どうも、ひのきですm(*_ _)m
巡拝三社目はこちら、高田熊野神社です
凄くないですか? 境内だけがぽっこりと小さな丘になっているように見えますが左手は住宅地、右が道路で削られているからそう見えるだけのようです
枝に隠れつつ縦長の由緒板がありました
江戸期にはしっかりと境内が囲われていたのでそれ以前の創建としかわからず、御祭神は素戔嗚尊、伊弉諾命、伊弉冉命の三柱と書かれています
参拝には少々辛いですがやっぱり神社はこうして石段を登る参道だと凄く御神域感を感じますよね
そしてこちらが御社殿
失礼ですがポツンと残る神社なのでもうちょっと質素というか寂しい感じを予想していたのですがしっかりと祀られて御神域感も凄く引き締まっています
そして境内社、石段を上がったすぐ左手ですが社号標の社名が目に入って驚いておりました
大杉神社、勿論御祭神は倭大物主櫛甕玉命でこちらは大国主命と少彦名命も合祀されているようでこちらは茨城のあんばさま?!から分霊されているようです
なぜそんな遠回りをしてまで追加したのかわからない二社、どちらにも倭大物主櫛甕玉命が祀られている
この日の巡拝ルートの基準に定めた神社の御祭神は大物主命です、そして大物主について調べている時にいずれ参拝しなければと思った神社のひとつが "あんばさま" だったのでまさかこちらでご挨拶出来るとは
凄いな、偶然偶々がちゃんと意味を持ちしっかりと結ばれていく
写真は撮り忘れたようですが振り返ると街が見渡せる素晴らし場所ですね
社殿をぐるりと回らせていただく、歩けそうであれば出来る限りお背中からもご挨拶させて頂いています
本殿右手側へ来ると石碑が並んでいました
天神宮、香取神社、日枝大神、六所神社、月御前?、〇〇〇明神(読み取れず)、梵字?仏様?、山神、山神宮
天神宮は道真公かとも思ったのですが調べてみると少彦名命が祀られる神社である可能性が高いでしょうか、経津主命、大山咋命、六所以降は不明で山神は大山祇命でしょうか
うん、とても涼やかで厳かさもある素敵な神社さんでした(*´ω`*)
私、勘違いしていたんですよね、熊野神社御祭神などで検索すると諾冉ふた柱が出てくるし実際の神社でもそうだったり十二所権現とされている事も多いし八咫烏とされている場合も非常に多いし、となかなか複雑
つまりは熊野さんこそ様々な習合によって複雑化していて実態が掴めない神社の代表格と言っても過言では無い!!
と思っていましたがホツマツタヱによるスサノオの素行の悪さに責任を感じた母イザナミが創建したのが熊野宮がとすると主祭神はスサノオになるわけでイザナギイザナミは配祀ということになるわけで実際にそのように祀られる神社があるわけです
こちらの由緒にもしっかりと本宮大社の家津御子之大神=スサノオを主祭神として速玉大社の速玉大神イザナギと那智大社の夫須美之大神イザナミを併せ祀ると書かれています
また混合なのか名前の多さなのか議論もありますが、熊野神社の御祭神が櫛御食野命とされていることもありますが家津神子と同じくスサノオの名だと言われており、さらには〇〇大神として複数神を纏める場合にも組み合わせが違う事がより混乱を招きます
あぁ、熊野さんに関わらず私もきっと一般的な御祭神として記事を書いたけど社伝とは違うケースが多くあるんだろうなぁ...
前の記事でも書きましたが、社伝、兼務管理社、管轄神社庁、市区町村の役場と観光協会などで由緒などが統一されていない事も多いのでなかなか難しいですね
そして驚いたのはあんばさまから分霊が祀られていることですが由緒書きによれば江戸初期に関東一円と東北に広まったとされていますがこれまで都内を巡った中には記憶に残るような大杉神社は無く、当ブログ内のワード検索で表示されたのは栃木市大神神社と二上射水神社だけでした
二上射水さんの大杉神社は社殿前に杉の木が囲われておりその杉の神に宿る神を祀っていると思っているのですが詳細はわかりません
やはり東関東~東北に多いとすればそれは...
そして色々調べてみると創建には1578年平氏子孫による(ただし父を祀ったという)というものから周囲の発掘状況から奈良時代に創建された可能性もあるということで前者であれば父からなぜ熊野さんになったのか謎ですが兼務管理社は平安初期には祀られていたのではないかという説を採用しているようです
それでは、急遽追加ルートから元の巡拝予定へと戻り参拝を続けていきます!!
というわけで晒気記コーナーです
地主神社でだいぶ楽になっていたとはいえまだまだグジグジ感の抜けぬ状態ではありましたがそこから僅か10分弱の距離だったこともありこちらでも少し落ち着いた状態で参拝出来た気がします
次の神社までは徒歩30分とそこそこあるので若干不安だったのですが、地主さんの前ほどぐぢゃぐぢゃになる事は無く、それでもやっぱり自責念に脳を支配されながらの移動となりました
ここまでの時点でだいぶ整っていたのかもしれません、全肯定を終えている今思えば、やっぱり急遽ルートを変更しさらによく分からぬまま遠回りの二社を追加した事には大きな意味があったとしか思えません
そしてこの二社に共通するのが倭大物主櫛甕玉命であることちょっと偶然とは思えない、いや、思いたくないだけかもしれませんが
そして面白いものですね、天気予報通り早朝こそ晴れ間も僅かに見えていたけど分厚く黒い雲がどんどん空を覆いはじめていたはずなのに地主さん辺りから雲間の青空が増えていって次の神社に着く頃にはもう東の空が晴れていました
これこそ偶然でしょうけれど、こうして記事を書いていると天気とその時の精神状態が全く一致していた事に気が付きました
ちなみに天気予報はずっと雷曇のままでした、最近の天気予報って結構正確なはずなんだけどな(。・_・)ハテ?