どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、建勲神社です
北野天満宮北門を出て閑静な住宅街を抜けていくと社号標を発見
その先は、、、( ˙꒳˙ )oh......Kai Dan ...
イテテ、イテテ、、、そう、階段上りは左の太ももが、、、
あっ?!
そう、決してぶり返したわけではなく、前日も階段上りはふとももが痛かったしこの時も痛い、でも早朝の石段続きな稲荷山では痛くなかった?! やっぱり稲荷山は不思議だ...イテテ
覚悟はしていたのですが、、、階段を上がるとそこには社殿ではなく由緒板が
と思ったら史跡の案内板でしたがこちらは先にご由緒も併せて
そういえばなんか音だけで船岡山って聞いたことがある気がする
標高112mの船岡山は聖徳太子の文献にもその名が綴られており京に都が築かれた際には陰陽五行において龍気漲り大地の気迸る玄武の小山であるとしてこの山を基準に大極殿と朱雀大路が整備されたそうです
しかも桓武天皇はこの船岡山から山城盆地を見下ろし、平安京遷都を決めたと言われています
1582年の本能寺の変を受け秀吉がこの船岡山に信長の為の寺を建立しようとしたそうですが天正寺は完成を見ぬまま山は信長公の霊地として保護が続き、1870年の明治天皇勅令により建勲神社が創建されました
御祭神は 贈太政大臣贈正一位 織田信長公、また嫡男である従三位左近衛中将 織田信忠公も配祀されています
家康公の東照宮、秀吉公の豊国神社は知っていたのですが信長公を祀る神社があると知って参拝せずにはいられなかったのです(*´ω`*)
尾張民としてはやはり思い入れがあります
さぁ、、、登るか!!
と横を見ると、、、船岡妙見社!!
玄武神は北方に鎮まり諸厄を祓う亀であり、妙見菩薩にして童形なり。玄武の大元は国常立尊なり。水の神にして宅神である、とされています
実はこちら、裏参道だったのですが正面から参拝して正面へ帰っていたら気付く事が出来なかったでしょう、ありがたや
境内到着! なんて気持ちが良いんだ! めちゃめちゃ清々しい!
手水鉢にはしっかりと織田木瓜の紋
それでは、いざ
なんと、なんと素晴らしい拝殿!!
周りは玉敷になっており本殿手前祝詞舎(神門)の手前まで行くことが出来ますがそちらにはお賽銭箱がありませんので、拝殿にてご挨拶させて頂いた後に神門前で深く一礼させていただきました
あぁ、、、なんと素晴らしい
実際はどんな方だったのでしょう、色々と研究が進んでいて再現CGだったり子孫とされる方のお顔だったりとありますが、私の中で最大級のインパクトを残しているのは故渡哲也さんが演じた信長公ですね
炎に包まれた御殿の中、有名な幸若『敦盛』をうたう信長公の姿は完全に脳に焼き付いており、後に素晴らしい俳優さん方がそれぞれの信長公を演じてらっしゃって皆素敵なのですが私の中での渡哲也さんのイメージは決して超えられないのです
いつものように逆ルートですがw こちらが正面参道
敦盛の碑がありました
すると頭上で チッチッチッ と鳴き声が、見上げるとメジロさん♪
わぁぁぁぁぁぁ、素晴らしい眺め!!
別格!!
...別格?! と調べてみたらなるほど、明治政府により新設された社格で国家に対し特別な功労があった者を祀る神社に対するもので既に廃止されていますが28社が列格されていて靖国神社や久能山東照宮、上杉神社などがそうなんですね
いやー、、、ほんとに良い眺め、こうして平和に空を眺められることの幸せよ
ということはつまり、、、( ˙꒳˙ )oh......こっちも結構な階段だ
登ってくるときはこんな感じですね
大平和敬神、、、の碑?
由来も書いてありました、元はこの場所に本殿があったそうです
下から見るとこんな感じなのですが、この階段を上がった右手が境内社になっています
写真左上から降りてきた私はそのまま右手の境内社へと向かったのですがそちらの記事は次回
いやー、、、船岡山、とんでもないお山でした
物凄く素晴らしい氣が流れていたのも当然ですね
この日、稲荷山も京都駅もその他の街も、そして天満宮もこの後に参拝する神社さんもたーくさんの人に溢れていましたがこの船岡山には他に二組ほどで全然人が居なかった
いや、それが物凄く有難い事なのですが、、、こんな凄いパワースポット、行かない手はありませんよ!!