どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、直江津大神宮!!
へと向かおうとしたその時
またしてもナビをちょっと無視してこっちから行こうと曲がり角を曲がった途端、目の前に鳥居を発見してしまいました
福永神社です
正直に言いましょう、早朝で次への移動時間もある中だったので地図でサラッと見た時に寄らずにスルーしようとした神社でございました
あぁ、こうして出会うというのはやっぱりちゃんと挨拶してくべきだということなんですね、だって場所も覚えていなかったのでナビ通りに隣の道を歩いていれば会わなかったんですから
福永十三郎の徳をたたえここに祀る
地元の方であろう聞いた事の無い人物の名、それがこうして決して小さいとは言えぬ広さで祀られている、これは一体どういう方なのか
こちらにも書かれていましたがもう少し調べてみました
時は江戸中期、高田藩はなかなかに大変な時代だったようで魚類販売が高田城下の田端町のみに独占されており目の前の港に入ってくる魚を直江津今町の商人が取り扱えないという状態に陥っていた
廻船問屋で大肝煎となった福永十三郎は意を決して高田町奉行に嘆願するも却下、そこで職を辞して解決に取り組み江戸幕府にまで訴えてようやく一部解禁を勝ち取ったが、その帰り、高田城下まで来て謎の急死
今町の漁師達は田端の商人に毒殺されたと考え、遺灰から灰塚地蔵を建て、そして福永神社として祀られるようになり、やがて町の名前も福永町となった
亡くなられたのは残念ですが身命を賭して町を守った英雄を祀る神社だったんですね、それはこうして大切に守り続けられるわけです、そしてこれからもずっと大切に祀られていくことでしょう
うん、ご挨拶出来てよかった(*^^*)
そして少し先へ歩いていくとこちら、直江津大神宮のお背中です
じつはこちらも参拝を省略する予定だったのですが、というのも既述のように時間があまり無かった事に加え、上越のお伊勢さんだそうなので上越で参拝しなくても、と思ってしまったのです
その考えを改めたのは日野宮神社での ビリビリ でした、そしてそのお陰で福永神社にもご挨拶出来たのです
正面に回るとそれほどの規模ではなくともさすがの迫力があります
明治24年、伊勢神宮の分教所として創立された上越地方唯一の伊勢神宮直系神社だそうで天照皇大神、豊受大神を祀り、菅原道真公、淡島大神、大市姫大神も合わせ祀られているそうです
振り返ればなんと美しい
手水鉢には水が張られておらず龍口は新しくされた様子
明治の大火で焼失した後、昭和に入って再建された比較的新しい社殿とのことですがそれにしてはやや古い作りで素晴らしい気を放っているのはさすが伊勢直系社ということでしょうか
もしかしたら遷座などによる伊勢の木材が使われているのかもしれませんが、6時台という早朝にも関わらず戸が開けられており、あまりに素晴らしい御神気にお伊勢様だからと少し躊躇しましたが拝殿内を撮影させて頂きました
開かれているのは背後なのに前から風が来るんです、いや、そのように感じただけかもしれません
今写真を見返していてびっくりしました、左奥にうっすらと女性が写っている?!Σ(゚д゚;) と思ったらその右側には翁? 大きな人形が奉納されているようです、びっくりしたーw
そして手前に置いてある写真を見て振り返る
太陽は雲の中でしたがそれがまたなんとも美しい
早起き出来なければ短縮された早朝巡拝、こうしてしっかりとご挨拶してまわれたことに感謝
ここからはいつものようにw正面参道を降りていきます
階段は真っ直ぐではなく建物を避けて折れ曲がっています
こちらが参道のはじまりですね、正面から参拝されたい方は東側からどうぞ(*´ω`*)
いやー、もう、ほんと、なんか凄いな
やっぱり早朝参拝というだけでも気持ちが良いものですがこうして導かれる参拝が出来た、それもこれが四度目となるでしょうか、好きな町のひとつである直江津というのもまた嬉しい限りです(*´ω`*)
。。。。。。っとぉ!! 気付けば予定はあと一社!! そして時間もギリギリ( ̄▽ ̄;)