どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日は羽田神社から鴎稲荷を経て川沿いへ出たところに鎮座されているこちら
水神社と玉川弁財天です
堤防があるので境内へは階段で降りる形になっていますが写真右奥、住宅地の方からも入れるようです
上の写真では見えていませんが、階段を降りてすぐ左手に並ぶ白い鳥居とお社
こちらが水神社です
御祭神は水波乃咩命、創建年は不詳ですが江戸期には既にあったようです
やはり澄んだ空気で気持ちが良いですね、凛とした雰囲気があります
階段上にも案内板あったように弁財天の方が主に書かれていますし境内でも弁天様の方がとても目立つのですが水神社の境内に後から弁天様が遷座されたそうです
こちらが、玉川弁財天
水神社と同じく創建年不詳ながら古くから祀られているそうで、天長7年空海作という銘と弘法大師が護摩焚きの灰で自刻した跡のある弁財天女像が祀られています
龍彫がとっても素晴らしいですね!!
ご挨拶すると、なんとも言えぬ空気感
そう、いつもの お寺 に似た荘厳な雰囲気に包まれます
凄い、の一言
いつものように下調べをしていない私は立地と様子からして完全に油断していました
唯ならぬ空気、そして呼び込まれる雰囲気
畏れ多く、ご挨拶をして階段を降り、礼をして一旦下がったのですが、どうも呼ばれるんですよね
なぜだろう、とお社を眺めていたら、お賽銭入れの木蓋と同じ高さで木がくり抜かれているのに気付きました
どうにも来なさいと言われているような気しかせず、それでもちょっと躊躇したのですが、あまりにも呼ばれる感に失礼します、と階段を上がりました
思わず、うわぁ、、、 吐息のような声が出たほどの神々しさ
暫しみとれ、拝み、お礼を言い、そして礼をして階段を降り、、、たのですが、都合が良すぎでしょうか、今度は写真を撮っていきなさいと言われている気がしました
ええっ?! いいんですか?
いや、誰と会話してんねんって感じですよねw
別に声が聞こえるわけじゃないんですけどねぇ
たまにこういう時があります
自分の頭の中で判断する時の「撮ってもいいかなぁ?大丈夫そうだよね?」「ここは写真。。。うーん、なんか辞めておこうかな」っていう感じとは全く異なる感じ
見るのは失礼な気がするのに見なきゃいけないという意識が覆いかぶさってくる、撮るのは失礼なほど神々しくて撮る気も無いのになぜか撮っていかなきゃいけないという、それが自分で考えているんじゃなくて思わされている感じ
そう言われている気がする、と正当化しようとしているのとは全く違う不思議な感じです
こちらが、弁財天様です
なんて優しく微笑んでらっしゃることでしょう
この記事を書きつつ調べていたら、江戸期の記録に江ノ島本宮の弁財天と同躰であるとか、厳島江ノ島とこちらの弁財天が日本三大弁財天と書かれていたりもするそうです
また、複数作られた複製のうちのひとつであるとする説もあるのですが、いずれにしても、私は像を拝んだ瞬間にさぁーっと鳥肌が立ち全身が固まりました
まさに、魅入られたという感じです
羽田では 七福いなりめぐり として七社の稲荷神社があるそうですが、こちらの弁財天が別格として含まれて八社となっているそうです
ふーっ、、、と御神威の強さにひと息つこうとお社右手の薮に向かってみたらそこには弁天池と石祠がありました
祠は市杵島姫命が祀られているのでしょうか
また階段から見て右手の方には妙力地蔵様がいらっしゃいました
いやー、とっても素晴らしかったです
こちらはもう、お近くに行かれた際は、ではなく、是非ともご挨拶する為に行って頂きたいですね(*^^*)