魚川市役所北側の ひろば亀ケ岡 北側の細道を入っていきましょう、そちらが正面参道です
こうして過去最大規模となる自分虐めの旅が幕を開けたのでありましたが、この穏やかな参拝の中、そんな旅になろうことをこの時の私は想像もしていなかったのである
え? 暫く大人しくするって話はどこいったって?
ほんとですよねー!ゞ(≧ε≦*) 爆笑
自分が一番そう思ってます!!
でも!! ちゃんと前回から3週間弱は空けましたよ!!←?
という事で10月某日の夜半、突然のキッカケにより海の癒しと翡翠を求めて糸魚川へ行こうと思い立ち、調べてみるとなんと沼河比売が祀られている神社が目と鼻の先に!!
そう、実は暫く参拝を控えていた三週間弱の間は勝手に記紀考察へと没頭していた時期だったのです、それが一旦まとまり、さぁどうしようか、、、というところでのこの導きはもう行くしかない、いや、来いと言われているとしか思えない
だって何故か、最初マップには奴奈川神社だけが表示されていて天津神社の名は出てなかったんです!! 開いてみて、あれ?となったわけですが、天津神社だけが表示されていたら今回の旅自体、即決していなかったかもしれません
決意したのは深夜で予約システムが止まっていたため翌日急ピッチで旅程を考えて五日後の予約を済ませたのでありました、いやほんと、我ながら急過ぎる
次回、糸魚川で翡翠探しに挑戦!! を挟んで越国巡拝記事が続々と続きまーす( *・ω・)ノ
...続々と?