どうも、ひのきですm(*_ _)m
実は前回の記事に併せてしまおうと書きながら調べていたらボリューミーになってしまったので記事を分けることにしました
それがこちら、日光社
日光といえば東照宮ですがさすがにこの地にそれは無さそうなのでどういった神社かと楽しみにしていました
正面には、、、えー、、、と、、、左に庚申様、右の石碑は二十三夜塔
庚申様がいらっしゃるのかただ山の上の集落に繋がる参道なのか、もしかしたらお寺とかに続いていたり、、、(そういえばこの辺りでお寺っていうお寺を全然見ていないな)、、、うん、時間的にも足的にも上は勘弁! ぐいぐい呼ばれる感は無いし!!
その場でマップを調べることなく感覚だけに頼ったところが我ながらいかにも自分らしいw 今調べてみるとやはりお寺に繋がっていました
写真を見ると凄く池が美しく、パッと上がってパッと見るだけでも行っておいて損は無かったなと思う反面、それをしていたらこの後に差し支えたかもしれないと考えるとあの時には最上の選択だったのでしょう
川なのか用水路なのか、短い石橋を渡ります
石碑には、、、? 八木山薬師如来? あぁ、大日如来さんだから日光社だったのか!! とこの時は短絡的に考えていました
神社やお寺では特に、鳥居だけでなく境内や前にある橋は神域を分ける場所で浄化の場所でもあるので必ず一礼、立ち止まらずとも会釈だけでもすると良いと思います(*´ω`*)
見た目は神社らしい神社ですが空気感はやっぱり違う
そういえばここに来てちょっと神社らしき神社が増えてきたけれど半数は寺院っぽもんね、と鳥居を潜って真っ先に引き寄せられたのが境内右手
こちらは完全に雰囲気が違う、あ、いや、日陰だからとかそういうことじゃなく、お社からの空気感と圧が圧倒的にここだけ違う感じがするのです
石碑に文字が刻まれていますが肉眼では読めず、写真に収めておいて後で調べることにしました
既に如来さんというのを見た上ではありますが、実に御堂らしい御堂でお寺や権現さんらしい雰囲気、額もとても美しい
そういえばよく分かってないな、と調べてみると神社では扁額や神額と呼びますが寺院では寺額や山号額というんですね
いやぁ、日光という名に相応しく東側は山ですが南から西へとずっと陽光に照らされる素晴らしい境内でとても落ち着きます
すーーーっ、、、はぁーーーっ、、、うん、チャージ(*^^*)
疲れもあって思考が伴ってなかったのですが、そしてまぁ神社毎に素晴らしい境内の氣でチャージ出来ていましたが、お寺(系神社)なのに心身を鎮めるだけでなく強くチャージが出来ていたのは薬師如来さんだったからというのに今書いていて繋がりました、そうか、そういうこともあるのか(*´ω`*)
さぁ次を目指すぞっ♪ 次の神社までは25分となかなか長いのでちょっと勝負だぞ(´◉ᾥ◉`)
というわけで調べてみました
まず八木山に見えていた 八木 の文字は 米 だと気付きましたw
ここまでの神社でいくつかの 米山塔 を見てきてはいたのですが なんだろう? 程度で理解には至っていなかったのでこうして改めて見直してからじゃないと繋がらないものですね
そしてわかりました
あちこちで見かけた米山塔、それは柏崎市と上越市に跨る米山を御神体とした山岳信仰で薬師信仰と習合して日本三大薬師(越後、伊豆、伊予)のひとつともされるものでした
そして薬師さんなのになぜ日光の名がつけられているのか、その明確な答えはわかりませんが、調べてみると薬師如来は病気平癒心身健康と世界の災禍を消す仏様で大日如来は密教における仏様の最高位で全ての仏様は大日如来が変化した姿だとされているようです
というか仏様は全般を指し、その中で最高位が如来、続いて菩薩、明王、天となる事を今更知りました(´・ω・`)
まぁこの辺りは宗派によって見解が違ったりするでしょうからこの程度で失礼しますm(*_ _)m
そして境内右手の石祠の石碑、やっぱり写真って便利ですね、拡大して見ると石碑には左に諏訪大神と読めましたが右が 伊〇〇子大神?
こういうのが一番辛い(>_<) 中抜けで検索してもなかなか正しい結果が出ないんですよね、、、い・・こ、、、いーーこ、、、い..こ、、、わからん
い、、こ、、、、、長岡、、、新潟、、、いーーこ、、、いやひこ
い や ひ こ !!!
調べるとビンゴ!! 越後国一之宮 弥彦神社が現在はヤヒコだけれど元はイヤヒコだと言うことを知っていて良かった(*´ω`*) そして漢字では伊夜日子(比子)と書かれます!!
御祭神は饒速日命を父に持ち越後の祖とされさらに多くの氏族の祖としても祀られる天香山命です
おっと、ここでイヤヒコが祀られているということは、やっぱり手前で参拝した一之宮社の御祭神が天香山命だった可能性もあるということですね、ただお社から受ける氣はあちらとは全然違いました
なんでしょう、いつもながらほんとに不思議なものですよね
寺社での違いを簡単に分ければ、御神威の圧を感じる神様と慈しみを感じる仏様の違いなのですが、当然ながらその中にも慈しみに満ちた神様もいらっしゃれば覇気の強い仏様もいらっしゃる
そしてさらに慈愛に満ちているけれどその大元に御神威のある神様、覇気に満ちているけれどその元には慈愛を感じる仏様もいらっしゃるわけで、ほんともうこれは感覚でしかないのでなんともいえません( ̄▽ ̄;)
ただ、巡拝を続けてきた中でそろそろ下調べをしっかりしてから参拝を、なんていう方針を考え始めてはいたのですが、今回の旅を通して、やっぱり私はそれはやめておこうと改めて思いました
勿論、下調べをせずとも境内に入ればすぐに先入観へと繋がる情報がどんどん入っては来ますが、少なくともそういった情報よりも先に境外から感じる雰囲気が基準となってくれる方が私にとっては大切です
人によっては、意味も分からず挨拶しても意味が無い、失礼だと感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、私としては、純粋に神様仏様の個性に触れることでその後に調べる意欲理解に繋げたいのです
まぁハッキリ言えば、先にオベンキョウした上で参拝するとその辺の情報はただの情報でしかなく、頭にも残らないし感覚と繋がらなくなって結局私にとっては身にならないのです
さて、太田川巡拝もここから少し川から逸れるので名前を変えようかとも思ったのですが最終的にまた近くに戻るのでこのままでいくことにします
そしてここからがより濃密になっていったのである
へぎそばを食べ下山を開始してから1時間半が経過、日没まで残すところ1時間半で残す行程が3分の1であれば余裕だと思うでしょ? いつもの私的にはなんてことない距離と時間なんです
でも、ふくらはぎから膝裏、太ももの石拾い筋肉痛は度重なる階段でさらに進行していたし、加えて足裏、踵、足首までも痛みが始まっていたし、ここからは一社一社の距離がちょっと長くなる、そしてやっぱり太陽がどんどん低くなっていくという時間に追われる視覚的切迫感
心が折れかける
ここで奥へ行かず最短コースを行けば間違いなく時間には間に合うし距離的にも楽になる、どうする、(あい〇る)←うるさい
とすぐにやって来た分岐点を、、、私は予定通り全てを巡拝する遠回りの道へと歩き出した
そう、、、勢いで何気なく組んだこの旅は修行だった、修行なんだ
この場所へ同じような参拝にもう一度来ることは難しい
折角ルート作成で引き寄せられたならば、そこはスルーしてはいけない、だってここまでご挨拶してきた神社さん全てが素晴らしかったんですもの
ぶっちゃけね、こうあっちこっち参拝しまくっていると、素敵なんだけど おー、そうかー っていう特に何も感じないところもあるわけです、規模の大小に関わらず
勿論、それでも出来るだけ様々な神社でいろいろな感覚を受けるというのが目的なのでそういった一社一社も大切な巡拝なんですけどね
この先に予定している神社さんもきっと、私にとって大切な何かをくださる場所である、そう信じて、いや、確信して、私は歩く!!(大袈裟)
すみません、当時の葛藤と覚悟が鮮明に蘇ってしまいましてw