どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら
大鳥居を潜ってすぐ右手に弁天池と厳島神社
御祭神は市杵島姫命
右後ろが岩滝になっていて常に清浄な空気に包まれています
っと、カエルさんだ
飛沫と苔、水の音、いつまでも見ていられます
好みのタイプの苔です
池は右奥の方へと広がっていて小さな島にはミニ鳥居と小屋?!
お留守のようです
神亀か神鴨かのおうちになってるんでしょうか
特に美しい水、というわけではなかったのですが光の加減か水面に映る石垣が気に入ったので
厳島神社のすぐ後ろは相撲の土俵になっています
よくある神社の土俵よりも大きく観客席までしっかりありまして、渋谷氷川神社、大井鹿嶋神社と並び江戸三大相撲として有名なんですね
参道を上がると素晴らしい境内、御社殿、そして空
左手に手水舎がありますが、額が大きく風情があるのでお寺さんの山門のように見えます
特に何か書かれていたわけではないのですが、こちらのお水、というか手水舎自体? がとっても素晴らしい気に包まれていました
こういう洞、大好きなんですよね
小さな仙人みたいな妖精さんとかが覗いてそうで
美しいですね、そして威厳がありますね
源義家が奥州征伐を終えての帰途、この地で大雨に遭い10日ほど滞在した時に宇佐神宮より八幡大神を勧請し、農民達の守り神として残していったんだそうで、その時に相撲を開催して奉納したのが今に伝わっているんですね
となると創建は1094年、滞在中の参拝用に一先ず祠だけ建て、後に正式勧請させたのだとしたらもう少し後ということになるでしょうか
長くなりそうなのでちょっと後述にしましょう
境内は拝殿右手から奥に広がっています
こちらは世田谷招魂社
この地域における日露戦争、太平洋戦争の戦没者を祀っているそうですが、なんとこのお社は乃木将軍の甥が自邸内に祀っていた乃木神社の社殿だそうです
御社に乃木御夫妻の御心も宿ってそうですね
境内右奥には高良神社
この八幡宮の中で一番不思議な感覚になったのがこちらでした
氏子地域の八社を合祀した御社だそうです
天照大神の天祖神社、社名となっている高良神社、大物主神の金比羅神社、六所神社はこちらでは大国主命でしょうか、道真様の北野神社、櫛真智命の御嶽神社、日御碕神社は天照大神と素戔嗚尊だそうです、そして宇迦之御魂神の稲荷神社
さて、この八社の中心となっている高良神社ですが、恐らくこの境内へ遷座されたのが一番古く、そこへ他七社が合祀されたからじゃないかと推測します
その御祭神、高良玉垂命ですが、諸説入り乱れる謎の神のようです
宇佐神宮もある北九州を由来としていて八幡様と共に祀られたりしていることから武内宿禰ではないかという説が結構気になりますが、説が多過ぎるのでこの辺りで(*^^*)
最後に御本殿を横から拝みました
いやー、素晴らしい神社でした
とても広く、隅々まで澄んだ空気
平日だったのでまばらではありましたがほぼ途切れることなく来られている方は皆、とても畏まって参拝してらっしゃいました
パワースポット 的な事を言うと、境内のどこに居ても凄く力が湧いてくる、損傷している部分が埋められていく、そんな感じでした
皆様も是非、ご参拝ください(*^^*)
さて、創建についてですが
産土神(それ以上の何かもあったかも?)として八幡大神をとても崇敬していたのでしょう、守本尊的に常に八幡様(御札、御神璽、像等)と共に戦地へ赴いていたと考えられます
主題は征伐だったのでしょうが、もしかしたら八幡信仰の布教という副題もあったのかもしれない?
とすれば、その場その場で自分が携帯していた御神体から御魂分けしていた可能性もありますが、それよりも元から複数の御神璽を持参していて処々に祀りながら行動していたりして?
なーんて想像はふくらみますが、どちらかと言うと父 頼義の影響もあって戦勝祈願や祝勝として八幡様を祀るのが習わしになっていたと思われます
基本的に神道は一族(氏族)の祖神を祀るのが始まりなので布教活動という側面はほぼ無く、一族が増えて広がるほど屋敷神としてその数も増え範囲も拡がっていきました
勿論、神仏習合の影響などもあって布教や講社が組まれることもありますが
神社の分布や創建の由来を見ていくと日本の歴史が見えてくる、あぁ勉強というものが暗記暗記ではなくこういう順序やストーリー性のあるものだったらば、もっとちゃんと覚えていたんだろうなぁ
でも、当時覚えなかった "お陰" で、理解度が少しは上がった今の歳でこうして楽しむことが出来ていると思えばそれはそれで悪くない(*^^*)b