日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

謎多き奥宮 麻賀多神社 船形社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日は麻賀多神社 奥宮 船形社です
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蒸し暑い中での小山の上り下りにかなり消耗していましたが素晴らしい御神域で心身充実! よぉーし!! 奥宮を参拝してホテルでひと休みすっぞ♪

 

と神社脇の日影道を意気揚々歩き出したのですが社叢を抜けたところで現実が突き刺さる...ぐぇ、あぢぃ...
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時刻はまだ7時46分、ホテルを出てから二時間近くが経過しているとはいえまだまだ朝なのにこの暑さ、、、昨日までの涼しさどこいった

 

いや、好天は物凄くありたがいんですけどね

 

目指す奥宮は往路で思った通り、あの山の上ですね、、、近いようで遠い、歩いて20分、距離にして1.2km程度なのですがね
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山の裾へたどり着き ん? と思う道を進もうと坂を登り始めた

ところで斜面のポストに何か書いてあるのに気付いた

 

私有地につき通り抜けできません

 

...ん? ...え?!  おぃぃぃぃぃぐぅぐるぅぅぅぅ!!

 

そうなんですよね、確かに時々知る人ぞ知る道を教えてくれて凄く助かることもあるんだけど、神社の真裏とかに案内されちゃうのはまぁ仕方がないにしてもマンション内を抜けろとか酷いと今回のように私有地を抜けろなんていう指示を出してくる

 

かなり控えめに書いてくれていましたがもう少し疲れていたら気付かず進んでいたと思います...頼むよぐぅぐる

 

...と思ったんですがね、そうやらマップ上の道路を示す線の形と実際とが違ってたんですね、というか引きで見ればあってるのにアップにすると急に形が変わるという謎地点

 

画像下のところですね、実際ぐにゃっとなって右へ向かう道よりも少し手前に左への曲がり道があってそっちだったのですが
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アップにすると道路が変な形になっていてこれがまた実際と似たような道になっているわけです、で、この左への道が私有地というか多分ちょっと崖上のお宅への道
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まぁちゃんと地図を見ていれば左に曲がる道はひとつしか無いんだからわかるだろうって話なんですが、ストリートビューで見ていただければわかるでしょう、確かにここを左だったのですが上のナビを見ながら突き当たりを左として歩いていくとその先にしっかり 突き当たりを左 の道が見えるわけです
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っていうかなんで青線はぐねーっと曲がっているのに道路を示すグレーの線は太く変な形なんですかね???

 

恐らくこれで間違えて入って来る人が多いんでしょうね、それがポスト脇への控えめな注意喚起だったのだと思いますがほんと、我ながらよく気付いたなと思えるほどサラッと書かれているのでもしこのルートで行かれる方がいらっしゃったら気をつけてください

 

大事なことなので最初に書いておきました(。-_-。)b

 

さて、、、で、突き当たりまで行ってから振り返ったけれど目視で正しい道が認識出来なかったので右から回る道を進むことにしたのですがこれがまたなかなかにぐぃーっと坂道でして少し日陰にはなるものの一気に体力を奪っていく

 

周りを見てもどーーーこにも自販機なんて無い、遅くもここで気付いた、参拝後に神社前のあの自販機で買っておくべきだった! でも進行方向の背後だったからその存在を忘れていたのだ

 

早朝と侮ってミニリュックを置いてきた事を後悔  体力 70 ⇒ 40

 

 

まぁ奥宮の周りにもあるだろう、、、となんとか坂道を登りきって平らな道に出た、幼稚園があるのでもしかしたら周りに自販機が...と思ったけれどその影は無し

 

すると鳥居を発見、金刀比羅神社ですね

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うーん、、、後にするか、と思ったのですがナビと違うこちらから来た事で先にお会いした大物主様を後回しにするのは何か違う、と先にご挨拶、、、っと、おぁぁぁぁ地味に登るぅぅぅ
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ふーっ、ふーっ、ふーっ...あぁ、でもとっても気持ちが良い
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後方には祠が二基でしょうか、木札には伊勢神社奉射謹言とある
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調べてみたのですがほとんどが麻賀多神社に関するもので一部他の神社のものもみられましたが情報が無い、奉射は神事で弓を射る神事で特に千葉県北中部で御奉射・奉射祭として行われるそうですが付近にそれらしい伊勢神社というのは見当たらず

 

おや、横に道が繋がっている...と歩いていくと、( 'ω')ファッ!?

 

文字が読める前に気付きました
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こちらが印旛国造伊都許利命の墳墓、つまり古墳ですね
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ふと ここ、古墳の上なんだよな、つまり伊都許利命のお墓の上に立ってしまっている事になるんだ、と気付いて既に石棺は移されているとはいえちょっと神妙な気分になりました

 

伊都許利命は神武天皇皇子神八井耳命の八代孫で応神天皇より名を受け印旛国造としてこの地方を平定発展させたという、こちらは方墳で南麓に岩屋があり石棺と埋葬品が出土したそうです
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ちなみにちょっと詳しく調べてみようと思ったのですがどうも発掘調査というのは見つかる順に、そしてその都度名前や番号がついて行くようでなかなか資料を読み解くのが難しくて挫折しましたw  だって書いてあるものによって遺跡名や古墳群の名前、なんなら〇号墳墓が違ってたりするんだもの!

 

なので恐らく調べて書いている人も混乱している可能性はある、古墳が造営されたと考えられている時期が伊都許利命の居た時代と数百年ズレて書かれているのもありました、難しいね

 

また伊都許利命の名前については土地を豊かにした者を意味すると書かれているけれど、1300年頃の神主による言葉のようで国造当時の名前なのか後世つけられた諱や神名なのかはよくわかりません

 

石段を降りていくと手水舎に由緒書きがありました
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この時は撮影だけで読んでいませんでしたが、こちらでは船形社ではなく手黒社と呼ばれているようです、そしてやはり稚日霊神と稚産霊命の二柱がそれぞれに祀られていると書かれています

 

古墳の西側に神社参道がありました、いや、奥宮というので元宮的な感じで本社よりも質素な神社を想像していたのですが物凄くしっかりしている
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そしてなんというか、とても温かで優しい御神威に包まれて今思えばここから完全に疲労感を忘れていました

 

こちら側に伊都許利神社があるんですね
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玉垣の続く長い参道の右手に伊都許利神社が
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というよりも墳墓の拝所のような感じですね、左手の大きな石は墳墓から出土したものだそうです
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祠の前まで行くと先程まで立っていた場所が見える、こうして拝むべき場所に立ち、しゃがんでいた自分を思うとやはりどこか申し訳ない気がしてしまいます

 

そして参道を進めば進むほど温かな気持ちに包まれていく、そして両部鳥居と社殿が見えました、なんとこれまた立派な!
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いやーーー素晴らしい、素晴らしい!
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物凄く氣が良くて温かいのは決して陽当たりの明るさだけではありません、だって完全に忘れていたけれど実際はこの時かなりの疲労状態にあって太陽を浴びて気持ち良いなんて思える状態ではなかったはずなんですから

 

もうとにかく有難い、台方社と併せてこうしてご挨拶出来ることが本当に有難い、心からご挨拶させて頂きました
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ただ、、、この時はまだ御祭神が稚産霊命だと思っていたのですが

 

社殿右手はくすのき幼稚園になっていて神社が経営されているのかと思ったら特に関係は無いようですが地図を見ると敷地が勾玉のような形をしていてちょっとびっくり

 

境内社、こちらは香取神社
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そしてこちらは修祓所? あっ、祓戸神社?! しまった、またこちらでも祓い清める前にご挨拶してしまった...
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わー...はー... もう感嘆のため息しか出てこないほどに美しく凄く気持ちの良い氣が流れてくる、これほどにも境内に居るだけで心満たされる神社はそうそうありません
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と、、、おや?

 

左手に八代稲荷神社

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賀志波比売神社? 調べてみると阿波に祀られている式内社で太陽神ともされる女神、一日に一人の命を救うと言われているそうなので移り住んだ阿波忌部氏によって勧請されたのかもしれません
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そして...!!
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そう、社殿脇から見えたのがこちらの御神木、奥宮にも御神木がいらっしゃった!!

 

こちらも大杉ですが樹齢は650年とのこと、比べるものではありませんが台方社の大木には及ばないもののその素晴らしい氣はそれに劣らず、いや、それ以上かもしれない
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とにかく降り注ぐような氣のシャワーが物凄く心地好いのです
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はー・・・何があるというわけでもないのに立っているだけでこんなにも心が満たされるなんて

 

そして社殿右手側に祠が並びます、、、って、あれ?あれれれれ?
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この時も凄く気持ちの良い状態だったはずなのですが思いっきり疲れ果てていたのだろうか...いや、朝陽を真正面に受けて眩しく画面が見えていなかったんですね、一社見切れてしまっていてその分右側に謎のスペースがw

 

申し訳ない、写っていない左手から高津神社は、、、仁徳天皇

粟田神社素戔嗚尊大己貴命でしょうか、 世直神社は地域により様々で不明、そして熊野神社と菅原神社

 

なんとなくですがこちら側は地域から合祀遷座された神社なのかもしれません

 

あーーー、ほんと満たされる、ずーっとここに居たいくらいだけれどそういえば今の私はかなり疲れ果てていたんだった、と後ろ髪を惹かれつつ再度感謝を伝えました
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最高の御神氣を頂いて脅威の回復!!  体力  40 ⇒ 60

 

 

参道で社務所らしき場所を見たけれど自販機は無い、この後はホテルまで戻るのですがさすがに限界が近い、と検索すると近くの小学校まで行けば調度良い頃合に駅までのバスが来る!

 

というわけで15分ほど歩いてバス停を目指すことに

 

と、斜面に案内板を発見、下からなので読みづらいけれど写真を撮って画面で確認するとここが石室!!
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どこ?どこ? 見れど見れど落ち葉の斜面、と思ったらここかな?
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他の方によるとただの石にしか見えないという意見があるのでこちらで間違いないかと、ただ調査だか見学会だかに参加された方によれば隙間から除くとしっかりとした石室が見えるらしいです

 

さて、、、素晴らしい神社の御神氣というのはやっぱり本当に凄いのでしょうか、それともただの思い込みなのでしょうか、神社から僅か5分もするとあんなに復活していたのが嘘のようにボロボロになる

 

独特な形の給水塔?も宇宙戦争の敵にしか見えない

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そして思いっきり住宅地なので自販機の影も無い

 

漸くバス停にたどり着いたけれど屋根が全く無意味に近く、なんとか頭だけ日陰に出来たけれど首から下はガンガン照り付ける太陽に焼かれ続ける

 

そう、気分はもうお昼だけれどまだ8時30分、朝なんですよ

 

バスは来ない、焼かれ続ける、かといって周りを見ても小学校と住宅しか見えないので歩き回ったところで奇跡的に自販機と出会うなどという夢は見れない、むしろそれこそ死活問題であるw

 

あぁ、太陽が激しすぎて彩雲になってるよ、、、  体力  60 ⇒ 20
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帝国も、いや、定刻も過ぎてあははーとなんか楽しくなってきた(危ないw)その時、響いて来た乗用車とは違う音、た、た、助かった!!!

 

通勤には若干遅かろう時間ですがバスにはたくさんの人が乗っていてだから遅れていたんですね、奇跡的に座ることが出来て空調が物凄く有難い...駅前に着いてホテルまで歩き、そして水をくぁーーーっ、沁み渡るぅぅぅぅぅっぅぅぅ!!

 

さらに冷たいと身体にダメージなので最初は温かいシャワーで全身の汗を流し、そして徐々にぬるくしていって復活!!

 

バスに乗ったお陰で時間も早まったので予定より長い一時間ほどをのーんびりと過ごして身体を労りました

 

9月半ばの朝をナメちゃいけないね  体力  20 ⇒ 80

 

 

さて、それでは調べていきましょう!!

 

まず、詳細までは書かれていませんでしたがやっぱりこちらの由緒でも創始は日本武尊で御祭神は稚日霊神、後に霊示によって稚産霊命が台方に祀られたと書かれていますが元からこちらに稚産霊命も祀られていたとは書かれておらず、また伊都許利命が祀ったとも書かれていませんが文量の問題で省略されている可能性はあります

 

またこちらには麻賀多眞大神と書かれていて響き的には まかたま になっていますね、やはり七つの玉は勾玉だったのでしょうか、そしてこちらでも得られる情報はここまで

 

では検索して調べてみたものを纏めてみよう!(`・ω・´)ノ

 

ただしここからは 説 として真偽が定かではない情報も含まれるかと思います(といっても由緒もバラバラだったわけですが)

 

まずWikipediaをわかりやすくすると

 

景行天皇42年6月(112年)、日本武尊が鏡に伊勢の神を勧請してインバノクニタマオキツカガミとして祀ったのが始まり、印旛国造として伊都許利命が応神天皇20年(289年)に船形社を造営、鏡を御神体稚日霊命を祀り、七つの玉を御神体稚産霊命を祀って真賀多真大神とした。推古天皇16年(600年頃)に伊都許利命の8代子孫 広鋤手黒彦命が台方へ稚産霊命遷座させ船形を奥宮とし、真賀多真が八尺瓊勾玉と同名になるとして麻賀多神社に改めた、と書かれています

 

手黒はこの孫の名前から取られたのでしょうか、それとも元から手黒社(もしくは地名)から名前が付けられたのでしょうか、いずれにしてもこの8世というのが神八井耳命から8代、伊都許利命から8代と揃っているところがなんとも気になりますね

 

勿論偶然かもしれませんが、神々にまつわる話において3や8というのは非常に重要視される数字なので意図的に置き換えられている可能性も考えられます

 

ちなみに今回に限らず天皇歴と西暦の置き換えは考察によって大きく異なりますので参考程度になります、なのでバラバラに調べると年代や他の出来事と前後してしまう場合もあります

 

まぁいつものことですが今回に限らず大抵は 社伝によると と紹介されている説が神社公式では触れられていないことが多く、ただWikiだからといって創作であるということにもならないのでなんとも言えません

 

さて、結局正確なところはハッキリとしませんが外部へ公式に発言出来るのはほぼ確定的な部分だけという判断なのかどうか、台方社がなんとなく意図的にぼやかしている感からすると奥宮と境内掲示の方が実説に近いと考えられているのであればやはり奥宮には稚日霊神、台方には稚産霊命が祀られているということになります

 

ではそれぞれの御祭神について考えてみたいと思います

 

稚産霊(和久産巣日)命は謎の神、古事記ではイザナミがミツハノメの次に産んだとされる食物を司る神でトヨウケヒメの母とする、日本書紀ではカグツチとハニヤマヒメの間に生まれた神でやはり養蚕五穀を司る神だとされている、この二書においても出自が微妙に異なっています

 

なぜ伊都許利命は外宮にも内宮にも祀られていない豊受姫命の親神を七つ玉に勧請したのでしょう

 

ちなみにホツマツタヱではカグツチハニヤスの子とされ、別名がウケミタマ、つまりウカノミタマだとされています

 

それでは日本武尊が伊勢から鏡へと勧請した稚日霊神についてですがこちらこそ謎大き神ですね

 

まず古事記では明確には出てきませんが日本書紀と併せるとワカヒルメは若き太陽の女神を意味する名ですが、アマテラスの神衣を織っている時にスサノオが逆剥にした馬の皮を投げ込んだ事に驚いた際に機織り具でホトを突いてしまい亡くなったとされています

 

また日本書紀では神功皇后の書において占いに答える神として天照大御神の次に託宣を下します、個人的に 若い神々しい姫 という意味で複数存在する名前かと考えていたのですがどうもそんな扱いではなさそうです

 

各地での伝承ではアマテラスの幼名であり同じ神である、妹君である、など様々な説がありますがどれもハッキリしておらず、さらには内宮にも外宮にも祀られていません

 

やはり謎のままですが、一般説を併せるならば、伊勢から勧請する、鏡に祀る、そして幼名ともされる御名、そう、天照大御神が祀られたということになります

 

ではなぜ皇祖神・太陽神として他の神社で祀られる天照大御神とは違う稚日霊神の名で祀られたのか、そしてそのままになってしまったのか、そして、なぜ表向きの御祭神とされていないのか疑問が残ります

 

これ以上の考察はホツマを引用し長くなると思うので後述扱いといたしますm(*_ _)m

 

 

さて、全くの偶然かもしれませんが

 

私、ほぼ毎日出掛ける前に日本の神様カードを引いているのですがそのミニカードが入った神様みくじというのが岩座という天然石・祭祀具のお店にあるのです

 

滅多に行かないのでなかなか増えず、そろそろ行きたいなぁと思った矢先、成田山の参道にありました!! しかも暑さで周りなど見ず通り過ぎた後に聞こえた耳馴染みの店内BGMに振り返って気付いたというw

 

帰りにしようかと思うも、いや、今すぐ引くべきだと思い(実際帰りは違う道を通ってしまったし暑さで絶対忘れていたでしょう)店内へ、そしていつもならばどの袋にご縁を感じるか少し悩むかごそごそ手探りするのですがこの時はなぜかひと目でもうこれしかないと即決しました

 

さっそく開けてみると玉祖命
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あら思いもよらなかった神様だけどカブってないから良かった♪ とすぐ袋に戻そうとして固まりました、、、待って、麻賀多神社って勾玉みたいな響きだって選んだんだよな...え、やっぱり勾玉?! うそ?!(当日なのでこの時はまだ何も調べていない)

 

いやー、偶然にしても48枚ありますからね、参拝した直後に関連性のある神様をピタリ引くなんて凄い! 稚日霊神が天照大御神だとしても関連性のあるカードは僅か2枚ですからね

 

...まっ、偶然でしょうけどね!!

 

 

それでは既に後述のような感じでしたが、ここで〆ます!

 

 


というわけで、ここからはホツマツタヱを参考に考察していきたいと思います、ちなみに偽書とされていますし私自信半信半疑ではありますが、社名を見て まがたま と感じて ワクムスビ から ワカムスビ とちょっと無理のある連想をしただけで宿泊早朝参拝を決めてしまった

 

その理由がきっと、一端であっても何か分かるんじゃないか!という希望を込めて紐解いていきます

 

 

ホツマによれば諾冉の第一子は悪き日に生まれてしまったので儀式として一旦捨て子として川に流す事で禊としてすぐに臣下が拾って育てたのがヒルコです(未熟児で流されたのは第二子:ただしその前にも子は居たとされている)

 

やがてヒルコはワカヒメと呼ばれるようになり歌を作ったことから姫の名をとって和歌と呼ばれるようになったとされています、ちなみにその頃彼女に使えていたふたりの姫はタカヒコネの姉とアメノワカヒコの妹、つまり高照姫と下照姫が混同される理由はここにあったというわけですね

 

ワカヒメはさらに出雲の統治を任されており、迫る弟スサノオに驚き戦仕度をしたのも身の潔白を判断するのもワカヒメだったとされています(勿論ホツマでは誓約も理にかなった話になっています)

 

ホツマの説からヒルコとアマテルを併せて考えると天照男神説女神化説がとてもスッキリするような気がするのですがこれ以上の深堀りはいつアップするかわからないホツマ全文読み解きの記事をお待ちくださいm(*_ _)m

 

さて、ワクムスビの響きから勝手にワカムスビ、和歌結び、ワカヒメのことなんじゃないか?! なんて強引だと分かりつつも勝手に推測していたので創始に祀られた神がワカヒルメだと知って驚いたわけです

 

ではちゃんと結びつくのだろうか、、、調べてみましょう

 

ワカヒメは後にネ(高志)とサホコ(出雲)を代理統治する事になりますがそれまでは弟アマテルの補佐として伊勢に居たとされています、でもワカヒルメは伊勢に祀られていない、、、と思いきや、アマテルとヒルコが伊勢で過ごしていたのはイサワ宮

 

イサワ...イザワ...伊雑宮!?!?  志麻一宮ですが内宮の別宮である伊雑宮があります!!!  ただ伊雑宮の御祭神は天照大御神御魂とされています

 

ありゃー、やっぱダメかぁ...と諦めかけたその時

 

内宮別宮10社の中で第四位とされるほど重要とされていますが伊雑宮のみが伊勢国外である志麻国にあり、また単独で御神田を持つのも伊雑宮だけだという(国が違うからでしょうか)

 

あれ? 伊雑宮って内宮別宮だけど一宮になるの? と思ったらなんと別説として志麻国の現鳥羽市に鎮座する伊射波神社がある、しかも御祭神が稚日女尊!!∑(ºωº`*)  そこでは稚日女尊は鳥羽三女神とされていて天照大神に使えた女神だと紹介されている!!!

 

勿論、隣とはいえ伊勢ではなく志麻国という相違はありますが天照大神に仕えたという部分から考えると機織女かワカヒメのどちらかと考える事が出来ます

 

実際にスサノオ事件の被害者として馬と機織り女を祀っている神社(境内社)もありましたが、、、どこか、、、どこかで、、、あっ! 過去記事を調べて発見しました、葛木御歳神社の境内社です!!

 

ちょっと葛木御歳神社の話に逸れますがご了承くださいm(*_ _)m

 

境内社の一角、事代主命天稚彦命、稚日女命、一言主命の並びで祀られていてその記事で疑問に思ったものの、あまりの情報量の多さにそのまま流していた女神です

 

ここで漸く繋がるのかー!! と言いたいところですが少し疑問はあります、天稚彦命の妻でも妹でもなくその二人が仕えた稚日女命を並べて祀るだろうか、もしヒルコであれば本殿を挟んだ反対側に天照皇大神高皇産霊神神皇産霊神味耜高彦根命が祀られているのでタカヒコとヒルコを入れ替えて祀る方が繋がるような気もします

 

と勝手にホツマ基準で考えても勝手に並びを想像してもアレなんですけどね(苦笑) ただ、ここではさすがに機織女として祀っているわけではないように思えます

 

また、賀茂氏は出雲系なのになぜ境内に天孫系がしっかり祀られているのか、さらに迦毛之大御神とされる味耜高彦根が末座のように祀られているのかと疑問に思っていたのですが、そもそも臣従関係であったとするホツマの説を取れば、稚日女命であるヒルコから下照姫を継いだ妹君が稚日女命として兄の横で祀られていると考えれば納得が出来てしまう

 

た・だ・し 、神社由緒による主祭神御歳神、相殿神大年神、高照姫の説明では高照姫は味耜高彦根の妹で大国主と須勢理比売の娘だと書かれているのでホツマとは合いません

 

大国主とアマテルの娘の間に生まれたのが事代主、高照姫、高彦根とされるホツマですが、やはりこうしたそれぞれの神社に祀られる神々からうまく想像された話なのかもしれないしそうではないかもしれない

 

 

やっぱり分からず終いかぁ...そりゃそうだよなぁ...あら、伊雑宮にも大きさは違うけど外宮と同じような勾玉池があるようですねぇ...ってそれだけじゃぁねぇ

 

そもそも、ホツマでは外宮の御祭神トヨケは日高見を治めていた男神でありアマテルの教育係であった事から隣に祀ったとされているわけですから姫ではありませんし、当然ヒルコはその親でもありませんのでホツマ説とも繋がらないようです

 

やはり伊勢から鏡に勧請したということから天照大御神をさす稚日女尊なのかもしれませんね

 

 

あぁーーーっ、当たり前だけれど結局ぐだぐだしただけでなーんにもわかりませんでした(>_<)

 

でも、どちらも本当に素晴らしい御神域で素晴らしい御神木で、特に些細なことですが当日に勾玉の玉祖命が出てくださったという事には何かしらの特別な力があった、と信じていたいですね(*´ω`*)