どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、檜原神社
前回書いた通り、龗神神社で引き返そうと決めていたのを翻意させてくれたのは三輪山の上に架かった彩雲でした
そうだ、何故か気になっていたのに 行かない なんて選択をするなんてどうかしてる!! 気になったというのは呼ばれているということ、行くべし!!
さっきの一時的な曇天はなんだったんだろう、という好天はなだらかなトレッキングに最適でございます
大晦日とは思えないほど快適な気候です
自然を全身で思いっきり吸い込みます、気持ち良い!!
せせらぎがありました、やはり水の気は大事です
こちらは玄賓庵という草庵だそうです
前を通り横を抜けていくと小さな滝の音が響きます
ここからは山道が続きます
びっくりした、道かと思ったけどさすがにこっちじゃありませんでしたw
地味に山道ではありますが鞍馬山に比べたらなんてことありません
暫く行くと門柱に注連縄、こちらが桧原神社ですね
こちらは横参道になりまして、左手へ降りていったところが正面参道になります、こちら
知らずに来てしまいましたが、こちら凄い場所でした
紀元前92年
崇神天皇は猛威を奮い続ける疫病は宮中に祀る二柱の御神威が強過ぎるものと考え、天照大御神を豊鍬入姫命に、倭大國魂神を淳名城入媛命に託し宮中から外へ祀らせます
豊鍬入姫命は崇神天皇の命通りにこの地へ倭笠縫邑を祀り天照大御神の鎮座地としました
その後33年の間朝夕の奉仕を欠かさず、さらにより相応しい御鎮座地を探し続けるも見つけられず再びこの地へ戻ったそうですが、その後を継いだ倭姫命が遂に見つけたのが伊勢の地です
と、とんでもない場所だった
ほんと、来ておいて良かった、、、
写っていない左手に授与所があり、境内はこんな感じ
左手の祓所も御神域が区切られ玉砂利があるだけ
そして、拝殿、、、というか拝所がこちら
言葉になりません
大神神社で拝観することが出来なかった三ツ鳥居をまさかこちらで拝ませて頂くことが出来るとは
現在の御神体はこの背後に鎮まられている磐座ですが、元は三輪山自体を御神体としていたそうです
御鎮座は倭笠縫邑の方が古いので恐らく、大物主を祀るのに三輪山を御神体とする必要があったからでしょう
まさに、古代の祭祀形式そのままが残された場所!!
左手には御杖代(初代斎王)として天照大御神に生涯を捧げ祀り続けた豊鍬入姫命が祀られている豊鍬入姫宮が鎮座します
京都 野宮神社で学びました! 斎王は神宮と賀茂神社に仕える巫女のことで代々、未婚の皇女から選ばれ生涯を捧げたという
なんと清浄なる御神域なのでしょう
当時は大混乱で大変な中だったでしょう、伊勢を安寧の地として長く鎮まられた現代を見て心安らかに眠られているであろう豊鍬入姫の御心のようです
太陽の力が凄い
境内の真ん中で三輪山へ向かい目を閉じ太陽を浴びていると、全身の無駄な力が抜け、心安らかに、そして何にというわけではなく感謝の気持ちで溢れました
健康で居られて良かった、日程は急遽だったけど無事に奈良に来られて良かった、三輪山に来られて良かった、そしてこの場所に来られて、本当に良かった
最強のヒーリングスポットでした!!
なぜかとても気になった横参道手前の木の根
いや、ほんとにこの時、超絶軽い足取りで 一体何があったんだってくらいにヒョイヒョイと山道を跳ね歩いていたんですよね
途中で んーーーっ、さいこーーーっ なんて伸びをしながらなんて、そんなん普通しませんやんw
あとがき
お伊勢さんを巡った時、宿を外宮近くにとり早朝から一日を掛けて外宮、別宮、内宮と巡っていったのですが、実は当時から気になりながらも参拝出来なかった、そしてなぜかその後も気になり続けている別宮があるのです
当時の私はまだまだ力不足でして神様や眷属様にご挨拶をして色々と学ぶのに精一杯、今でもそうですが神様をお祀りされた方や祖霊舎などに祀られる御神職様まで覚えていく余裕は全くありませんでした
それが斎王という存在を覚えた二日後だったということも関係しているかもしれませんが、それ以降もご挨拶出来ていないことが心の片隅で気に掛かり続けていたというのがここに来て漸く繋がった感じです
いろいろ調べると元伊勢と呼ばれる場所が複数あり、倭笠縫邑とされる候補地も他にあるようです
複数の元伊勢があるのは彼女達が天照大御神宿る八咫鏡と共に各地を回っているので暫く滞在した場所が全て元伊勢ということになるんじゃないかと思います
宮外に祀られることとなった話などについてはまた後日!