どうも、ひのきですm(*_ _)m
わぁ、こちらも素晴らしいですね!! 所々新しくされていて境内もとても綺麗に管理されています
御祭神は大山咋命、1800年頃に社殿を焼失したという記録が一番古いようでいつから鎮座されていたかはわかりませんがこの境内を見る限り、長く町の人々から大切にされていることがわかります
狛犬さんが朝陽を見ています
特に境という境はなく住宅地と一体化しつつもしっかりと御神域として鎮座されている、これぞ町の鎮守のお手本のような素晴らしい神社
こうした町の神様にご挨拶させて頂けるのは本当にありがたい
続きましては少し北側、日野宮神社です
左側の垣沿いを歩いてきたのですがまさかの突然腕ビリビリが、しかも結構強い奴がやってきた、何事!?とのんびりしていた気を少し引き締める
日、、、堅?、、、宮
この辺りの手水舎は質素でとても姿が良い
まさに朝陽を受ける日野宮
ご挨拶をしようとしたら太陽の背ではなく正面から凄い気
こ、これは、、、とにかく心身統一してご挨拶、、、そして振り返って太陽を浴びる、なんて有難いんだろう、意味が分かっていないのに有り難さが凄い
でもこれは収めなければ、そして調べなければならない、と思って堂内を撮影させて頂きました
神威如岳(嶽) 神恩如海
お寺系?とは違う、権現系かもしれない、でも日野宮という名前からもアマテラス様な気もするけれど、とにかく凄く広く凄く強く凄く暖かいのである
ぐるりと社殿を周らせていただく
とても、とても素晴らしい、まさに 日野宮
境内の端には石塔が並ぶ
ここは塩浜町というんですね、その由緒が書かれています
表からは全く見えなかった裏側を覗いて見るとこちらに神社の由緒が書かれていました
諸説あれど、能登から命懸けで移住してきた人々の拠り所であった神社なんですね、先程の石塔は能登から移されたものだそうです
普段であればあまり気しない小さな石塔や看板の裏側に引き寄せられたのは紛れもないお導きだと私は感じました
いろいろ調べてみたのですが確たる情報にはたどり着けず
塩作りの神といえば塩土老翁ですが何故天照大御神だったのか、天日塩だったから太陽神だったのか、日堅宮とはどういう意味だったのか
幕で掛けられていた文字「神威如岳(嶽) 神恩如海」は調べてみると十種神宝という祝詞に出てくる言葉でした!!
こ、これは、、、神棚拝詞、稲荷祝詞、大祓詞に続いて十種神宝を覚えろということでしょうかぁぁぁぁ!!Σ( ˙꒳˙ ;)
とちらり読んでみるとなるほど、いろいろ読み解き進めている今の流れにピッタリと言えるような内容のようだ、、、凄い
本当は八幡宮の後に海を見に行ったらホテルへ戻ろう、時間があれば海の後に行けるだけの神社を巡ろう、そう思っていたのですがなぜか急に日吉さんを優先、そこから海へ行こうとしていたのにまたもや急に思い直して少し戻ってまで日野宮さんへ
からの海
この時はそこまで気付いていませんでしたが、ここが七尾から逃れてきた人々がたどり着いた場所だったのでしょうか、そしてこの海から塩を作っていたと考えると、、、この順番で巡った事にも意味があったのかもしれません