どうも、ひのきですm(*_ _)m
二社の寄り道を終え、やって参りました春日大社
三輪山、率川神社、瑜伽神社と回ってきましたので既に時間はない
境内社も多いとは思うのですが沢山回る為だけにさーっと適当な参拝になるよりは、本殿へのご挨拶とあとは雰囲気、そして鹿さんを満喫しようと考えました
奈良公園といえば鹿さん、神の使いです
第一鹿、発見!!
か、可愛い、、、(*´ω`*)
おー!!いっぱい居る!!
と思ったのですが、どうも記憶の中とは違うようだ
中学の社会科見学か何かで奈良に来たことがあり東大寺は拝観したはずなのですが記憶には薄く、特にすぐ近くなはずの春日大社は全く寄らせて貰うこともなくそのまま古墳などを巡って帰った気がします
ただ、鹿はもっとたくさん居たような、、、そして 煎餅寄越せぇぇぇぇ!! ってもっとグイグイ来てお尻とかカバンとかポケットをもぞもぞされた様な記憶があります(*^^*)
でも今はあちらこちらにまばらに居るだけで人には近づいてこないし近寄ってもどちらかというと最低限の距離が保たれ、煎餅を持った子供相手にすら大人しく離れたまま貰うままに煎餅を食べていました
。。。こんなにおりこうさんだったっけ???
調べてみると春は出産後の雌が、秋は発情期の雄が荒ぶるようですが、冬は落ち着いているということでしょうかね
2022年の記録では1182頭の鹿が居るそうです(*^^*)
小さな橋も心を清め軽く会釈して渡ります
剥製かヽ(´∀`)
ってくらいじーっと動かずこっちを見ていて間近まで来ても微動だにしなかったのに写真を取ろうとしたらスッと目を逸らしクールな雰囲気を作った可愛いヤツ
うーん、超楽しい(*´ω`*)
さて、この10日ほど前に鹿島神宮、香取神宮を参拝してきた事もあってさすがに春日大社については事前調べをしていなくてもある程度はわかっていますので先にご由緒を
710年、この地に都が遷されて平城京となり、その鎮守としてまた国民の繁栄を願って創建されました
創建にあたっては右大臣を務め死後には正一位太政大臣を贈られるなど力を持っていた藤原不比等が藤原氏の氏神であるタケミカヅチを祀ったのが始まりという説と、藤原永手が鹿島神宮から武甕槌命を、香取神宮からは経津主命を、そして枚岡神社から天児屋根命、比売神が勧請されたという説があるようです
後者が有名ですが、平城京の鎮守としては遷都から768年の創建まで間が開きすぎていることから、不比等がまず氏神を祀り、そして計画を経て準備を整えた上で永手により正式に四神の勧請が行われたのではないでしょうか
香島から御分霊を背に乗せて来たのが神使 白鹿 だといわれており、以来、その時に来た鹿達を大切に見守っているのだそうです
こちら、放し飼い と言う方がいらっしゃいますが厳密には一定の管理はしているものの 放置 されている 野生の鹿 という扱いとなっております
なぜ鹿なのかというと、武甕槌に天照大神より 大国主を説得して国を譲らせなさい と伝える為に遣わしたのが鹿の神霊だったとされているのが起源です
参道途中の境内社
素晴らしい空気、景色、そして鹿を楽しみつつ二の鳥居へ
ここまではまばらでしたが駐車場側からの参拝者が数多くここから参道がやや込み合っていました
二の鳥居を潜ってすぐ鹿像の居る手水舎があります
本物も居たー!!w
その左手に祓戸神社があります
御祭神は祓戸大神ではなく瀬織津比売命だけとなっており、創建は770年とされています
そしてこの辺りが特に混み合っている理由がわかりました、参拝者、ご神職様方、そしてカメラクルーが待ち構えているのはこの後執り行われる年越の大祓式でした
そう、大晦日ですから(*^^*)b
暫し、足元に来た鹿チャンの頭を撫でながら考える
先へ進む事を選択しました、折角の大祓式は名残惜しいですがここまで怒涛の素晴らしい神社参拝と祓戸神社でのご挨拶でしっかり罪穢れが祓えているはずですし、たぶん本殿へのご挨拶が出来なくなってしまいます( ̄▽ ̄;)
さて、ここまでも石灯篭が数多く奉納されていましたが本殿が近づくとその数が一気に増えます
そしてこちらが南門
と、みなさんすぐ近くの柵の前で参拝されている
?????
こ、ここから???
そうかぁ、正月だもんなぁ
なんてこの時は思ったのですが、いやはや勘違い、春日大社ではこちらが一般参拝場所になりまして特別拝観を申し込むと回廊などを通り本殿手前の中門から参拝出来るシステムなのだそうです
そうだったのかー!!
なんか結構離れていて四殿並びの本殿全体を拝むことは出来ませんが、気持ちはしっかりと届いていると思います(*^^*)
そもそも普通の神社でも本殿前に行ける神社は数少ないし拝殿が大きな神社では本殿のお姿すら見えないですからね(*^^*)b
こちらは幣殿になるでしょうか、吊り灯篭が並びます
帰路に従って歩いて行くと、、、あっああーーーっ!!
よく見るやつ(*´ω`*)
そのまま順路に従い回廊の外側を歩いていき、清浄門を通り過ぎようとして足が止まりました
何か凄く氣を感じて思わず戻りました
いったい何が見えているのかもよくわからない、何故足を止めるほどの気を感じたのかもわからない、とりあえず写真だけ撮り、その場では一礼させて頂きました
この向こうに本殿があったのかな?と思ったのですが写真を見返してみると建物の隙間から御神木とお社が少し見えました
境内図を確認すると、大杉・柏槙と岩本神社でしょうか
なんとこの大杉は樹齢千年とされる凄い御神木、そして横から柏槙が斜めに伸びて直会殿の屋根(庇)には御神木を邪魔しないよう穴が開けられているそうです
そして岩本神社は住吉三神が祀られています
前日には大阪ですみよっさんにご挨拶していますが今までの事を考えるとお呼び頂いたのは御神木さんでしょうか
こちらは内侍門
境内図を見る限りは正面に建物は無いはずですが右の白壁の建物が内侍殿っぽいので正面は宝庫でしょうか
ここからは少しだけ残った時間で境内を回ります
こちらは明治以降の遷座とされる総宮神社
伊勢・春日・八幡大神、白山大神、三光宮、二上権現、北向荒神、窪弁財天、睡大神と多くの神々が祀られていることから周辺各地より遷座した神社の合祀社でしょうか
三光宮 で検索すると宮城県の青麻神社が出てきまして、そうであれば御祭神は天之御中主神、天照大御神、月読神の三柱となります
また大阪天王寺の真田山に三光神社があり、そちらあ天照大御神、月読神、素戔嗚尊が祀られていますので距離的にはこちらの流れかもしれません
二上権現は伊弥頭国造の祖神とされていますが大国主命と天太玉命とする神社もあるようです
睡大神は東大寺の近くに鎮座する睡(ねむり)神社というお稲荷さんだと思われますが詳細は不明のようです
お隣に鎮座されているのが一言主神社です
おっと、珍しく懐っこい小鹿が居るぞ♪
と写真を撮って石碑に気付きました、船戸社旧社地
はて、なんでしょう
まだ少し時間があるので人集りになっている祓戸神社へ向かおうとしたら祭祀中ということで通れなくなってしまっていました、ありゃま
駐車場側から回れるかな?と向かおうとして気になった小さなお社はお背中、前へ回ってみるとこちら、船戸神社
あっ、さっきの石碑の!! 目と鼻の先に遷座されたのですねw
御祭神は衝立船戸神、伊邪那岐が禊で最初に捨てた黄泉の国で地を突いた杖から産まれた 投杖神 とも言われる神様だそうです
社名からも日立造船の立て札もあることからも航海の神様かと思ったのですが、大乗院祈祷屋の鎮守として塞の神が祀られていたそうで結界の神として疫病などを防ぐとされたそうです
距離僅かなこの位置へ遷座したのは駐車場に向かい交通安全の神として車の祈祷が出来るようにしたためでしょう
グルっと周り二の鳥居まで戻ってきました
年越の大祓式真っ只中とあって鳥居手前から祓戸神社周辺まで大混雑、少し離れたこの位置で
この一年の健康と多幸、そしてこの素晴らしかった年末参拝を想い胸に感謝の気持ちを込めて空を見上げました
沢山ある境内社様方には全然ご挨拶出来ませんでしたし、若干急ぎつつの参拝にはなってしまいまいたがとっても良い参拝になりました
時間ギリギリまで参拝したので歩くと間に合わなくなるということで帰りは珍しくバス
車窓から見えたお社は拍子神社
こちらは鎌倉時代の天才的雅楽家 狛近真 を御祭神としており芸能の神様として崇敬を集めてきたそうです
車中からではありますが心の中でご挨拶させて頂きました、こちらが2022年最後のお社でございました、感謝
この後、超満員の乗客が各バス停で乗降し、夕方の渋滞もあって結構ギリギリになってしまいましたが無事間に合って名古屋へと帰りました(*^^*)
橿原神宮、そして大神神社の登拝、飛鳥坐神社などなどまた奈良へ参拝に来なければと思っているので春日大社もまた改めて!!
あぁ、、、参拝したいところが氾濫しているぅぅ(*▽*)
と、いうわけで!!
年末の京都大阪奈良参拝旅、そして2022年の参拝はこれにて終了!!
ありがとうございましたーーーっ!!
記事の下書き自体は1月中に書き終えておりますがブログアップ予定は現段階でも5月半ばになるという12月終わりから怒涛の参拝でございました
しかも年明けにも素晴らしい参拝をしておりますので過去最大級の濃密に凝縮された参拝の日々でした
勿論、 帰京してからはとっても大人しくしておりますw
あとがきは鹿話のつづき
ちなみに元の鹿島神宮では幕末あたりにほぼ居なくなってしまい、春日大社と神田神社(東京!?)から分けてもらい数を増やしたんだそうです
いなくなってしまった理由はざっくり言うと 人間との対立!? だそうで、近年になっても鹿が人を襲うなど問題になっていた時期もありました
だからこそちょっと覚悟してもいたのですが季節柄のお陰か様々な啓発の賜物か、どこを見渡しても鹿は皆自由にしているし人も一定の距離をもって楽しませてもらっているという平和そのものの素晴らしい環境でした
ちなみにちなみに、香取神宮にも鹿苑があるのですがそちらは鹿島に倣って昭和から飼い始めたそうですがやはり伝統ではなく後追いで飼った為に様々な問題に直面しているそうです
なお、鹿島神宮、香取神宮ともに檻の中で 飼育 という形になっているので1000頭を超え 野生 として保護してきた春日大社が 鹿 として有名になったわけですね
勿論そこには 鹿を守れ!! という厳しく整備された法律があったからこそであり、大昔?には謝って鹿を殺めてしまった子供でさえ死罪となり埋められらという話も伝わるほどです
今まで深く考えてはいませんでしたが、こうして考えてみると香島を鹿島と変えるなど鹿を大切にしてきた鹿島の地ですが武甕槌命に使命を伝えに来たのは確かに鹿ですが神使として遣わしたのは天照大御神ですね
それに対し、実際に御分霊を背に載せてお連れいただいたという春日の方がより丁重に鹿を崇めたというのもなるほど納得です
そういえば社会科見学の頃は鹿によっては柔らかい角があったり切った痕があったりもしたのですが、気付かなかっただけかもしれませんが見かけた鹿は全て根元までしっかりと角が切られていた気がします
年末年始で沢山の人が来るからでしょうかね(*^^*)b