どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、国宝 大崎八幡宮!!
さすがに二日間歩き回ってなかなかに疲れが溜まり始めた東北参拝旅の三日目、早朝
心配をよそにしっかりと目覚め、カラスの鳴き声響く街を歩いてバスに乗り八幡宮前の停留所で ピンポーン、降りるとほんとにほぼ目の前や!!
とても大きな一の鳥居は隣のマンションの方が大きいのですが、逆を言えばだからこそ鳥居の大きさが際立っているように感じます
このとても美しい一の鳥居は鎮座380年記念事業として建て直されたものだそうでその中でも大きく美しく輝く扁額は五代藩主伊達吉村公による揮毫だそうで綺麗な鳩文字ですね!!
3m、、、いや、4m近くはあるであろう感じの大迫力です
少し参道を進むと二の鳥居
二の鳥居を潜ると石柱の社名が 大崎八幡神社 となっています
調べてみると明治の近代社格制度により 宮 の文字が使えなくなり神社と改称させられた時の社号碑ということでしょう、社名は鎮座400年を前に八幡宮と戻されたんだそうです
こちらは四代藩主綱村公が引いたという四ツ谷水路に架かる太鼓橋
さぁ、長い階段を!!
と思ったのですが真っ先に主殿へご挨拶したい気持ちでスルーしようとしていた左手のお社、、、いや、御堂?が呼ぶのです
暫し考えたものの 後でご挨拶に来ますから と進もうとしたのですが何故か足が進まない、こういう時は、ね(*^^*)
進んでみると、、、呼んでいたのはお前かーーーっ!!www
なにっ、招き狛犬っ(≧∇≦) めっちゃ可愛いんですけどっ!!
よく見ると上げていたと思われる右足は折れてしまっているので 招き に見えていたのですが角度的には元から 招いて いたのではないでしょうか、とにかく表情もとても可愛い!!
その後ろには大日如来堂と書かれている、やっぱり御堂だった!!
手を合わせ、ご挨拶、、、平日の朝7時半、大通りに近いのにほとんどその音は耳に入って来ず、鳥の囀り、葉擦れの音、、、すーっと心が落ち着いていきます
なんでしょう、やっぱり神社とお寺では感じ方が違う、そしてどっちも素晴らしい(*^^*)
右手には沢山の碑が並んでいます、、、と奥が気になる、、、あっ
なんと奥にはお社がありました!!
脇に陶器製のお社もありますが御神体はいらっしゃらないっぽい感じもします
如来堂と山に挟まれた影ということもありますが木々の間から朝陽が零れて来てとっても清々しい心地になれる場所ですね
こちらは大きな山神の碑ですが小牛田からいらっしゃったんでしょうかね(*^^*)
旅行三日目、ここまで素晴らしい参拝を続けて来てさらに快晴の早朝ですから物凄く気分が良いのですが、こちらでさらに落ち着けた気がします
調べてみるとこちらは雲性山寛元寺という天台寺門宗のお寺で巨石に刻まれた大日如来像を本尊として1679年に開山され、おだいにっつぁん と呼ばれ親しまれてきたそうです
では、、、石段を登っていくぜぃ!!
一応、先の見える石段ではありますが階段が天敵(普段は地下鉄の階段でひーひー言っている)である私には地味にキツイ、、、はずが一度も足を止めず息を切らすこともなく登ってしまいましたね、不思議(*´ω`*)
こちらが三の鳥居!! って、参道、長っ!!!!!
並ぶ提灯が美しいしこちらの狛犬さんも可愛いし(*^^*)
こちら三の鳥居は修繕を受けているものの1718年当時のもので一の鳥居の大扁額の文字もこちらの扁額を元にされたそうです
参道を進むと右手にとても雰囲気のよい神馬社がありました、現在では神馬はおらず木像もいらっしゃらないようです
朝陽を浴びる手水舎
さぁ、境内社がたくさん見えるけれどまず主殿へ、、、ってどうにも気になる空間がある
覗き込むと 祓所 の立て札!! 気づいてよかった!!
入ることが出来ないので手前から目を閉じ気を鎮めます。。。どんだけ清められるんだってくらい早朝から浄化しまくりですね
どうも気になるなぁ、、、と横へ回って見ると柵に囲まれたところがあるのですがよく分からず、御神井があったりするのでしょうか
こちらにご由緒が
創建年は不詳とのことですが坂上田村麻呂により宇佐神宮から岩手県水沢に勧請された鎮守府八幡宮が元となったようなので800年頃という事になるでしょう、室町期に奥州管領大崎氏が宮城県大崎市へ遷座させた頃から大崎八幡宮と呼ばれるようになり、1607年伊達政宗により仙台総鎮守として現在地へと遷されその時に造営された社殿が今に残り国宝となっています
では、参ります
最後の石段の先には正面を見据える狛犬、そして門が見えます
こちらの門に見えたのは長床といって割拝殿ともされる中央が通路になった拝殿なのだそうです
そしていよいよ国h、、、こっ、、、こ、、、こけっ( ˙꒳˙ )
うわぁっ、扁額と同じ色の漆黒と金が美しい御神鶏がいらっしゃるっ!!!
その後ろからやってきたのは尾の黒い白鶏さん
どうしてもアングルに収まりたいようでご一緒に、こちらが美しき国宝社殿です!
改めまして、国宝の社殿です!!
その素晴らしさに圧倒されつつもしっかりとご挨拶させていただきました
瑞垣の内はスーッと氣が上昇しているような感じで、社殿は煌びやかでありながらしっかりとした落ち着きがあり、そして威厳があるとっても素晴らしいご挨拶の出来る社殿でございました
ほんとに美しい
左手側からは本殿が少しだけ見えますがこちらは拝殿、石の間、本殿が一体となった社殿という権現造りになっています
平日早朝とあって、それでもパラパラと参拝者はいらっしゃいましたが、心ゆくまでのんびりしっかりご挨拶することが出来ました
おっ、朝陽に当たるとまら綺麗だなぁ(*^^*)
それでは境内を巡っていきましょう!!
神輿蔵にはそれはそれは見事な総黒漆塗り鳳輦型の御神輿が納められていました、いやほんとに見事、お祭りを見てみたいですね
樹齢400年といわれる高野楠は垂れ下がった枝がちょうど頭上の位置でクルンとカールして上を向いていて見上げると素晴らしい
南を向く遥拝所は祭祀の際に橿原神宮、皇居、武蔵野御陵、伊勢神宮、伏見桃山御陵への拝礼が行われる場所
祓処の隣には大物主神を祀る金刀比羅社
その左手には大崎八幡宮中興の祖 沼田豊前正藤原茂密公の石像が祀られています
参道を挟み西側へ
オワカリイタダケタダロウカ
右側で白いものが動いた!? 覗き込むと何処へ行ったかと思っていた先程の御神鶏達がいらっしゃいました
仲良くお水を飲んでいたんですね~(*^^*)
横へ回ってスマホを向けると、、、おぉ、鳩文字ならぬ鶏文字で 八 の字でポーズ!!
そして「撮れた?」「どう?」とめっちゃこっち見てきました
っと、ご挨拶を前に御神鶏さんと遊んでしまいました、すみません
太元師明王とはインド神話で弱者を襲い喰らう悪鬼だったそうですが大日如来のお力により善神となり国家を守護する明王の総帥となりその霊験は不動明王に匹敵するともいわれるそうです
1719年に建立されたと伝わるものの1698年の地図には拝殿前西側に記載があるため実際にはそれ以前から仏像として祀られていたようで、神仏分離令により現在の場所に遷されたそうです
これだけの神社でありながら神仏分離令を受けながらも境内の社殿に近い場所に残ることが出来たというのは凄い事だと思います
ご挨拶を終えてもまだお水を飲んでいたので 御神鶏さんたち、じゃぁね! と挨拶すると突然顔と片足を上げてポーズをとった白ちゃん、それを感じたのか水を飲むのをやめて調度良い位置に顔を出す黒ちゃん
建御名方神を祀る諏訪社は1620年頃に総本社である諏訪より分祀されたそうです
武甕槌神を祀る鹿島社は同じく鹿島神宮から分祀されたそうですが年代は不詳とのこと
少し手前に出ているのが北辰社、、、あっ! そうです、天御中主神様です
こちらも詳細不明とのことですが1800年頃には既にご鎮座されていたそうです
その正面にはこちら、夫婦、、、杉でしょうか、この北辰社と御神木の間がスコーンと空まで抜けているようで素晴らしいのです
我らに願わばその想い天に届けん、、、と言ってくれそうな雰囲気があります(思い込み)
二社並ぶ左手が龍神社
元は二の鳥居手前に流れていた四ツ谷用水の畔に祀られていたそうで社伝によると新潟県長岡の金峰神社より分祀されたということです、、、がここでちょっと気になって調べてみたのが結構深いところにいってしまったのであとがきにします
右手の稲荷社は小さいながら社殿内に坐られている神狐様がとっても素晴らしいお顔でいらっしゃいました
創建年不詳ながら以前は北辰稲荷神社として二柱相殿で祀られていたのが現在はそれぞれで祀られるようになっています
そして最後の境内社は一際存在感のあるこちら、お狐さん(狛犬さん?)が一体、そして正面が石碑、左側は参道側を向いてお地蔵様が座られてらっしゃいます
石碑には八幡宮、山神、水神、と彫られており恐らく奉納されたものかとは思うのですがしっかり祀られておりとても良い空気感に包まれています
その先、有形文化財に指定されている社務所には孔雀の絵がありました
最後に社殿へ向かい、お礼を、、、と思ったらちょうど朝の神事が始まりまして、大祓祝詞の間、少し離れて参列させていただきました、ありがたやありがたや
うーん、とっても素晴らしい八幡宮さんでした!! 是非、ご参拝ください(*^^*)b
あとがき
境内社の龍神社は珍しく御祭神名が 龍神 というどストレートさで、更に括弧書きで 蛇王明神 と書かれています
蛇王明神という名を検索しても出てくるのは極僅か、そして分霊元として伝わる長岡の金峰神社を調べてみると 峯 の字が違うだけで長岡に金峯神社が鎮座されていたのですが御祭神にも境内社にも水神様は祀られていない
まぁ境内社だとHP等に書かれないことも多いのですが、わざわざ長岡の地から仙台まで分霊した御祭神が全く書かれていないというのは考えづらいですよね
ちょっと気にかかったのが金峯神社の相殿として祀られている又倉神社の御祭神です
大地主命
須勢理比売命
沼奈川比売命
神社巡りも二年経つとさすがに知らなくても予測が出来るようになりました、大地主命はつまりオオクニヌシのこと、そして並ぶスセリビメはスサノオの娘にしてオオクニヌシの妻、さらにヌナカワヒメはオオクニヌシの嫁にしてタケミナカタを産んだとされています
実はヌナカワヒメと子を作ったオオクニヌシに対しスセリビメが嫉妬で激怒した(その後仲直りもしている)という伝説が残っているのですが、その三柱が併せ祀られているというのがとても良いですね(*^^*)
ちなみに沼河比売においては別の女神と同神であるという説が多く、実は、、、おっと、都市伝説エリアに突っ込んでいくのはやめておきましょう
進みたかったのはそちらではなく、蛇王の方です
まぁこちらも結局は都市伝説の部類になってしまいますが、オオナムチには蛇に関連する言い伝えが多くその名前も蛇を意味すると言われています、また大国主の御魂であるとされるオオモノヌシもまた白蛇として姿を現したという伝承があります
またスセリビメが弁財天とされることや他の女神と同神だという説もあって、弁財天と言えば蛇と密接な関係にありますしヌナカワヒメは川の神とされており日本では古来より水に関する神は蛇神、龍神だとされています
いやいや、でも相殿の又倉神社だろうってことなのですが、又倉神社の由緒を簡単にすると次の通りとなります
「709年 欽明天皇の勅願により蔵王権現を勧請して創建され、1242年に中越の中心として栄えた又倉村の産土神と合祀されて神仏習合の祭祀となり、やがて村の名も蔵王村となった。」
「早良親王の時代には南朝に組み込まれたり北朝に戻ったりと翻弄されながら残り、上杉の時代になると天台宗から真言宗へと変わり平方原へ移る、これが長岡市の始まりとなった。江戸期になると天海僧正の要望によって天台宗へと戻り、天領地とされたほか越後中越の総鎮守に。ただし明治の神仏分離により神祇を決し金峯神社となり御祭神を金山彦命と定めた」
時代時代で絡んでいる名前の凄いこと凄いこと。。。
そうなんです、勧請当時の金峯神社は神仏習合で蔵王権現と又倉神社、つまりオオナムチと2夫人だったのです!!
といったところで 物凄い確信的じゃないか と言っても良さそうな情報を発見しました(オオナムチ考察が消えてゆく。。。w)
上の部分を消してしまおうかとも思ったのですが考えていた過程として折角なので残します(´>∀<`)ゝ
いろいろ検索して発見したのが 脳天大神
脳天!?って感じですよね
吉野山の金峯山寺蔵王堂西側の川沿いに建つ脳天大神 龍王院(大神龍王院)には金剛蔵王大権現の化身 頭を割られた大蛇 が祀られているという
見ぃーーーつけたっ!!! と思ったのも一瞬のこと、吉野山、、、って、、、と調べるとやっぱり奈良県です
ドテッ( っ゚、。)っ 全然場所がちげーじゃねーか!! 残念。。。って、ちょっと待てよ?! 一応調べてみよう
大神龍王院は金峯山修験本宗の総本山 金峯山寺の頭塔となっており、金峯山寺の御本尊である金剛蔵王大権現は1300年前に改組により感得された権現仏とのこと
蔵王権現だ!!
大崎八幡宮の由緒にある通り長岡には金峯神社があったのですが龍に関する御祭神がいらっしゃらず都市伝説的に蛇(龍)と繋げられなくはない
大崎八幡宮の記載に蔵王権現という言葉があるわけではないのですがこの金峯神社と 蔵王権現 金峯 というふたつのキーワードで合致する吉野山金峯山寺には蔵王大権現の化身として脳天大神という大蛇明神(頭が割れている大蛇だという)が祀られており、さらに院名として龍王の名が使われている
えっ、これ、どうです?!?!
もしかしたら、吉野の金峯山寺から脳天大神、つまり龍神をお呼びしたのですが 金峯 さらには 蔵王権現 というところから繋がることから長岡の神社と取り違えてしまったのではないか、はたまた何らかの理由(神仏分離など)により寺からではなく神社から勧請したと偽装された可能性もあるのではないでしょうか
まぁ一般的には隠した説ってかなり行われてきた手段ではあるのですが、こちらでは参道と繋がって大日如来、さらに境内社に太元社がしっかりと残っているのでちょっと可能性が低いかもしれません
あたしゃぁね、そりゃ最近は結構深堀りすることも多くなりましたけどね、それでも仏教系にまで踏み込むとさすがにここまで深堀ることなんてそうそうありゃしませんよ(今回はあれやこれやと結構がっつり検索した)
珍しくも諦めずに深く掘った結果、こういう嘘みたいなキーワードの連鎖繋がりに行き着いてしまうとね、ちょっと可能性あるんじゃないかって考えてしまいますよね(*´ω`*)
実際のところは、、、如何に!?