どうも、ひのきですm(*_ _)m
能登北陸巡拝二日目、最後の参拝地となりました
それがこちら!! 越中國一宮 氣多神社です!!
さぁ、今回の能登巡拝を続けてお読みくださっている方ならばおわかりでしょう...なんて情報量が多いんだ! と
そう、七尾に氣多本宮、羽咋に氣多大社、そこまでならまだわかるけれど県を跨ぎその二社と三角形を作るように三社目の氣多さんがある!
さらに越中國といえば高岡射水さんが越中総鎮守一宮、二上射水さんが越中総社で元(元祖?)越中國一宮にして名神大社説、そしてこちらの氣多神社も越中國一宮で名神大社
いったいどーなってるのかっ?!?!
という事は勿体付けて後述とします←をぃ というより、そもそもの参拝理由にはこれらの事情は一切含まれず、たまたま能登で二社参拝した氣多さんがこちらにもあるということで折角ならばと選んだだけですw
なので、参拝時には関連性も何も全く情報無しの状態だったその時のままに感じた事を記し、その上で他二社で調べた事を踏まえてこちらも調べようと思います
伏木神社を出た所で急にナビよりも一本北側の道を歩くことにしました、理由は全くわかりませんがいつもの思いつきというかお呼ばれしたというか
するとその道、ひらひらはためいている幟は目の前のお寺さんのだろうと思っていたのですがよく見れば気多神社と書かれている
ここからまだ徒歩15分ほどあるのに既に幟が出ている?! しかも、ということはこちらが表参道!! 謎の思いつきがナビを無視して主道へと導いてくれたのでしょうか
歩き始めるとすぐにバッサバッサとカラスがやって来て前方のすぐ脇に降りこちらをじっと見る
おや? お前さんまさか高岡城跡での? 待っててくれたんかい?ってさすがに二上じゃなくてこっちってこたぁねぇよなぁ
と近付くと再び飛び去っていった、まぁ偶然やね(*´ω`*)
そしてもう少し進むと、、、おぉ?! これは、、、結構力入れてお祀りされてる?!
続いてこちら、越中国分寺跡だそうです
ナビ通り歩いていたらいろいろスルーしてたかもしれない(実はそっちの道にも何かがあったのかもしれないけど)
続きまして人っ子ひとり居ない道で急に出くわした余所者に驚き固まるにゃんこさん
不思議だよね、都会だと見知らぬ人を見れば完全に逃げていくのにこういう所の猫ちゃんってちょっと距離をおいただけでまるで存在しないかのように背を向けて毛繕いや思いっきり寛いだりする
そして、にゃんだまだ居たのか?! と少しビックリしつつこちらを伺うけどまた直ぐにどうでも良さそうに寛ぐ、ただし近づくとほぼ必ず逃げるw
それが分かっていたので じゃぁね~ と先へ進む、そして
わぁぁ、桜と山上へと続く参道が綺麗だぁぁぁ(*´ω`*)
...結構登るのか..._| ̄|○ il||li
そうだよ、夜明け前に起きて雨の白山さんからここまでおにぎりひとつで動き続けて来たんだった( ゚∀ ゚) にしてもなんでこんなに元気なんや? まぁその答えは巡拝が物語っている、と言うほか無いのですが
参道を上がる手前に凄く素敵な手水舎が、と思ったら気多神社の清泉となっています!!
滲み出すという言葉がぴったりに穴の奥からぽたりぽたり
汲み上げられているであろうこちらも凄く雰囲気が良い!!
この苔がたまらねぇぜ(*´﹃`*)サスリサスリ
というわけで持ってきていた長良川の水がちょうど空になりそうだったのでしっかり汲んで帰りました(*´ω`*)
それでは、、、いざ!!
そういえば石段の下には鳥居が無かったのでこちらが一の鳥居かな
なになに? 氣多の杜? 高志のみはらし? どーゆーこっちゃ
まぁまず参拝へ、、、と思ったけれど気になる、それに階段で少し疲れたので寄ってみるか、と思ったら...
うわっ、、、うわわわわわわっ!!!
参道の途中からも海は見えていたけれどそれよりもっっっっ
なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁあああああああああ(絶景!!)
凄い、、、凄すぎる...知らずに来たのが恐ろしくなるほど凄い
はー、、、おっ?! 気力体力がまた戻った!!(単純)
では、参拝に戻ります!! ってもう凄いな、最高の氣に満ちている
海も大好きだけれど緑も大好きな私、これだけ緑に囲まれれば最高なのは当たり前ですが、それ以上の何かがここにはある
凛々しい御神馬さんは前田家の梅鉢紋
凄いなぁ、、、全てが美しいなぁ、、、
こういうのですよ、こういうの、もうどんぴしゃにツボ
そしてこちらが御社殿、、、美しすぎんかっ?!
いやー、、、物凄い癒しの力、凄くウェルカムな氣に満ちていて、勿論それはこの見た目や木々の力もあるとは思うのですが空気自体が凄く歓迎してくださっている感に溢れているのです
なんなんだこれは!!
大己貴(大国主)様は勿論のこと各所でもご挨拶させて頂いていて今現在の私の氏神様でもいらっしゃいますから好きですけれど今まで参拝したどの神社よりも凄く温かい氣を感じる?!
と周りを見ると一枚の紙が
八千矛の 神の命は ... あ、聞いた事あるやつだ(*´ω`*)
こういうの、実は普段ちゃんと読まないんですけどこの時はなぜか下の説明まで読んだんですよねぇ、不思議ですねぇ
ん? 大己貴命と奴奈加波比賈命を祀っております?!
んぁぁぁぁぁぁぁああああ!! ヌナカワヒメさんいらっしゃった!
それぞれ特徴があるというのに三社目の氣多さんだからと思いっきり油断して調べてなかった!!!
そうか、、、ヌナカワヒメ様だったから、そして夫婦神でいらっしゃったからこの凄い温かさだったのかぁ...勝手ながら凄く腑に落ちた(*´ω`*)
こちらが御本殿ですね(*´ω`*)
参道を振り返るとなんと美しいことでしょう
そしてこちら、不思議ですよね、こういうのはやっぱり読まずに写真だけ撮るもんだから見られたはずの弁慶の拳跡は気付かないままなんですw(足跡は本殿らしい)
美しい桜と神輿堂
そして脇へ進むと大伴神社、その名の通り越中國守だった大伴家持が御祭神で1985年に有志によって祀られたそうです
参道途中に別の道があるな、と思ったのが大伴神社の参道でした
そしてこちらが黒部川、射水川、岩崎鼻からの石を並べた越中三賦象型石、好物好きには結構ぐっときますね(*´ω`*)
この角度からチラリ見える社殿も凄く綺麗だなぁ
本日最後の参拝とあっての~んびりと素晴らしい境内をひとり占め
ん?なんだろう、何か遷座跡とかかな、と近づいてみると
越中國総社跡だったんだ!!
とこの時はちゃんと読まなかったのですが、その伝承があるということのようです
いや、でも一宮があって見晴らしも良くこれだけの素晴らしい場所であればその可能性は大きいですよね
というわけで、最後にもう暫く、、、とこの絶景を堪能
いやー、、、ほんと、凄かった、来てよかった
その帰途、、、あ、ツバメさん
あっ、失敗(>_<)
おっ、また真上に来た!!
また失敗(>_<)
やはりスマホで飛ぶ鳥を綺麗に写すのは難易度が高い...
帰りのバスはやや遅れで到着、のーんびり乗っていて、、、ツバメかと思った車内シートの柄を良く見ていたら、、、カタクリだった?!
隣をドラえもんの凄い可愛い路面電車が走っていて撮りそびれたのですが、なんでかと思ったら藤子・F・不二雄先生の故郷だったんですね!!
高岡からあいの風とやま鉄道に乗り東へ、うーん美しい
そしてやって来た街は、、、うわっ、うわわわわわっわわわっ!!
なんて贅沢な眺めなんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
翌朝は山が雲に隠れ見えなくなっていました、朝も見たかった~
この後の夕飯がいつもの飯テロになるわけですが、この記事は高岡ですし次にこの地の神社記事を書きますのでそちらで(*´ω`*)
では御由緒です!!
公式では、718年に行基により創建されたという説と760年頃に能登より勧請されたと2説を紹介していますが、略史の方では732年に能登より勧請、さらに757年にも能登より勧請、さらに一説として718年に行基が開基と3説が記されています
氣多三社において七尾本宮は前200年頃の創建で羽咋へ分霊した、羽咋氣多では前90年頃の創建としており、その関係性や真偽はさておき高岡氣多とは800年以上も間がある
また、717年に行基が勅令により創建したとされる二上射水とはとても近いため翌年にこちらも開基したとも考えられなくはないが、その場合、その時既に北陸の大社として奈良でも有名だった氣多と同名同様に創建するとは考えづらい
そこで能登國の歴史を見てみると、718年に越前から分立、741年に越中へ併合、757年に再び分立という歴史を辿っています、となるとぴたりと合うのが757年ということになります
私なりに整理するとやはり、能登が越中に組み込まれていた氣多が757年の分立により一宮喪失となったため、遥拝所があったとされる現在地へ分霊を勧請し引き続き越中一宮としたというのが自然な気がします
特に、これは私の勝手な私見ですが元は沼河比売を祀る神社でその境内に遥拝所があり、そこへ氣多が勧請され逆に沼河比売が合祀されたのではないでしょうか(遥拝所だけがあって氣多勧請と共に沼河比売も勧請(合祀)されたのかもしれませんが)
また能登が分離した際に二宮だった射水神社が一宮への昇格を主張、しかし元一宮より勧請された氣多神社が一宮を継承しているという、所謂一宮争いが起こり最終的には氣多が勝利(?)したというのが主流のようです
なお、越中一宮としては他に82年創建で大国主を祀る南栃市の高瀬神社、701年創建で伊邪那岐(阿弥陀如来)と天手力雄(不動明王)を祀る立山の雄山神社もありなかなか混乱しますが全てが一宮会に所属しているそうで各々の主義主張を尊重されているのかな?という感じがします(その実はわかりませんし掘りません)
またこういったケースの時にはいつも書いていますが、古いから良いわけではない、格が上だから良いわけではない、ただしその歴史背景的にも格に拘らざるをえない事情も確かに存在した、それは見栄や名誉だけでなく社の存続に関わる、そしてひいてはその村、町、藩に暮らす人々の生活にも影響を及ぼしたので現代の感覚で一概に批判出来るものではありません
そういった背景を知らないままに参拝した私に言えることは、それぞれにそれぞれの魅力があり、そしてしっかりとした御神威が宿り、全てが素晴らしい参拝だったということだけですね
そしてこちらの高岡氣多神社においてはその御神氣素晴らしく私には物凄く居心地が良かった、そしてこれは立地的なものですが、氣多のみはらしも凄く感動的でした
感じ方はタイミングや相性によるところがかなり大きいので皆さん是非、実際に参拝していたきたいと思います(*´ω`*)