日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

式内社 八所大明神 御器所八幡宮

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

御器所

 

そのまま読むと ごきしょ ですが奈良の御所(ごせ)と似たようなもので  ごきそ と読みます(特に難解でもなんでもないですw)

 

実は今回初めて知りましたが昔は熱田神宮神領で神祭で使われる土器を調達する場所だったのが由来なんですね

 

というわけで今回は御器所八幡宮です
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折角白山社まで来たのでその周りを、と地図検索しただけだったのでまたしても思っていたよりも規模が大きく、そして参拝者も多くてビックリしました

 

狛犬さんが特徴的で素敵です、そしてとても賑わっていて嬉しそう
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初めて来たエリアですがごく近隣の方々だけでなく車でも結構来られているくらいの八幡様がこんなところにあったんですね

 

良い、凄く良い、まさに住宅地の中の杜、鎮守様ですね
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さすがにイチゲンさんなので凄いウェルカムさは感じられませんが和やかに賑わっている人々と御祭神の穏和な氣で満ちています

 

川はありませんが石橋が中央に、元は小川が流れていたそうです
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そして左手の手水舎は、、、龍ではなく亀!!
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しかも長寿の象徴 蓑亀 です、なんか良いですね(*´ω`*)
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さて、みなさんお気付きでしょうか

 

石仏白山社にもありましたがこちらにも蕃塀があります、こちらではその色から朱塀と呼ばれているようです
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そういえばあるにはあるけど滅多に無い、なのに名古屋ではちょいちょい見かける、、、これも名古屋に多い気がする!! と調べてみたのですが後述にします

 

参拝列はこの蕃塀の所まで並んでいました、そして私が並んだ後はさらに鳥居近くまで、なんか嬉しくなってきますね

 

二の鳥居は目の覚めるような朱色、境内を包み込む杜にとても映えています

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人が多かったのと、その賑わいで油断していたのですが神前に近付くと御神威が強く社殿の写真はこちらから
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御祭神は八幡大神、八剱大神、五男三女神天児屋根命
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一説には仁明天皇の勅令により840年前後に創建され熱田神宮の鬼門守護とされたと伝わっているそうです

 

八剱大神については諸説ありまして、熱田神宮の御祭神つまり草薙剣であるとか名の通り八振の霊剣であるなどとされているのですが、実際にいくつかある八剱社の御祭神が様々なのでよく分かっていません

 

熱田神宮鎮守社としては草薙剣だと思いたい気持ちもありますが宝剱を守護する立場としては邪を避けるほどの武神軍神八柱ではないかと思われます

 

そして五男三女神、なんか他地方の神社であまり見かけない

気がするのですがこれまた名古屋では多い気がする?さすがに気の所為だろうか

 

天児屋根命祝詞の神であり中臣氏の始祖ともされています

 

うん、八幡様ってやっぱりどちらでもガッシリと構えてらっしゃるちょっと怖いけど実は優しいおじいちゃんって感じなのですが少し手前からでも奥の本殿からただならぬ圧を感じました

 

その圧から考えると、八剱大神は草薙剣なんじゃないかと勝手に想像しております(確証ゼロw)

 

主殿左手に総社宮、この地域で古くから祀られていた祠が合祀されているそうです
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さらに西側に並ぶこちらは御器所天満宮、元は北東の天神町天神山に鎮座されていたのが一村一社制度に伴いこちらへ遷座されたそうです

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その先は西参道になっています
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こちらは佐久間社、その名の通り関東から移りこちらを崇敬されていた佐久間一族を祀っているそうで、佐久間といえば信長の家臣佐久間盛政が有名でしょうか
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看板にある勝利へ神鈴を振ろうというのがこちら、必勝鉾鈴
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そ、し、て、この境内にあって空気の違う場所が主殿右手側
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そう、白龍神社ですよ、まさかこちらにも祀られているとは、名古屋どんだけ白龍様信仰篤いんだよ!! って話ですがほんと、住んでる頃は当たり前に祀られていたから離れて初めてその多さが普通では無いことに気づくんですよね
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しかもこちら、元より祀られていた龍神様に加藤清正により名古屋築城時に祀られた城内龍神社、場外龍神社を合わせ祀っており、ただ合祀というのではなく三社殿として篤く祀られています

 

やはり古来より白龍様が祀られていた、そして清正公によって城守護に龍神様が選ばれていた、やっぱり名古屋は長きにわたって龍神様への崇敬篤き土地だったのです

 

え?加藤清正といえば熊本だろうって方もいらっしゃるかもしれませんが彼は名古屋生まれ育ち、幼少期に津島、近江と移っていきますが名古屋といえば何なのか、何を大切に活かせば良いのかはちゃんと知っていたと思われます

 

ちなみにこちらにもおもかる石が2石ありましてかたや丸くもう一方はゴツゴツした隕石のような感じです

 

ちょっと調べてみたのですが、検索で一番出てくるのは伏見大社稲荷でしたがおもかる石(重軽石)の起源というのは石占いが元だろうとは言われているのですがその年代や創始はわかりませんでした

 

白龍様の前がこちら、水の恵に感謝し長寿を祈る神石と吉幸水で遥拝として磐長姫命が祀られています、とても珍しいですね
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さらに境内西側に境内社が並びます、五社宮は地域で古くから祀られていた摂社である村上社、州原社、八幡社、氷上社、春日社が祀られています、御祭神は不明です

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右手には二社鎮座されています

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稲荷社はよく見ると神狐様の存在感が凄いのですが決して厳しくはなく稲荷神を守りつつ静かに参拝者と地域を見守ってくださっています
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左手は地域の出征者を偲び感謝する英霊社、鎮魂のため仏像が並んでいますね

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六社宮の左手、実はパッと見で縁結びなのねーと失礼ながらスルーしようとしてしまいました、まぁ御縁は万事に通ずるわけですがどうしても真っ先に思いつくのは 出会い でして、ほら、色事に注意せよという二連続のおみくじがあったものでw

 

と背を向けた時、なんでしょう、何が過ぎったのかもわかりませんが何故か戻ったんです、いや、美しいですね、良縁・縁結びのみとおし石と書かれています

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神門を支えていた石だという、その神門は崩れてしまったのでしょうか焼失してしまったのでしょうか、にしても凄く大切に祀られていますね、なんだか凄く和やかな気持ちになるのは幸せな、幸せを願う皆さんを見守る温かい心が宿っているからでしょうか

 

これがどっこい、調べてビックリなんですが、というかよく分からなかったのですが公式HPには「御本社にお祀りされている菊理媛命さまは、、、」という説明が

 

んっ?! 御本社というのは本殿の事だろうか、普通はそのお社であれば当社と書くでしょうし、そもそもこちらは新門を支えていたという石であって社ではない、でも御神体とされたのであればこちらに宿られ(祀られ)ていても不思議はありません

 

実は私、この由緒板で右列と隙間が空いているので左は境内社の神々が書かれていると思っていたのですが白龍神稲荷大神も書かれていないということは境内社の神々はこちらには書かれていない?!
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つまり、本殿には天照大御神、彌豆波能女命、菊理媛命木花咲耶姫命、山王大神、高蔵大神、熊野大神も合祀されていることになります

 

つまりはこちらも一村一社に従って合祀された各地の御祭神なのでしょうか、ちょっと後半が手書きなのはやむないとして

熊野大神だけちょっと雑でしかも色落ちが凄いのだけ気になりますが(ボソッ)

 

そしておっそいのですが今更気づきました...こちらは八所明神 御器所八幡宮、そう、八所明神なんです

 

由緒板後半に書かれていたのは右列が四柱、五男三女であることを考えると十一柱と数が合わないどころかそもそも 所 ではありません、そして左列に並ぶ御祭神は七柱、当八幡宮を合わせれば八所になるんです!!

 

あぁ、そういうことだったのか!! なんで後半が後から遷座合祀されたかのように手書きになっていくんですかぁぁぁw←人のせいにするな

 

改めてHPの御由緒を読む限りは八所大明神と尊称された由来は書かれておらず、1441年の棟札にこの尊称書かれているのが初出のようです

 

ということは一村一社、つまり明治の合祀令よりもかなり古いことから合祀されたわけでは無さそ、、、あっ!! 創建推測が840年前後とされるということは!!

 

延喜式神名帳の一覧を調べてみるとしっかり御器所八幡宮が載っていました!!  そして属する愛智郡には34座が記載されている、その中を確認していくといろいろ紐解けました!

 

こちらの八所ではありませんが八剱宮を発見(ダジャレではありません)、やはり洲崎神社での八剱宮御祭神は熱田大神つまり草薙剣でした

 

そしてこちらの氷上大神は宮簀媛命、高蔵大神は高倉下命と分かりましたが唯一、菊理媛命を祀る神社だけがわかりませんでした

 

つまり、御器所八幡宮は総ではありませんがその下の神社にそれぞれのエリアを纏める〇所宮がいろいろあったとしても不思議はない、つまり分霊を迎え配祀されており当社を参拝すれば他7社も併せ参拝したことになるという場所だったのでしょう

 

まさかこんな複雑に調べることになるとは思いもしていませんでしたが、これにはしっかりとした意味がありました

 

そう、高倉下命です

 

もう情報を詰め込み過ぎていて、あれ?なんか土地に馴染みの無いでも物凄く記憶に残っている神名だぞ、、、と思い調べてみるとそうですよ! 神武天皇の元へ布都御魂を献上したのは高倉下です!!

 

そして全然見てなかった!! 高倉下は尾張連、つまり尾張国造です

 

まさかの、洲崎神社の御祭神で謎だった石神、布都御魂と思いっきり繋がりました!! なぜあの時に高倉下が尾張国造だと気づかなかったのだろう!!

 

まさか、、、布都御魂は一時的にでも熱田神宮とか洲崎神社に祀られた事があったとか、、、草薙剣と何か関係があったとか、、、?! まぁこれはもう都市伝説とかどんどんかけ離れるのでやめておきましょう(*´ω`*)

 

凄く長くなりましたが最後の境内社です

 

先程の境内社を囲む玉垣と舞殿の隙間という謎の位置に祀られているのがこちら、稚児社で御祭神は本社と同じ八幡大神

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本殿は本殿であるものの特に地域の子供達の安寧を守るためのお社だそうでその神社により御祭神は主祭神と同じであったり御利益に合った御祭神になっているそうです

 

と、いうわけですっごい神社でした!!

 

いやー、冒頭にも書きましたが白山社の近くで地図検索して選んだだけだったのでここまでの規模だとは、そして調べるとここまで深掘りが繋がるとは思ってもいませんでした

 

菊理媛命はどちらから、という謎はありますが改めて由緒板の社員を眺めていたら、手書きの三柱を除くと八柱で八所と言えなくもないですね(。-_-。)  そもそも印字か手書きか、八所なのに元から祭神名が抜けていたとも思えません

 

由来が棟札だけだというのでもしかしたらこうだろうと特定していたのが研究や資料の発見によって新たに本来の配神名が判明して手書きされた可能性も考えられます

 

っていうか多くの神社が式内社を名乗るのにこちらは全く触れていないところがまたなんとも言えず、そんな事しなくても地元の人を守り崇敬されているからそれでいいんだよ、というお気持ちにも感じられてなんかいいな、って勝手に妄想(*´ω`*)

 

 

もう一社とてのんびりと書く事が出来ないという異常事態、そりゃ巡拝で物凄い精神力を使い果たしたと感じたわけだ(普段手抜きというわけじゃないですよ!w)

 

神社では物凄く御神威を頂けます、だから心身が浄化され不思議と力が漲りますが御神氣当たりと勝手に名付けている、所謂効果が強すぎてしまう状態というのもあるんです

 

でもそれはとっても有難い事、物凄く充実した巡拝だったと感じたのはやっぱりそれだけの理由があったのです(*´ω`*)

 

ちなみに徒歩1分のところにどう見ても目を引くこちら
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御器所東城跡だそうで二重の堀を持つ平城があったそうでこの北西には佐久間氏の居城だった御器所西城があったそうです
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さて、蕃塀について(忘れてなかった)(というか実はいつも内容を忘れぬよう 後述 って言いながらスグにその時に末尾の方に書きあげてあるのですw)

 

詳しく調べられてる方がいらっしゃって、正式には神宮のだけを蕃塀と呼びそれ以外の神社のものは不浄門とか透垣と呼ばれその意味は不浄避け、外(入口)から神様を直視しないように、などと言われています

 

ちなみに沖縄の古民家にもほぼ必ずと言って良いほどありまして、そちらは屏風(ヒンプン)と呼ばれていて中国から伝わったのではないかとされているそうです

 

琉球古民家は門の正面に魔を避けるヒンプンがありさらにその上、屋根上の真ん中からシーサーが睨みを効かすというガッチリとした魔除けになっています

 

一部では出入りする時に男性と女性でヒンプンの右左どちらを通るかが決まっていたりとやはりまじない(祭祀)的な要素がありますね

 

琉球は海人の島、祭祀の島、神の島

 

一説では高天原は沖縄の事だったのではないかとされており、実際に神武天皇の出生にまつわる場所があったりもするのです

 

琉球は龍宮でもある、龍の多い沖縄、龍の多い名古屋、ヒンプンのある沖縄、蕃塀の多い名古屋、顔が濃いうちなーぢらの沖縄、琉球の血は入っていないのにうちなーんちゅからうちなーんちと間違えられることもある濃い顔のわたし、何か繋がりがあったりなかったり?

 

なんて軽口を残して次の神社へ~