どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、柴崎稲荷神社
こちらも深大寺から神代植物公園通りを南下していったところ、完全な住宅地の中に鎮座しているお稲荷さんでございます
嚴島神社と同じくきっと小さなところだろうと思って行ったのでしっかりとした門柱まであって丘の上まで続く石段にびっくりしました
周囲をマンションに囲まれた立地ながら木々に囲まれた境内からは御神域感が強く伝わってきます
石段を上がっていくにつれ存在感のある拝殿が見えてきます、というより迫ってくると感じるほどの迫力
既に夕方とあって薄暗い中、社殿の灯りがより一層雰囲気を強めています
手水舎は石段途中の右手側にありました
石段を上がったところでしっかりと社殿を守る狛狐
こちらが御社殿、主祭神は宇迦之御魂神、相殿に大山咋神と菅原大神が祀られています
創建年は不詳ですが記録を辿ると1620年頃には既に鎮座していたようで天満宮山王稲荷合社とされていた時期もあるそうです
途中から合祀したのかと思ったのですが古くから天神様と稲荷様が並び祀られていたようです
ちょっと待った
ここの前に参拝した嚴島神社もまた元は弁財天稲荷合社と呼ばれていたとなっていますのでこの辺りの習慣(なんて言うんでしょう)のような感じですかね
となると、、、あちらが 推古の頃 なんていう説があったようだし似たような古さであってもおかしくはないということになります
寺社は何かにより強い崇敬を集め始めるなど特別な理由でもない限りは社地を縮小こそすれ拡大することはほぼ無いと言っても良いと思います
なのでやはり、かなり前から鎮守としてこの地を守って来たというのが境内の神聖な空気からも伝わってきます
古き良き神社、拝殿と本殿はぐるりと一周回れる広さどころか社殿左手側は木々と落ち葉が広がり子供たちの格好の遊び場になりそうです
社殿右手には境内社と石碑
榛名神社御祈祷神札が立札となって祀られています
榛名神社は火産霊神と埴山姫神を祀る神社ですがここの近辺には祈祷札をいただくような榛名神社が見当たりませんので群馬の本社の御札でしょうか
神社の境内に社殿や祠でなく立て札という祀られ方を初めて見ました
石段途中の手水舎は稲、そしてこちらには宝珠の水盤があります
並ぶ石碑、左は山の彫りがあるので富士講、中央が猿田彦大神、そして右は三〇〇
まず特筆すべきは中央
石碑に多い庚申様ではなくはっきり猿田彦大神と彫られていて、さらに上部には雲に〇なのですが右が太陽、左が月になっています
そして右の 三〇〇 ですが、調べたところ二十三夜塔というのが各地にあるようで記載としては 廿三夜 も用いられるようですがこの塔には一文字すら入れる余地がなさそうなので消えた訳では無いようです
多くは二十三夜、他に十三、十五、十七、十九などの場合もあり月齢に合わせて皆集まって月を愛でながら飲み交わしたものだそうです
こちらも庚申様などと並ぶ講中として盛んだったようで、元は月信仰に始まり徐々に集まりの場となっていったんだそうです
徐々にその態様は変化していき、庚申様の日は男衆が集まり、十九夜は女衆が、そして二十三夜は若者が集い信仰を、いや、親交を深めていたということです
。。。ポンッ!!(気付いた)
なぜ庚申ではなく猿田彦としたのかはわかりませんが(同じ神とされているので自由ですが)、ここに塔が並んでいる理由が凄くよく分かりました!! そして中央に日月が刻まれているのもそういった事ですね!!
単純に石碑石塔が一箇所に集められていると思っていたのですが実際に意味としても並んでいて然りだったわけです
そうかぁ、今更ですが、講中というと信仰としてガッツリなものかと思っていたのですがそういう側面もあったんですねぇ
いやー、勉強になる!!
その昔、それぞれの日には皆がこの境内若しくは拝殿に集まって飲み交わしながら村の未来について熱く語り合っていたんですねー
勿論、旦那衆、女房衆、年寄衆の悪口大会としてストレスを吐き出す場でもあったでしょう(*^^*)
奥に鎮座する境内社は三社造りとなっています
いやぁ、ここは凄い!!
とっても静かで(子供たちの騒ぎ声は聞こえるが)涼やかで、でも凛としてもいて程よい緊張感がある
陽も落ちかけると元気に遊んでいた子供も夕餉に帰り、曇りで西陽も無く暗くなっていく境内
にも関わらず参拝を終えても暫く境内をゆっくりと散策していた、あの えも知れぬ居心地の良さ は古来人々がここに集うのを見守り続けた神社だからなんだなぁ、と調べた今になった思います
ほんと、いっつもいっつも同じことを思い同じことを書いていますが、神社ってのは凄いですね
数百数千という間その周りに住む人々を支え続け、人々の態様が大きく変化してもなおその場所に在り続けている
多くの人が(私もそうですが)教義とか祈祷、お祭りの意味なんて意識しなくなってしまっても、人々は集い、手を合わせて願掛けや感謝をする
長きに渡る数え切れない人々の想いが詰まった場所
どうも帰るのが寂しくなる、そんな素敵な神社でした