どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、金劔宮です
松任の金劔宮とは由緒が異なりますのでこちらは由緒等を交えて書いていきたいと思います
往路は川沿いを歩いてきましたが今度は山沿いを歩いていきます、うーん素晴らしい桜が満開(*´ω`*) そして湿気を含みながらも涼やかな空気がうまい!!
うわっ、物凄い個性的な看板があるぅぅぅ(≧∇≦) と思ったら近くで見ればどこかで見た絵、、、あぁ、こびとづかんか!!
ぜんっぜん白山の雰囲気にマッチしてないけど逆にインパクト強くてドライバーさんの目につきやすい、そして子供たちも喜んで良いんでしょうね(*´ω`*)
そして金劔宮到着!!
っと、これはどう見ても車用の参道さな、、、でもこの先はどこが参道か見てもわからない、バス停もここにあるし、ここから入っちゃえ(*´ω`*)
わぁぁ、、、杜だ、雨を吸って木々の香りが濃密になり、湿気が身体と木々山々とを繋いでくれているように感じます
ん?なんだろう、、、と思ったらさらに麓の女坂から繋がっている参道のようです、だから注連縄がされているんですね
あまりにも清浄な御神気にゆっくりゆっくりと歩いていきます、白山さまとは似ているもののまた少し違った空気のような気がします
神馬像がありました、神紋は五七の桐、こちらは倶利伽羅谷合戦勝利の報謝として源義仲が鞍置馬20頭を寄進した事に因んで建てられたものだそうです
こちらが手水舎、うん、やっぱり凄く素敵ですね
こちらが正面参道でした
それでは、、、ご挨拶!! こちらもガラス張りで中が見える覆屋で中に入りご挨拶することが出来ます
御祭神は瓊瓊杵尊、配神に大国主命、大山咋命、日本武命、事代主神、猿田彦神が祀られています
静かな杜、さらに覆屋の中でのご挨拶とあってとっても静かな、、、あ、神社とお寺の中間っぽい雰囲気だ
これ、最近になって気付いたのですが、The神社という雰囲気は間違いなくある、そして(神社なのに)Theお寺な雰囲気も間違いなくある、そしてさらに 神社っぽさとお寺っぽさが両方あってどちらかというとお寺っぽい という雰囲気があるのです
参拝を終え、記事を書きながら調べ、を積み重ねるうちにその 中間的 感覚を受けた神社がどちらも 権現様 や 観音様 に由来していたのです
といっても私自身の勝手な感覚なので間違っていたり思い込みで感じる場合も全然あると思いますので答え合わせが出来て初めて確定するんですけどね( ̄▽ ̄;)
社伝によると崇神天皇3年(前95年)の創建とされており(石川県観光公式サイトでは北陸最古と伝えられると書いている)、古来は剱宮とされそれが鶴来の由来になったと言われているそうです、また白山七社のひとつ 白山第一王子 でもあるそうで白山本宮・三宮・岩本とともに本宮四社といわれると白山比咩神社のHPでも紹介されています
創建の由来は不明で一番古い由緒が1336年の鞍置馬奉納となっており私が一番知りたい情報は全くありませんでした( ̄▽ ̄;)
石川神社庁によると日本海海岸線から能登が出雲系だったのに対し白山は大和文化の拠点であり県内で最も古い文化発祥地だったと書かれています、ただやはり具体的な話は鞍置馬からになっています
wikiの情報では南北朝時代に後醍醐天皇方として足利軍と戦う氣比神宮に味方し、剱・白山衆徒として戦っていたようで時代の流れとして現代の価値観常識ではなんとも言えませんが、そういった流れは歴史学で語られるものの寺社の由緒からは往々にして表にはされない事が多いですね
神馬や拝殿の幕にありました五七の桐紋はすっかり豊臣秀吉と思い込んでしまいがちでしたが元は皇族の紋であり天皇より特に働きのあるものに下賜された、つまり主要な人や家に許された紋なんですね(現代では日本政府も使用していますね)
そして大和系と出雲系が混ざっているのは配神が後に合祀された神々だからでしょうか
こちらは亀石、そして義経腰掛石?!
京から奥州へと向かう義経が参拝、この石に座って夜を通して神楽を楽しみ手取川を眺めていたと伝えられているそうです
こちらは神霊が降臨したと伝わる天恩石、子牛に似ていることから牛石とも呼ばれているそうです
その奥にも参道がありましてこちらに境内案内や御由緒がありまして正面に見えるのは舞殿です
こちらには剱白山神人衆徒と号して勢力を有した、と書かれていますね!! そういえば中世、宗教でありながらも武力をもって参戦した(勢力を誇った)と言えば僧兵が有名ですが神社にそういうイメージはありませんね
勿論、武運長久など戦勝祈願といえば神社ですし神威を借りるのも戦の常ですが神職が刀槍を構え戦ったというのはあまり聞いた事がありません
調べてみるとどうもあるにはあったようなのですがかなり数が少なく、どちらかと言うと神仏習合の状態で僧、山伏などが戦う事が多かったために神社そのものが武力を誇るということがほとんど無かったようです
確かに、戦には身体能力が不可欠ですが神職様にそれだけの力を鍛えるような修業というのを聞いたことがありません、勿論戦う方もいたでしょうが例えば白山衆徒でいえばやはり権現信仰の修行僧・修験者が主力だったでしょうからやはり神社としては人数も少なく記録や記憶には残らないのでしょうね
本殿左手に境内社が並びます、右手が乙剱宮で瓊瓊杵尊の御子神とされる彦火火出見尊祀られます
私は手前に気づかずそのままお隣の社殿へご挨拶したのですが実は手前が拝殿になっておりました恵比須神社は大阪の今宮戎から勧請されているそうです
凄く気になる手前が天の真名井! 実際に中央の石組みが井戸になっているのか周囲のお水が霊泉で全体が井戸なのかはわかりません
ちなみにえべっさん、本当は拝殿から挨拶しなければならなかったのかもしれないと思いましたが後ろの本殿は扉も開いて御賽銭箱がありましたので大丈夫でしょう(*´ω`*)
そしてうっかり写真を忘れました、恵比寿神社拝殿の左手に社号碑が写っています上の写真の最奥三社目が金刀比羅神社、崇神天皇が祀られます
少し離れてこちらが丈六神社は大山咋神、猿田彦神、日本武尊、菅原道真公が祀られます
やはりそうですね、結構情報として調べると主殿の御祭神に配神・合祀と書かれている神々が実は境内摂末社の御祭神である事が多くあります、恐らくこの場合、正確には主殿には主祭神のみが祀られておりその他の神々はそれぞれのお社に坐すと考えて良いでしょう
勿論、本当に主殿内にも合祀・拝祀されているケースもあるのでなかなか難しいですよね(´・ω・`)
そしてこちらは東向きに鎮座するのが少彦名神を祀る粟島神社です
おっと、こちらにも手水舎が? でも脇の参道は少し手前なのに? と思ったらこちらにも鳥居がありまして
石段の先に招魂社が鎮座されていました、こちらは境内にありながら独立した存在として大切に祀られているのでしょう
いやー、川は見えませんが青空が増えてきて凄く美しい眺めです
巷では金劔宮と 金 が付くことから金運の凄いパワースポットといて人気らしいのですが、私には山と繋がることの出来る物凄いヒーリングスポットでありました、それこそずっと居られるという感じ
そっかー、なんとなく違いとしては、白山さんでは包み込まれる感覚でしたがこちらでは一体になれているような、そんな感じでした、是非どちらも参拝されて感覚を確かめてみてください(*´ω`*)
感じ方や相性は個人差が大きく、そしてその時の体調や精神状態による違いも大きいとは思いますけどね(。-_-。)b
さぁナビ通り目の前の道を進んで駅へ向かおうと思ったら道の向こうの急斜面に降りていく道があるぞ?と進んでみるとそこから石段の参道が続いておりました、そっか! こっちが男坂だ!!
正面から行かれる方はこちらからですね、女坂には石清水薬師さんと不動滝があるそうなので往路でそれぞれを通るのが正しい参拝だと思います(*´ω`*)
私はお土産屋さんへ行きたいのでこのまま駅前へ...
と、ここでもちゃんと調べなかった私が悪いのですが大誤算
能登に続いてこちらでも駅周りに土産屋というのは無く(私が通らなかっただけかもしれませんが)、七尾羽咋白山でリュックいっぱいに買い込もうと思っていたお土産が全く買えませんでした( ´・ω・` )
しかも能登は事前に調べていませんでしたが白山は白山土産を紹介するHPでこれ買いたいあれ買いたいと目星まで付けていたのにひとつも買えず(:3_ヽ)_
いや、まとめて売ってる売店とかあると思い込んでいたんです、、、だって加賀一の宮なんだもの(´;ω;`)
白山さん前にあった売店も覗いたのですが賞味期限などもあって職場で皆に配るものが無かったんです...
嗚呼、観光しつつ直接お店を応戦するという大義名分はいったいどこへ飛んでいったやら。。。結局寄付に回すことになりました
また来るからさ!!!
しっかし、ほんと風情があって良いですねぇ~
実は中学時代を中心に高校途中までは撮り鉄でして、以降は乗り鉄とまでは言わないものの乗るのも見るのもやっぱり鉄道は好きなままなのでこういうの見ると胸が小躍りします( ̄▽ ̄)
凄く凄く凄く素晴らしい時間でした、ありがとう白山市!!
さぁ、次の巡拝地へ!!
文末にちょっと応援
ちょっとLAWSONへ寄ったら応援消費商品として石川県産ひゃくまん穀の塩にぎりがありましてつい買っちゃいましたよね(´>∀<`)ゝ
能登のために 石川のために
ありがとうLAWSON(*^^*)