どうも、ひのきですm(*_ _)m
第4回にまでなってしまいました、勝手に記紀考察
改めて記紀の神代部分を読んでみると良くも悪くもスサノオが壮大に描かれておりアマテラスに関する記述が少ない?! しかも神武天皇に繋がる血脈はスサノオにも通ず!?
※ 古事記を中心として日本書紀、旧事本紀、ほか神社や地域等の伝承をまじえながら私の感覚だけを元にして勝手に読み解いていくだけの記事なので裏付けも整合性もありませんし、勿論着地点も用意していませんw
内容を見る限り、記紀編纂の時点ではアマテラスを最高神とする意図は無く、焼失した歴史を改めて残したかっただけと考えられます
なので失われた書のうちいくつかは正しく覚えている者が居なかったり部分的に忘れてしまったりといったことが記述のバランスとなって表れてしまっただけなのではないでしょうか
スサノオの記述が飛び抜けて多いのは、口伝した聖武天皇が沢山覚えていた、より記憶に残りやすいストーリーだった、そして実は決して消すことの出来ない最も重要な神でもあった
まぁ話の多寡はさておき、書き方を見ればどの神も無理に持ち上げることなく書かれており、八百万の神全てが産まれた順序はあれど特に誰を持ち上げるでもなく並列として描かれている、つまり歴史書なのです
アマテラスを最高神とする記述が無いどころか読み解けば繋がるものの、こうしてスサノオにも繋がってしまう、そしてわざわざ皇祖神と明記すらしていません
そして記紀が天照大御神を皇祖神のひと柱としてしか扱っていないと言い切れる絶対的な証拠
前回書きましたが、古事記ではアマテラスが天孫降臨を指示していますが日本書紀ではタカミムスビが指示を出しており、しかも「皇祖である高皇産霊尊は」とわざわざ書いているのであります
まぁ国内向けに女天皇、国外向けにはさらに上の神が適していると考えられたのかもしれませんが、それでもこの記述は見逃せません
もし印象操作を行うならば冒頭である天地開闢から強く印象に残るよう壮大に描かねばなりません
さて、ではなぜ、天武天皇がアマテラスを国家最高神と定め、その為に古事記日本書紀を編纂したと言われるのでしょう
崇神天皇により大和笠縫邑(最終的に伊勢)へ遷されましたが、そもそも宮中で祀られていたので、まず天武天皇が最高神として定めたとは言えません
天武天皇は壬申の乱において吉野から近江への進軍途中に元宮中祭神であった天照大御神に戦勝祈願を行っており、即位後にはその感謝から伊勢神宮を整備、天皇と勅使以外は参拝出来ない形にしたのですがまずこの件が強く紐付けられしまった気がします
身分厳しき時代に帝として国のトップに立つ自分たちの祖先の墓(祭壇)に、いや、敷地内に一般人が入り込んで参拝するなんてありえません、しかもそれが世界を左右するような力を持つ神なんですから失礼でもあったら大変なこと、だからこそ自分たちだけが参拝出来る宮内で祀っていたのです
では実際にアマテラスが国家最高神とされたのはいつなのか
まず、天武天皇は様々な制度を改革していきましたが、俗に言うとどうも順位付けがお好きだったようで(管理上大切なことでもあります)、それは古代より皆等しく尊いという存在だった神々にも及び自分たちが祖先として祀るアマテラスを一位としましたが、この時点では民衆はアマテラスの存在を知らず天之御中主神や高御産巣日神、国常立神を強く信仰していました
律令制が崩壊し神宮の維持が困難になった事により貴族や有力者からの奉幣を認めるようになったことでそれまで知る人がほとんど居なかった天照大御神という存在が知られはじめ、帝が奉拝する祖神として崇敬を集めるようになりますが、それでもまだこの時点では有力者の一部までに限られていたでしょう
一度開かれた門戸はやがて広くなる、有力者から徐々に広がった天照大御神はやがて噂となって一般大衆にまで知られるようになり、鎌倉期の遷宮では参詣者幾千万と表されるほどに、そして江戸期には一生に一度は伊勢参りと言われるほどに広く浸透しました
実は昔、宇治橋を渡って右手に折れ御手洗場まで長く真っ直ぐ続く神苑には左右にびっしりとお店が並んでいたんだそうで、流石に唯一無二の神宮境内にお店が並ぶのは、と後に交渉して出て頂いたそうですが、それほどまでに大衆へ浸透し篤い崇敬を受けるようになっていました
皇居内で天皇と勅使しか参拝出来ないほど存在が知られていなかった神が物凄い変化ですね
恐らく最終的に天照大御神を日本の最高神と決定づけたのは明治の神仏分離でしょう、天皇の権威を知らしめる為に寺を一気に廃し、そして既に民衆から絶大な人気のあった天照大御神を最高神と位置づけられその子孫たる神武天皇からの血を引く天皇こそが現人神である、として国民の扇動に利用したのです
また、巷で有名なもうひとつの説によれば女性天皇であった持統天皇の権威と正当性を示すため男神だったアマテラスを女神と変え、その系譜についても持統天皇即位の流れに沿わせる為に記紀が編纂されたとまでいわれます
それも一理あるかもしれませんが、だとしたら天武天皇は元からそれを見越した上でまだ存命だったはずの嫡子ではなく妻である持統天皇が後に即位し、それを支えられるようなあらすじで記紀を書かせたことになる、さすがにそれはありえない
記紀に絡んだ天皇を見てみると天武天皇(編纂指示)、持統天皇、文武天皇、元明天皇(古事記成立)、元正天皇(日本書紀成立)と全てが天武天皇の家系で占められています
古事記が推古天皇までなのに日本書紀には持統天皇までが収められていますが、古事記の編纂理由が失われた古書の復活であるのに対し日本書紀は対外的に権威を示すためであったことから直近である偉大な父母までを収めたのではないでしょうか
さて、アマテラス女神化説は主に持統天皇の女帝権威を示すためというのが主説になっているようですが、そもそも古事記においては持統天皇の代では完成しませんでしたし、何度も失礼ですが、あの内容から女神様凄い!!だから女天皇である持統天皇も凄い!! ってなりませんよね???
同様に多く語られている根拠は、皇位継承権を息子の異母兄弟よりも自分自身の孫に継がせる為に(という名目で)自分自身が天皇となった事を正当化する為だと言われています
果たしてそうでしょうか?
それならば即位(もしくは直後)に古事記を間に合わせなければさらに意味がないし、そもそも何度も言うようにあの内容では全くその後押しになりません
その後の国家政治や街造りの礎を築き、天皇や日本という名を初めて定めたのが天武天皇、その素晴らしい政治に持統天皇も携わっており、天皇を自ら継承した後にも発揮した手腕はお見事です
古事記が完成したのは元明天皇の代、やはり女天皇ではありますがその即位は持統天皇と同じ流れを汲んでおり、個人的にはどちらかというと元明天皇の方が露骨な手段をとっているように思えます、異論を唱えるような勢力が無かったんじゃないでしょうか
奇しくも日本書紀が完成した時の元正天皇もまた女帝、母である元明天皇から文武天皇の遺児にして弟(後の聖武天皇)が即位するまで皇位を預かった形です
こうして見ると、もはや直系子孫に継承させる為に女性が天皇となるのは普通になってしまっていたと言っても過言ではなく、聖武天皇次代の孝謙天皇もまた女性天皇で男子が居なかった為の継承です(ここで天武天皇の直径が途切れることになりますが)
つまり、女性天皇の中で最も政治手腕を発揮した持統天皇の権威を示すために神代の性別を書き換えさせなければならなかったとはとても考えづらい
印象操作が目的だとしたら天照大御神の性別についてなんとなくの匂わせのみで一切明記されていないというのも不自然過ぎます
ではなぜ、男神アマテラスの女神化説が生まれてしまったのでしょうか
これひとえに、都市伝説考察のせいなのではないでしょうか(自分も勝手に考察しておいて棚に上げるスタイル)
確かに曖昧な記述や間違った記述など種々混在する記録が多いのであらゆる疑いが持ててしまう(歴史探求はまず疑いから)記紀ではありますが、考察自体に女系天皇への批判が含まれてはいませんでしょうか
私も以前は勘違いしていたのですが…あ、その前に、私は女性天皇反対派ではなく、相応の品格性格を備えてらっしゃれば大歓迎派でございます
しばらく前に論争となっていた継承問題で知ったのですが、女性天皇と女系天皇は全くの別物であり、男系天皇の女性天皇は存在する、そして避けられているのは女系天皇である、という事です
天皇=男性というのはそもそも男性統治王女性祭祀王が結婚して天皇皇后になっていった事から始まったものだと私は思っているのですが、男系天皇女系天皇というのは血筋の問題で性別の問題ではありません
また男性統治王女性祭祀王というのも男が物質的力に優れ女性が霊的な力に優れている適材適所ということで所謂男尊女卑とも別次元の問題と考えていますし、なんなら男性統治王は女性祭司王から指示を請うのが常だったとも言われているのでそういう意味では女性の方が上位です
この論で行くと、唯一問題視されそうなのが男系として微妙な立ち位置になってしまう元正天皇なのですが、、、そして男系に限る問題は近年の継承問題において女系も容認するという一応の決着をみてはいますがその後に唯一の男系が生まれたことでそのままぼやけてしまったというのが実情というところでしょうか
この問題は長くなるし難しいのでご自身で調べてみてください、頭で理解出来ても深すぎて難しいですw そして現代の価値観を当時の歴史に当てはめて考えるのはナンセンスです
というわけで、なぜそれほどまでに血に拘るのか、これは親皇派からは血脈こそが天皇だからだとかDNAの問題だとか言われていますが、個人的にはそれはとても大事だと思っています
様々な問題はあるとしてもハッキリとした継承順位があるからこそ古代のような争いになることなく続いてきたとも言えるでしょう
濃い血族を保ち続けるというのは簡単なことではなく、3000年続いたとされるエチオピア王室も既に無くなっており日本が最古の王室としてギネスに記録されています
その年数たるや、今年2023年は皇紀2687年とこのまま続いていけばエチオピアをも超える、そして2位であるデンマークは1097年ですからその長さが如何に異例かわかります
ちなみに古代天皇時代を伝説だと切り捨てたり古代は一年が二倍四倍だった説を採用したとしても最低1500年は確実とされており、さらには敗戦国という状況をも乗り越えてずっと万世一系を貫いているのは日本の皇室だけなのです
私的理論ですが、古代から統治王と祭祀王で国を治めていたのが統治と祭祀を兼務されるようになり、そして現代では「日本国及び日本国民統合の象徴」として統治王が外れ、宮中祭祀を執り行う祭祀王として日本を守ってくれている
正しい血族が斎主でなければならないという事は記紀にもしっかと記されています
と言いつつもアマテラス男神説も私は好きなのである←
では、、、第四回と大分回り道をしてきましたが、やっと核心ですw
なぜアマテラスが皇祖神なのか
第五回につづく ←をぃw