どうも、ひのきですm(*_ _)m
高幡不動尊の参拝を終えて改札へ向かおうとしたのですが、ふと後方となった商店街に目を向けると若宮通り商店街とある
そうだ、地図で見た時に線路を挟んだ反対側に神社があったんだ
うん、気付いたとあっちゃご挨拶せねばなりましね(*´ω`*)
というわけで上からも行けそうでしたが地下道を抜けて反対側へ、ナビの指す道と違う方へ進み初めてしまったのですがまぁいいかとそのまま歩くと正面でした、このやろっ、まーたやりやぁがったなぁ!!www
というわけで若宮愛宕神社です
もうちょっと規模が大きいかと思ったのですが、と言ってもしっかりと境内のある凄く雰囲気の良い神社で社殿も最近塗り直されたのか朱色が鮮やかで美しいですね
若宮愛宕というので八幡様の御子神 仁徳天皇と迦具土様でしゅか、しーっかりお寺を参拝した後なのですがこれもやっぱり思い込みなのか、全然雰囲気が違いますね(*´ω`*)
特に入口、社殿脇、境内中央(さらにもう一本あっただろうか)としめ縄の巻かれた御神木がどちらも物凄く綺麗な氣を放ってらっしゃってまるで結界を作られているのかというくらい清浄な氣に満ちています
あまりの気持ち良さに御神木を撮影して社殿を撮り忘れるというほどに木々に御神威が宿られていました、いやー、、、あんなに綺麗な社殿だと眺めていたのに撮っていないとは我ながらびっくりですw
境内左手にはお稲荷様ですね
さぁ、こちらではどう感じるのか、と思ったのですが特に何がということもなく、、、と思ったのですが近付くとやはりこれぞ稲荷神という雰囲気が濃くなっていく
でもそれがまた不思議、何か違うぞ、という雰囲気を投げかけられているような、違いを探せと言われているような
そういう時は本当に何か変わったところがあるんだよな、と探してゆく
ちょっとお堂タイプではありますが覆屋自体に特に変わりがあるわけではなく、小野稲荷大明神と書かれており雰囲気とその名前からすると御祭神は宇迦之御魂神でいらっしゃるでしょう
よくあるタイプの神狐が供えられていますしその他に特段変わっているところがあるわけでもない、とその時、気づきました
あれ? そういえば神札が無い、と思ったその場所にはなんと木箱(というか皿というか枠というか)に納まる五つか六つほどの石
Σ( ̄□ ̄;
それぞれが5cm前後でしょうか、の石が御神体のように置かれています
神様の祀り方はそれぞれ、神札だったり大きさに関わらず石碑であったりそれこそ磐座だったり、中には御神鏡だけというお社もあったりしますが見た目は境内のそこらに落ちていても不思議は無いように見える石が木枠の上に並べられている
かといって誰かが適当に置いたようにも思えず、そしてそれに気付く前からお社周りにはしっかりと御神威を感じる、それは境内を満たしていた氣とはまた違っているのである
うわーーー謂れが凄く知りたいーーーけど絶対に分からないんだろうなーーー(>_<) ←ダメ元で調べたけどわかりませんでした
もしかしたら御神体が焼失して再建の依代とされていたりするのかもしれないなぁ
ちょっと乱暴な言い方をしますと、それが例えどんなものであったとしても、ちゃんと謂れがあってそこに崇敬心が篭ってさえいれば神様は宿られます(宿られるはずです)
しっかし、若宮愛宕さん、これはしっかりとした御由緒がありそうだと思いつつお背中に呼ばれて裏手へ、こちらにも立派な御神木だったんじゃないかという素敵な切り株があった
その裏手、謎の道があるぞ、、、と進んでみると謎の石柱が二柱
これはいったい... 鳥居代わりにしては方向が不自然だし、民家かと思った建物はどうも境内と接しているので公民館的な感じでしょうか
そして草の生えた道ならぬ道を抜けると裏の路地へと出ました、いっつもやらかすぐぅぐるマップめが最初に導いたのはそっちでしたよ!w
それはそれで面白かったですけどね←
調べてみると社名は高幡若宮神社、年代は不詳とされていますが旅僧が金剛寺本尊の不動明王脇に坐す二童子を三日三晩で彫り上げ、また旅立つという時に村人が見送ると僧の姿が突然消えてしまった、旅僧は神の化身だったとして別旅明神を祀り、やがて八幡宮が勧請され村の鎮守として祀られたそうです
愛宕神社は高幡山頂に祀られていたのを大正に入ってこちらへ合祀され神額は二社名並び書かれていますが社名は変更されていないようです(されているのかも?)
八幡様は宇佐からの勧請だとされる情報もあり、だとすると応神天皇が祀られていると思われますがなぜ若宮とされたのかは情報がありませんでした
実際に重要文化財となっている二童子像についてもしっかりとした作風でありながら作者については分かっておらず、村人達が証人としてこうした伝承と神社が残っていることを考えると事実なのかもしれません(*´ω`*)
確かに、こちらの境内からは不思議な力を感じました
良いですね~こういった村の鎮守的小さな神社(といっても大きい方だと思いますが)ならではの謂れや雰囲気があって(*´ω`*)
さて、ちょっと記事が別れてしまうのですが折角なので、高幡不動尊の境内社 五部権現社について、耳慣れない権現様がいらっしゃいましたので調べてみました
八幡、稲荷、丹生、高野、清瀧を祀ることで五部とされており三神が権現様です
まず丹生権現を検索していると、紀伊國一宮 丹生都比売神社が出てきました、御祭神が丹生都比売、高野御子、大食津比売、市杵島比売で四所明神とされています
丹生都比売は古くから祀られた地主神とされ、一説にはイザナギイザナミの子である、稚日女尊であるとも言われているようです
そして高野明神はその御子神で空海が高野山を開山する際に山を案内したといわれています、そして高野山は真言宗の総本山ですので高幡不動へ勧請されたのでしょう
そうかー、高野山って真言宗だった気がするのに名前が無いなと思っていたらその中の一派である智山派と私にちょっと御縁がありそうだという事だったんですね
仏教系の方には申し訳無いのですが、こういうところ、宗派の難しさというのが私は少し苦手だったりするのです ^ ^ ;
最後の清瀧大明神、清龍とも清瀧とも書かれ せいりゅう と読むそうですがこちらは真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺の守護女神だそうで川崎大師、成田山、薬王院にも祀られているそうです...?!
あっ、川崎大師は境内の右手に清瀧権現堂があった気がする! と過去の記事を確認するとやっぱりありました!(けど清瀧権現堂を大師堂と書いていたことに気づいてシレッと訂正しましたw)
高尾山にも? と調べると蛇滝に祀られているそうです、そういえばあちこちを通って登ったけれど蛇滝側からは登ったことがありませんでした
意外と派を跨いで祀られていたりするんだなぁと思いつつも仏様は共通なのか、と勝手に納得、宗派についてはこれ以上調べるつもりはありません←をぃw
なぜ高幡不動本篇の記事で調べなかったのにここで調べたのか、それはこちらでも習合があったからです
五部権現は源頼義が勧請した八幡様へ稲荷、三権現が合祀されました、そしてこちらは旅僧を祀った?明神に八幡様を勧請しています
そもそも、八幡信仰というのがよく分からないのです
はじまりは平安、ヤハタがハチマンになったと言われており武神ということから応神天皇と習合されたと言われていますがそのヤハタの始まりがよくわからないのです(ヤハウェだという説まであります)
ヤハタ、神道、仏教、権現、、、つまりは、様々な宗教や思想が習合されてきたこの国の歴史の中でも八幡様は最も習合された最大の神だとも言えるのではないでしょうか
源氏が広めまくったとはいえ、全国に祀られる神社の中でもダントツの数を誇るのが八幡社である所以でしょう
神社庁に加盟していない数を含めれば稲荷がさらにその上を行くということは一応書いておきたいと思いますが←さすが稲荷講員w
まぁ難しい問題ではあるんですけどね
融和はとても素晴らしい、それぞれの良さを合わせ悪い所を消してゆくことは素晴らしい、とはいえあれもこれも混ぜてしまうと元の形がわからなくなり、それは本来の意味を失ってしまうことにも繋がりかねないのですから
時代による変化を恐れてはいけないと思いますが、それによって本来の意味が消えてしまうのは大問題だと思います
そういう関連ではよく話題に出る中にサイレント盆踊りなどがありまして、そこまでして踊る意味があるのかなどという批判も目にします
古来続く伝統文化に対して後から来た人々が文句を付けること自体が私はおかしいと思うのですが(毎日じゃないんですからねぇ)、その声が多くなってしまうともう時代の流れということで折れることもやむ無し、だからといってやめてしまうのではなくアイデアを使うというのは私はとても素晴らしいと思います
絶対に見てはいけないお祭りなども、実際に偶然見てしまった人や参列した人用のお祓いがあるんだからそのお祓いに参加することを条件に参加(見学)して貰い神事を継承していく、などは勇気をもってシキタリを変えることで継続すべき神事を残すという大切な事を優先している素晴らしい例ですよね
そして今、書いていて気付きました、どちらも愛知県ですねw