どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、糟嶺神社
成城学園から野川に沿って北西へ行ったところ、小高い丘に鎮座する神社です
一の鳥居から先が木々によって暗くなっており独特の雰囲気があります
正面鳥居の手前は細い道を挟んで駐車場になっているのですがそこに門柱がありなかなかの古社であるように思えます
実はこちら、突然夢に見た 木々に囲まれた寺社 を探しているうちに名前に惹かれて写真を見ると夢とは違うもののザッと見た中で一番近い雰囲気だったので来てみました
実はナビの都合で北側から向かったので隣接しているお寺 明照院 の境内から写真の先にある石段で神社境内へ向かいました
こちらの明照院は結構大きく立派で何故か惹かれた巨石に近づくと可愛い緑の蜘蛛が居ました
朝蜘蛛は神の使い夜蜘蛛は不吉 などという言い伝えもありますが神道的には、というかスピリチュアル的?には朝も夜も蜘蛛は天から降りてくる神の使いとされています
個人的にはずっと長い足がいっぱいあって夜道などで顔にピトッと来る糸がまた鬱陶しくて蜘蛛が大嫌いだったのですがハエトリグモがタチコマみたいで可愛いと気付いた頃から小さな蜘蛛は好きになり大きな蜘蛛は相変わらず気持ち悪いけど害虫を食べてくれるので嫌いではなくなりました
と始まりから盛大に逸れました
神社巡りをしてきて学びました、隣接して大きなお寺がある神社は歴史が深い、どう見ても本殿真裏からですが心して参拝させていただきます
天気が良いのは勿論ですがそれだけではない、言葉としては不適かもしれませんが、異界のような異様な雰囲気を感じます
こういう時でもないと恐らく来ることはなかったであろう場所の神社ですが、これは凄い所を選んだかもしれない、境内に入ったばかりで感じました
石段を上がり社殿の横を通り正面へ、住宅地の中に鎮座する大きめの鎮守らしい社殿、、、の隣に境内社が並びます
やはり夢とは違うのですが少しだけ近い、というか凄い雰囲気を感じて写真を撮ろうとしたら不思議なことが起こりました
カメラを構えると赤とんぼが近くに飛んできて私の周りをくるりと回るとカメラの目の前でホバリング
それこそ、こうして写真を撮ることが出来るくらいにじーっとホバリングした後、カメラを持つ私の指に留まりました
嘘でしょ(゚д゚;)ソンナコトアル?!
近付いて指を立てていてもなかなか留まらないのに勝手に来て勝手に留まるなんて
境内社の前には大きな石碑
境内社は三社並びます
右手は由緒不詳の稲荷社
左手はこちらも由緒不詳の天満宮
そして中央だけは朱色のお社で由緒書きがあります
思い込み補正があるとは思いますが、この日はほぼ風が無かったのですが三社それぞれ鳥居を潜った時に風がすっと吹いてくれました
全て左から右へ、その風は三社の前を通り本殿へ
完全な山の中なので蚊もいたりしたのですがとっても良い氣が満ち満ちていてとっても居心地が良いのです
御神域感も勿論凄い
境内社三社の左には絵馬掛けがあり、その先は道になっていたのでそちらにも参道がありそうです
こちらが拝殿、大正時代に再建されたそうです
小さな丘の上ですが山の上の鎮守にご挨拶しているようなそんな感じです
創建は不明ですが古い記録の中に寛永六年 1629年 という年数があるようでその年かそれ以前の鎮座と考えられます
そしてなんと、ここは墳陵だそうです
元はこの下に鎮座していたのですが1758年に墳墓上に遷座されたとのこと
この雰囲気はそういった事情も関係があったのでしょうか
重力が違うような雰囲気で少し重く、でも空に引っ張られるような感じもある不思議な感じなのです
これは、と調べてみました
隣の明照院は1569年に開山されており、1758年に糟嶺神社を山上に遷座された時に別当寺として隣に移ったとなっています
あくまでも私的想像ですが、1569年には小さな祠などでなく既に社殿を持つ別当を置かなければならない規模の神社だったのではないでしょうか
別当に関しては江戸時代に神仏習合で神社を管理下に置くため元からあった神社に対して別当寺を置くというのが基本だったと理解しています(というか今、理解しました)
しかし、アレですね、神仏分離は無理やりに引き剥がした感があって嫌いだったのですがこうして考えてみれば後から 神社は寺が管理下に置くぞっ と無理やりな事をしてきた神仏習合も大概ですね
信仰心深い民衆としては良いものは取り入れ元来のものと融合させどちらも大切にする日本人特有の才能でとても良いと思うのです(弊害もあるでしょうが)
それがあって、神仏習合はさほど悪くないと思っていたのですが別当の扱いに関しては完全に悪ですよね( ̄・ω・ ̄)←今更気づいた
はっ、、、もしかして、神社のような寺のような
あの夢がキッカケで参拝した糟嶺神社ですが、その記事を書くのに調べたことでこの考えが出てきたというのはそれこそが 意味 だったのでしょうか(考え過ぎかな?)
別当ですぐ思いついたのは某八幡宮と某隣接寺の某お守りの話です、、、っとこの話はあとがきにします
話を戻しましょう
あくまでも私見ですが、1569年以前の創建で御祭神は糟嶺大神
また謎が出てきてしまいました
糟嶺大神、、、とは?
農業の神とされているのですがそれ以外の情報がありません
もしかしたら想像以上のかなり古くから地神として祀られてきた神様なのかもしれません
そして調べていくうちにもうひとつの情報が
記事の前半でさらっと流したこちらの碑
なんと大國魂神社の宮司や神社本庁長老を務められたという 猿渡盛厚氏による神社碑だというのです
え、それって普通なんですかね???
陵墓上に鎮座し御祭神や由緒が不詳にも関わらず別当寺がおかれ高名な方による碑もあり、、、ここは一体なんなんだ!?
↑
と打った瞬間に まもりだま が青く光るという
夢が糟嶺神社に導いてくれたのかどうかはわかりませんが、少なくともあの夢というキッカケが無ければ恐らくこちらを参拝することは無かったでしょう
素晴らしい神社に巡り会えたということがとっても嬉しいです(*´ω`*)
って終わりそうになってしまいました!
順路が逆ですが正面参道へ、手水舎がありグッと角度のついた石階段の上に神社が鎮座しているのがわかります
この山が陵墓だということですね、いや神々しい
広くて駐車場にもなっているようで横には車用の参道もありました
二の鳥居を潜ってすぐの短い石段
そして一の鳥居です
逆向きに書いていくの、斬新ですねw
ちなみに神社右側は道路になっているのですが、なんじゃこれは?
と思ったら人がすれ違えない細い歩道でしたw
どうしてこんな形になったのか。。。事故が多かったから設置したにしてはちょっとアレなのでどうしても撤去(伐採)したくなかった木なんでしょうか、謎です
いやー、いつもと違う構成の記事になりましたが、とにかく参拝当時もここは凄い、ここは凄いと感じまくっていました
実は降りてきてから手水舎脇に由緒書きを見つけて読んだのですがこの通りですのであまり深く伝わらず
今回記事を書く為に調べていったことであの時感じた凄さの理由がわかった、という感じです
完全無礼で言いますが、ハッキリいってこのような立地にあって無人社(国領神社の兼務社のようです←ちょっと距離ありますね)でありながらこの規模とこの雰囲気の神社に出会うとは全く思いませんでした
そう考えると府中市小野神社もそうですが住宅地の中にある特に誰も気にしていないような神社で由緒も簡単にしか書かれていないけど実は物凄いかもしれない神社というのも結構あるかもしれませんね
なかなか行かれる方も少ないかと思いますが、何か少しでもお感じになられたら是非ご参拝ください
さて、散々書き殴った後ではありますがさらに後書きです
正直、凄かったとはいえここまで長く書く神社だとは思っていませんでした(笑)
某神社と某寺の某お守りのおはなし
改めて調べてみるとやはり神社の方が創建が古く、そして同じお守りをどちらが先に頒布したのかという事でもあまり仲が良さそうではありませんでした
当時は 元々一緒だったのだし隣にあるんだから仲良くすれば良いのに、なんて思っていましたがこうして考えてみると由緒ある神社なのに後からしゃしゃり出てきてあれこれ管理してきてやっと別になっても元は同じだお守りはどっちも意味があるなんて言われて心外だっていうことになりますね
勉強不足を猛省していますが、当時は 別当 というのが文字面から神社に付属していた寺というイメージで勝手に捉えていたんですよね
そうなってくると神仏分離によって寺の僧侶が神社を管理するという形式が取り払われたというのは評価出来る
廃仏毀釈など一線を超えているのは大問題ですが
私は勉強に馴れていませんので、こうして時間をおきながらゆっくりと重ねていって学んでいけるという マイペース がとても良いですね(*^^*)