どうも、ひのきですm(*_ _)m
この日は2021年12月31日、大晦日です
伏見稲荷の後から名古屋へ帰省しております!!
さて、名古屋の神社と言えば?
(-ω- )o< フムフム
そうです、熱田神宮です
三種の神器のひとつ、草薙神剣(天叢雲剣)が奉安されている神社でございます
皇室神事に用いられているのは形代、つまりレプリカであり過去に持ち出されて海に沈んだとされるのも形代だったと言われています
誰も(天皇陛下ですら)見ることが許されてはいないのですが、噂では過去に覗いてしまった神職が皆天罰を受けたという話も...?
さて、子供の頃から何度か参拝したことがある程度で数年前にも参拝しているのですが、その時はまだよく分かっていないままでした
というわけで改めまして、熱田神宮、参!!拝!!
と向かっていたら偶然神社の入口を発見
石柱には 熱田神宮 摂社 松姤社 とあります
通りに面してはいますが正面にはお社が見えず住宅地のど真ん中に入っていくのが珍しいですね
奥へ進むと境内がありました、正に、民家に囲まれているお社です
お社は二社
正面が松姤社と思われますが左のお社はわかりません
質素でありながら威厳のある、そしてしんとした空気です
御祭神は日本武尊の妃である宮簀姫命
神宮から1~2ブロック離れて摂社となっていますが、いろいろと歴史がありそうです
とても気になったのはこちら
特に何があったというわけではないのですが、お分かりになりますでしょうか
そうなんです
木の根が真っ直ぐと伸びてお社の真下、ど真ん中に入っているんです
しかも、わかります???
その根はなかなかの太さのままお社の真下に入り込んでいるのに後ろから突き出ていないんです
真下で土台にぶつかって止まっているのか、さらに地下へ潜り込んでいるのか、はたまた実は土台の中が空洞でその中を根が埋めつくして...(いや、それはないかw)
とても静かでご近所さんのご迷惑にならぬよう拍手も小さくご挨拶をしました
熱田神宮では人が多く居たのでこちらへいらっしゃる方はなかなか少ないようです
それでは熱田神宮へ、初えびすの幟がありますね
人が多めなので基本的にカメラは上向きですw
いやー、良い天気ですね!!
実はこの日、人の少ない早朝から参拝する予定だったんですが、前夜半から結構な雨が降り始め朝にはしっかりとした雪
参拝を諦めようとしたのですが、いや、やはり行かねば、と粉雪の中出発したのですが熱田に着いた時にはやんでおり、松姤社の辺りから晴れ始めたのです
最早、快晴\(*°∀°*)/
一の鳥居を潜ると、グッと空気が変わります
正に大きな神宮系特有の雰囲気です
こちらでもお伊勢さんと同じく、真っ直ぐ本宮へと向かいます
手前から緩やかな石階段になっていて、そこから先は撮影禁止ですがこちらでも撮影禁止立て札がとても控えめ
ただし、階段を上がって記念撮影をされる方を見つけると警備員さんがいらっしゃって声を掛けてくださいます
御祭神は熱田大神様、草薙神剣を形代として宿られる天照大御神とされています
相殿に天照大御神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀姫命、宮簀姫命の兄であり日本武尊に付き従ったとされる建稲種命の五柱が祀られており、全て草薙神剣にまつわる神様でございます
天照大御神が二柱祀られていることになりますが、あくまでも主祭神は天照様の御力が宿られた草薙神剣ということです
畏れ多くも三種の神器のおひとつが祀られておりますので、お願い事はせずご挨拶と御礼をさせて頂きました
広大な境内には沢山のお社があります
本宮にご挨拶されたら、皆さんが向かわれる授与所とは逆、本宮に向かって左手の人気があまり無い社務所の方へ進んでください
こころの小径 の入口があります
ここから先は禁裏となっていたエリアで2012年から一般に解放された神聖な場所です
こころの小径内の御神域エリアは撮影禁止となっていますのでご注意下さい
看板には書かれているのですがとても慎ましやかに書かれており、特に手元に境内案内パンフレットを持ち進路が分かった上で進んでしまうと完全に見逃します
撮影禁止なのでご注意ください
しつこいですよね、それは私を含め多数の方が気付かずに撮影していたからです←
ただ、たまたまなのか警備さんもいらっしゃったのですが特にお声がけされてなかったのでもしかしたら今ではあまり強くは言わないようになっているのかもしれませんが、看板には撮影禁止マークがしっかりありますからね
というわけで、写真はあるのですが文字だけでいきます、ご了承くださいm(*_ _)m
一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)は荒御魂がお祀りされているとされる熱田神宮において最も大切な場所です、忘れずご参拝さなってください
お伊勢さんと同様になさるのであれば、本宮ではご挨拶と御礼を、こちらでお願い事をされると良いかもしれません
そのまま本宮の裏手に回りますと遥拝所になっており、お近くで挨拶させて頂くことが出来ます
この時、ちょうど真正面から太陽が射しこみその神々しさに私は無心で参拝しました
こちらにもお賽銭箱が置かれています
その先は木々の間を歩くことが出来る静かな道で、そのまま本宮右手側へ回ると清水社があります
境内案内によると、ここまでが こころの小径 なので清水社からは撮影可だと思います
こちらには罔象女神が祀られており、脇の階段から降りた お清水さま では柄杓で中央の石へ水を掛け願えば叶うとされております
凄い清らかさなのが伝わるでしょうか
こちらも是非、忘れずご参拝ください
斜め前には素晴らしい御神木
大年神様を祀る御田神社
龍神社には日本武尊の東征に付き従った吉備武彦命と大伴武日命が祀られています
そして土用殿は以前まで御神体 草薙神剣が奉安されていた場所だそうで、今は移されているとはいえ御神威の強い場所なので厳かにご挨拶させて頂きました(何故か写真撮ってない)
すーっと歩いていると気付かず通り過ぎてしまう位置にありますのでご注意ください
そして壮大な神楽殿の脇に出てきます
いやー、もう凄いですね
ハンパないですね
名古屋なんてシャチホコと飯以外特に観るとこ無いからわざわざ行く必要なんて無ぇーよー、なんて昔は言っていましたが(厳密には大須と名古屋港はオススメスポット)
名古屋に来て熱田さんに行かずなんとする(パワースポット的には覚王山日泰寺も外せませんヨ)
是非、ご参拝くださいませ
さて、広過ぎて大変なので後編につづきます
さてのさて
御神威の強過ぎる場所では不思議なことは特別何も起きてくれないのが常となっており、もはや残念な気持ちになることも無くただその空気を感じさせて頂くだけで有難いと思っています
まぁ私の力というか、まだまだ足りないからなのだと思いますけれども( ̄▽ ̄;)
今回は珍しく、不思議に思うことが起きました
清水社 お清水さま でございます
前回もこちらへ参拝しているからといつも通り説明をちゃんと読まぬ私は立札をスルーして清水へと降り、柄杓でひと掬い水を掛け柄杓を戻そうとしたのですが、その時のこと
三回掛けたらいいんじゃない?
という声にならぬ声が聞こえたような聞こえないような? いや、声になってないんだから聞こえたとは言わないか、頭にふっと浮かんだ感じですかね
ん? と不思議に思いましたが、そうね、じゃぁ三回掛けてみようかね、とその通りに三回お水を掛けました
素直に勘に従ったもののやはり不思議に思い、もしかして…と立て札を読んでみるとそこにはしっかりと 三度かける と書かれていました
前回来た時に三度掛けたかどうかの記憶はないんですが、もしかしたらただ深層の記憶がうっすら蘇っただけかもしれませんねー( ̄・ω・ ̄)
なーんだか不思議だなぁ、と思いつつ歩きながら考えていました
そうか!! お会いしたのが久しぶりすぎて忘れてました! 罔象女神様は水神様で瀬織津姫様と同じ神様ともされる、、、ああっ!!
瀧川神社、佐久奈度神社とご挨拶してきたのでそっとお耳打ちくださったのかもしれませんね(超絶前向き!w)
ちなみにこの中央の石は楊貴妃の石塔の一部とされると書かれていますね
なぜ楊貴妃??? っていうか石塔?
歴史に詳しい方なら当然のことなのかもしれませんが、調べてみたらここからが面白い! ので長くなるけど書いちゃいましょー(*´ω`*)
世界三大美女のひとり、楊貴妃の死を悲しんだ玄宗皇帝が彼女の魂を探させると、東海の仙郷島 蓬莱の地にその魂を見付けた、という伝説
なんとその蓬莱の地というのがこの熱田だと言うのです!!!(熊野だという伝承もあり)
そういえばこの近辺の地名や店名に蓬莱とか一文字を使用した名前が多い!!
はて、魂がなんの由来も無いこんな遠くまで???と思うのですが、その楊貴妃伝説を読み解いてみれば実は魂などではなくご本人が渡来していた可能性があるというのです
絶世の美女 楊貴妃 の出現により国政を棄ててしまった玄宗皇帝と唐国を救うため自ら(もしくは…?)遥か東国へと身を隠し、玄宗皇帝が探させたのは魂ではなく本人だった!というのも話として辻褄が合いますね!( ºロº)
となれば、日本に墓があっても不思議ではなく、それだけの人物なので熱田神宮の地で匿われたもしくは葬られたとしても不思議は無い
一部、楊貴妃(が持って居た剣)こそが草薙神剣だとする説もあるようでそれはそれで物凄く浪漫に溢れてはいるのですが…
日本武尊の死を悼んだ宮簀姫がこの地に草薙神剣を祀る熱田神宮を創建したのは景行天皇43年、つまり西暦113年のこと
楊貴妃が産まれたのは719年とされていますからそれはありえませんね
いやー、しかし楊貴妃が日本で、しかも熱田で無くなっていたという説があったとは今更ながら驚きです!!!
楊貴妃の墓石(の一部)が水に囲まれているというのも弁財天様のようでもあり、祓戸大神のようでもあり...おおっとぅ? まさか楊貴妃が罔象女神で罔象女神は瀬織津姫で…おおっとぅ?!?!
あれあれあれあれ? そうなってくると???
古事記が712年、日本書紀が720年、楊貴妃が産まれたのが719年で亡くなった(唐から姿を消した?)のが756年
となれば、とても重要であるはずの祓戸大神が記紀に登場しないという謎も………( ̄∇ ̄*)ニヤリ♪
なーんて思ったところで気付いたよねー、中臣祓詞は楊貴妃が生まれるより前に編纂されたと言われてたんでした(>_<)
ちなみに、玄宗皇帝が日本を攻めようとしていたので熱田大神が楊貴妃へと化身して玄宗皇帝を骨抜きにして…という説はどうも無理やりな感じがして私にはあまりしっくり来ませんでしたねぇ